死んだ恋人に会いにいく 第42話
真相
これがすべての答えだと彼女に手渡されたのは、書類を入れるのに使うような角2サイズの茶封筒だった。
高畑の名と住所が書かれたそのオモテ面には、配達日を指定する赤枠のシールが貼付されている。
その日付は八月十八日で、消印の年号は去年のものであった。
それはつまり水守さんが亡くなった日の、ちょうど一週間後に高畑の元へ届けられたことを意味していた。
「中身をみてください」
茶封筒の中には二枚の紙のような物が入っており、まずはそのうちの一枚を手に取り目を落とす。
白と黒の二色で構成されたそれはレントゲン写真のように見えた。
隅にはアルファベットとアラビア数字が何行にも渡って記載されている。
その中で唯一理解できたのは、撮影された日付と思しき数列だけだった。
もう一枚の紙は、一見して何かの誓約書だとわかった。
内容を確認するために手を伸ばすと、一番上にひときわ大きく印字された文字列の中の『中絶』という字が目に飛び込んでくる。
パートナーの欄は空白になっており、緊急連絡先の氏名欄には『水守裕子』と記入されていた。
「裕子は私たちのお母さんの名前です。でもたぶん、おねえちゃんが自分で書いたんだと思います」
いわれみれば遺書の字とよく似ている。
「かなたさんが最初に手に取った写真の、その左下のAGE7Wっていう数字。それが妊娠の週数だそうです。右下の0402というのが撮影された日です。ネットで調べました」
「……」
「高畑さんはいつ、なんで亡くなったんですか?」
食って掛かるような彼女のその物言いは、まるで『あなたの口から姉を殺した犯人の名前を聞かせてください』と言っているように聞こえた。
「今年の六月の終わりくらいだそうだよ。その……自殺だったって」
「……え? それじゃ、おねえちゃんは高畑さんのあとを追ったってわけじゃ……」
去年の五月に籍を入れたと、高畑はそう言っていた。
それは所謂ところの授かり婚というやつで、年末には子供が生まれるとも聞いた。
高畑が二股を掛けていたのか、或いは元々どちらかは割り切った関係だったのか。
真実を知っている可能性があるのは高畑の奥さんだけだが、たとえ今さらそれを知ったところで誰かが幸せになれるとは到底思えない。
ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば、彼は子を授かった女性を選び、もう一方の相手を切り捨てたのだ。
水守さんが自身のお腹にも新たな命が宿っていたことを知ったのは、そのほとんど直後だったのだろう
彼女が亡くなる少し前、七菜に中学の卒業アルバムを借りたのは、妹の茉千華が姉が愛した人の顔だけでも知りたいと言ったように、姉の唯ももまた、自身が愛した人物が選んだ相手を見たかったのかもしれない。
これらすべては私の想像でしかないが、もしそれが当たっているのだとすれば、水守さんが会いに行った『死んだ恋人』というのは――。
「水守さんはきっと、生んであげられなかった赤ちゃんに会いに行ったんだ」
「……そんな」
小刻みに震える肩にそっと手を置くと、少女はやがて大声をあげ泣いた。
姉が彼岸へと旅立っていったあの夏の日より始まった日々は、この少女の人生において二度と起きなどしない過酷な時間だったことだろう。
そして今、この瞬間こそが地獄の底であるとすれば、私がその場に立ち会えたことを居もしない神に感謝した。
過ぎ去った過去はもう変えられはしない。
だが、まだ訪れていない未来は違う。
かつて父と母がそうしてくれたように、今度は私がこの少女を守り続けよう。
小さな身体を胸に抱きながら、そんな身勝手も甚だしい誓いを密かに立てた。
時計の長針がそのサイクルの半分を刻み終えた頃になって、彼女はようやく顔を上げた。
「……すいませんでした。もう、だいじょうぶですから」
そう言って私のもとから離れようとした彼女を即座に引き戻す。
「このまま聞いてほしい」
「……はい」
「お姉さんが高畑に出した遺書には許すって、そう書いてあったよね。それに許してほしいとも」
「……はい」
「その、許してほしいってさ。高畑に言ったんじゃなくて、生んであげることのできなかった赤ちゃんに言ったんじゃないのかな」
「……」
「お姉さんが本当に高畑に許してほしいって思っていたなら、きっと手紙だけを出したと思うんだ」
もっと言えば、高畑には遺書を書かないという選択肢もあったはずだ。
実際のところ、それが本当に合っているのかはわからない。
ただ、もし彼女が納得してくれるのであれば、必ずしも真実である必要などないのだ。
なぜならすべてはもう、終わってしまった事なのだから。
「……私もきっとそうだと思います」
彼女ははっきりとした口調でそう言うと、再び私の胸に顔を深く埋めて小さな体を震わせる。
「あいつだけが、高畑だけが悪かったんだよ」
私とて死人に鞭を振るうような真似をしたいわけではない。
だが、ここまできて『誰も悪くなかった』などと抜かせるほど、私は出来た人間ではなかったし、何より無責任な部外者でいたくなかった。
全一周の行程を先ほど折り返したばかりだったはずの時計の針が、いつの間にかまた元の位置にまで戻ってきていた。
その頃になってようやく、少し顔を寄せれば触れてしまうような距離にある少女の唇が、ゆっくりと開かれる。
「かなたさんにお願いがあります」
「うん。今度こそ、なんでも叶えてあげるよ」
なぜなら私は、君の幸せだけを願うランプの精なのだから。
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