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死んだ恋人に会いにいく 第41話

第六章 死んだ恋人

答え

 目覚めと同時に自身の置かれた状況を鑑みた結果、昨夜あれほど『大人とはなにか?』を自問したことの無意味さに呆れ果てる。
 だがそれは後の祭り且つ、身から出た錆でしかなかった。
 マジックショーの縄抜けよろしく布団から抜け出すと、気配を殺したままに寝室をあとにする。
 朝食の準備をするために覗き見た冷蔵庫の中には、調理をせずに食べられるようなものをひとつも見つけることができなかった。
 いつものように自分ひとりだけなら、パントリーのカップ麺で腹を満たせばいいだけなのだが、あいにく我が家には昨夜から大切な客人がいるのだった。

 コンビニで食料を調達し部屋に戻ると、洗面所から出てくる彼女の姿が見えた。
「おはようございます」
 彼女の寝起きの悪さは去る夏に心得ていたのだが、どうやら今日に限ってはそれほどでもないようだ。
「かなたさん。昨夜のことって覚えてますか?」
「ごめん、みっともない姿みせちゃったね」
 いまさらながらに恥ずかしくなってくる。
「そうじゃなくて、ゆうべ私に……」
「ああ」
『それは君が着ているTシャツにプリントされた初歩的な英文をなんとなく口にしただけ』と、言おうとしてやめた。
 確かに私は昨夜、この目の前にいる少女のことを愛おしく感じた。
 それは日本語の愛しているとは少しだけ違うような気はしたが、英語でいうところのアイラブユーには近しかったように思う。
「うん、覚えてるよ」

 遅い朝食を終えると、時刻はすでに正午を回っていた。
 彼女が今夜も泊まっていくのであれば買い出しに行きたかったが、それよりも先に済まさなければいけないことがある。
「茉千華ちゃん、そろそろいいかな」
 リビングの窓辺で灰色の景色を眺めていた少女が振り返る。
「あ、はい」
 ソファーに並んで腰を下ろし、まずは私から口を開いた。
「先に茉千華ちゃんに話しておきたいことがあるんだ」
 それは今年の八月にかつての恋人が私に打ち明けたことであり、彼女の姉の死に結びつき得る内容だった。
「お姉さんにはやっぱりお付き合いしているがいたみたいだよ。ただ、去年の四月にはもう別れていたみたい」
 水守さんからそう打ち明けられた七菜は、その相手がどこの誰なのかを聞くことまではしなかったという。
 ただ、話の端々から地元にいる人間だと気付いたとも言っていた。
「時期的に考えると、お姉さんが亡くなったことと関係があるかもしれない」
 しかし遺書にあった内容を考えた場合、それが直接の原因だとは考えにくい。
「私もそうだと思います」
 彼女は普段となんら変わらない口調で言い切った。
 その様子からして、すでにその辺りの事情も把握しているのだろう。
「かなたさんの同級生に、高畑浩二さんっていう人っていませんか?」
「……ああ。いるよ」
 正確には『いる』ではなく『いた』なのだが。
「じゃあその高畑さんは――」
「亡くなったよ」
「……やっぱり」

 彼女はなぜ高畑の名前を口にし、なぜ彼が亡くなったと聞き納得したのか。
 彼女が今日ここにどんな用事でやって来たのかを知っている私からすれば、その意味を推し量ることなど造作もなかった。
「つまり茉千華ちゃんは、高畑カレがお姉さんの恋人だったって、そう思ってるの?」
「はい」
 それはあり得ないことだった。
 水守さんが亡くなったのは去年の夏で、高畑が亡くなったは今年の六月なのだ。
 水守さんが自らの命を断った理由が、『死んだ恋人に会いにいく』ことだとすれば、考えるまでもなくこれ以上の矛盾は存在しない。
「なぜ彼が、高畑がその相手だと思ったの?」
 彼女はリュックから取り出した封筒をこちらに向けた。
 中には折りたたまれた一枚の紙が入っている。
「これは?」
「おねえちゃんが恋人に宛てた手紙です」

『あなたのことは許します。どうか私のことも許してください。』

 妹のしっかりとした文字に比べるといくらか丸みのある、如何にも女の子然とした筆致だった。
 再びリュックの中に手を入れた彼女は、輪ゴムで纏められた十数枚からの紙の束を取り出す。
 それらはL版サイズの写真で、そこに写る学生服や体操服の人物たちは私がよく知る顔ばかりだった。
「おねえちゃんのアルバムに貼ってあった写真です。写っている人をみてください」
 言われたとおりに写真をテーブルの上に並べて見比べる。
「……本当だ」
 ほとんどは見切れているか遠目に背景として写っているだけだが、その全ての写真に高畑の姿があった。
 そういえば、水守さんが部屋に飾っていたというフォトフレームにも、中央に写る私の斜め後ろには彼がいた。 
「一昨日にやっと、お母さんがおねえちゃんの部屋を整理するって言い出して。その時にクローゼットの奥から卒業アルバムと、その写真が貼ってあったアルバムが出てきたんです。それでこの写真の人が高畑さんって人だってわかりました」
 彼女は写真を再び束に戻すると、テーブルの上でトントンと揃えてからリュックに仕舞いながら話を続けた。
「おねえちゃんがうちのポストの中に残した遺書は、ぜんぶで二通ありました。一通はお母さんと私に宛てたもので、内容はかなたさんも知っている通りのものです」
 おそらくは『死んだ恋人に会いにいく』と書かれていた物がそれだろう。
「二通目は親戚に宛てたものです。お母さんと私のことをよろしくといったような内容でした」
「え? じゃあ、さっきのは?」
 存在しないはずの三通目ということになってしまう。
「おねえちゃんの部屋の整理をした、その次の週の日曜日でした。うちに赤ちゃんを抱っこした女の人が訪ねてきたんです」
 その女性がどこの誰なのかは、すぐに察しがついた。
「ちょうどその時、お母さんは買い物に出かけていて。そのことをその女の人に言ったら、大きめの封筒を渡してきて。それでその人、髪の毛が地面に着くくらい頭を下げながら言ったんです」

『主人が、高畑が大変なことをしてしまって本当に申し訳ございません』

「私にはそれが何のことかわからなかったから、もうすぐお母さんが戻ってくるので家に上がって待っていてもらおうと思ったんです。でもその人、もう一度深くお辞儀をして帰ってしまったんです」
 情報をひとつずつ精査しながら話を聞いていた私だったが、さすがにここまでくればもう、水守さんを死に追いやった人物は、本当に高畑だったのだと認めざるを得なかった。
 ただ相変わらず、『死んだ恋人』の意味だけはわからない。
「その大きな封筒の中には小さな封筒と、それに見たこともないような金額のお金が入っていました」
 無責任なことを承知で推し量れば、高畑の奥さんはなけなしの気力と勇気を振り絞り、最低限の責務を全うするために水守家に足を運んだのではないだろうか。
 そして彼女もまた、高畑の被害者のひとりなのかもしれない。
 いつの間にかすっかりと表情を失くしていた少女は、三度みたびリュックの中に手を入れる。
「最後のこれは、かなたさんに見てもらうか悩んでたんです。でも、これがすべての答えだから」



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