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海の青より、空の青 第36話

東へ

 集合時間が十五分後に迫り、ジャージ姿に大きな荷物を抱えた学友たちが集まりつつあった。
 中には大人を一人詰め込めそうな特大サイズのキャリーバッグをガラガラと引く海外旅行者のような生徒まで見受けられた。
 確かに林間学校のしおりにはバッグの種類の記載はなかったと思うが、修学旅行とは違って帰りに荷物が増えるようなこともないだろうに。
 それはそうと、俺は俺でそろそろ美沙を起こさなければ色々と問題があった。
 というか、既に先ほどから校庭に集う大勢様からの熱い視線をひしひしと感じていた。
 かろうじて教師たちの立ち位置からは死角になっているとはいえ、もし見られでもしたら面倒なことになるのは必至だ。
「美沙、そろそろ行かないと」
 腕を引っ張り上げ無理やり立たせると、生まれたてのゾンビを思わせるその動きに歩調を合わせ集団の中に連れ帰った。
 さらにしばらくして現れた学年主任の号令で、無秩序に群れていた集団は怠惰な動きで隊列を組み始める。
「それでは出発に先立ち本校の校長から挨拶をいただきたいと思います。校長先生、お願いします」

「――それでは皆さん。次に会う時にはぜひ逞しく成長した姿を見せて下さい」
 永遠に終わらない懸念すらあった校長の長話が終わりようやく、本当にようやく出発と相成った。
 担任の誘導に従ってバスが待つ県道へと移動し、荷物を順番にバスの横っ腹にあいた巨大な荷室へと積み込む。
 席順は事前に決められており、俺は最後尾から二番目の窓際という良席を確保していた。
 隣に座るのは柔道部に所属する同じ班の男子で、彼は入学後に最初に出来た男友達でもあった。
『気は優しくて力持ち』を地で行くナイスガイでもある。
 圧搾空気の大きな音を出して扉を閉めたバスは、クラクションを短く二回鳴らすとゆっくりと車輪を転がしだした。
 目的地はといえば、ここから東に一時間半の場所にある山の中の宿泊施設であり、旅のしおりに書いてあったスケジュールによれば、今日は到着後にとりあえず昼飯を食べてから入所式というものが行われるらしい。
 式の内容ががどんなものかまでは記載されていなかったが、それほど楽しいものでないことは間違いないだろう。

 出発してからしばらくの間は、周りの席の連中とワイワイガヤガヤ楽しく話しながらバスの旅を楽しんでいた。
 やがて隣席の彼が眠りに落ちたのをきっかけにしてその輪から外れると、シートに身体を預けて車窓を流れる景色に視線を移す。
 少し高い場所を通る自動車専用道路からの景色は、同じ県内であるが故に地名こそは知ってはいたが実際に目にするのはこれが初めてかもしれない。
 それは見渡す限りに広がる低層の住宅地という、どこにでもある退屈なものだったのだが、二泊三日の校外学習へと向かう高揚感からか、不思議といくら見ていても飽きはしなかった。

 バスはやがて自動車専用道路を降り、その進路を南へと向き直した。
 見知らぬ街の市街地を抜けて少しすると、今度は交通量の乏しい郊外の海沿いの道路へと至った。
 出発した時よりも雲量の増えた空のせいだろうか。
 太平洋の海原はどんよりと押し黙ったような暗い表情をしていた。
 まるで川砂のような薄雲鼠うすくもねずの砂浜に、十代と思しき姿容しようの少女が佇んでいるのが目に留まる。
 無意識のうちにシートから身体を起こしてその姿を追ってしまい、はっとして我に返ると同時に気持ちが深く沈み込んでいくのを感じた。
 シートの背もたれに身体を深く預けると、まるで外敵から身を守るかのように固く腕組みをして目を閉じる。
 次に目を開いた時には今より少しでも気が晴れていることを願いながら、俺は人知れず眠りに就いた。

「――イテッ」
 どのくらいの距離と時間を眠っていたのかはわからないが、バスが大きく揺れた拍子に窓ガラスに頭を軽くぶつけて目が覚めた。
 体勢を立て直してもう一度寝ようと思ったのだが、身体の左側に不自然な重みを感じてそちらに首を向ける。
「……なんで美沙がいるの?」
「ムニャムニャ」
 本来の住人である柔道部の彼はといえば、いつの間にか通路を挟んだ窓際の席に移っており、少し羨ましいくらいに幸せそうな顔をしてスナック菓子を頬張っていた。
「美沙」
 小声で呼び掛けてみるも、まったく以て起きる気配はない。
 もっとも起こしたところで双方にメリットがあるわけでもないし、彼女はこのままにしておいて俺も寝るのが最適解と思われる。

――あの二人ってやっぱ付き合ってんのかな?
――てゆうかさ、勇気あるよね。
――オレ、葉山さんのこと狙ってたのに。

 前言撤回。
 俺にとってデメリットしかないこの状況を打破すべく、彼女の小さな鼻を摘んで無理やり起こすことにした。
「美沙、おはよう」
「……はひなに? ほうふいはほもうついたの?」
 摘まれた鼻をそのままにそう言った彼女を見て、その動向を見守っていたクラスメイトたちから一斉に笑い声が上がった。


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