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海の青より、空の青 第37話

枝打ち名人

 バスはやがて海岸線から離れると、ふたたび見知らぬ市街地を経由してから民家も疎らな山道の中へ突入していく。
 ほんのさっきまであれほどに騒がしかったクラスメートたちも、細い道を右へ左へと向きを変えるバスの揺れに中てられたようだった。
 次第に言葉少なになっていった車内は、やがて墓地から蘇ったばかりのゾンビのような、低く短い唸り声に支配されはじめる。
 俺は車中で読書さえしなければ乗り物には強かったのだが、どうやら美沙もそこは同じらしく、先ほどから互いの菓子を食べ比べたりしながらバスの旅を満喫していた。

 低くも高くもないような山の頂上まで登り詰めると、短くも長くもなかったバスの旅もようやくその終わりを迎えた。
 山に入ってからずっと空を覆い尽くしていた杉の木が、突如として途切れる。
 そして、この場所こそが今回の林間学校の目的地である宿泊施設の入口だった。
 駐車場の奥には役所のような大きな平屋の建物が一軒見えるだけで、とてもではないがそこに二百人からの生徒が泊まれるとは思えなかった。
 宿泊施設というからには、田舎の学校の校舎のようなものを想像していたのだが、どうやらここはそういった風ではないらしい。
 そういえば、部屋決めの時にA棟やB棟といった呼称が用いられていたので、バンガロータイプの宿泊施設なのかもしれない。

 クラスメイトたちがフラフラとした足取りでバスを降りる中、俺と美沙だけが何の苦もなくスタスタと同じことをこなす。
 施設職員――県教員の職務のひとつだそうだ――に誘導され、管理棟と思しき平屋の建物の裏手に移動する。
 小学校の校庭と同規模の広場でクラス毎に整列すると、まもなく入所式が執り行なわれた。
 その内容は非常に簡素なものだった。
 所長の挨拶に始まり、施設を利用する上での注意点と本日の予定の説明が行われたのだが、それが何とたったの十分で終了したではないか。
 もしこれがうちの学校であったとしたら、まだ校長の挨拶の最中だったはずだ。
 他の生徒も同じことを思っていたのだろう。
 入所式が終わった瞬間に盛大な拍手が巻き起こり、その理由など知る由もない施設職員の人たちは、互いに顔を見合わせ困惑していた。

 入所式に続いて行われたのは、しおりに記載されている地図を頼りに本日の寝床となるバンガローを自力で探すという、ちょっとしたオリエンテーリングのようなものだった。
 この地図も先ほどの入所式並に簡素なもので、広大な山の中にある同じ様な形状のバンガローの中から、わずかなランドマークを頼りにして目的地を探し当てなければならない。
 俺たちのグループはといえば、幸運なことに管理棟から程近くの大きな通りに面した場所だったおかげで、大した労もなくゴールを見つけることができた。
 奥まったところのバンガローのグループなどは、下手をしたら遭難するのではないだろうか?
 と、他人事ながら心配になってしまった。

 如何にもログハウスといった外見の建物に足を一歩踏み入れると、まるでサウナのような檜のいい香りが鼻腔の奥に広がる。
 壁や床は勿論、天井までもが杉や檜の無垢材で構成された室内は、素人ながらにすごく贅沢な作りだということだけは理解できた。
 三十帖ほどの広間の壁には扉が四つ付いており、その奥は二段ベッドが五つ備え付けられた寝室になっている。
 うちのクラスには二棟のバンガローが割当たれていた。
 男女共に二十人なので、二段ベッドを一人で一台使えるということになる。
 ただ、こんなに立派な建物にもかかわらず、トイレと風呂は付いていないようだった。

 荷物を部屋に運び込んでから広間へと戻る。
 壁に掛けられた時計に目をやると、まだ十時を少し回ったところだった。
 しおりのスケジュールを参照したところ、このあと十二時に配給される昼食をここで食べてから、三〇分の休憩を挟んで間伐作業が行われるらしい。
 その作業とやらに夕方まで従事してから晩飯を食べ、風呂に入ったらオリエンテーションを行い、やっとのことで就寝だそうだ。
 なかなかにしてハードなスケジュールな気がするのは、果たして俺の気のせいだろうか?

 昼飯までの自由時間は仲のいい連中と下らない話しをして過ごした。
 配給された弁当はどこにでもよくある幕の内弁当だったが、新緑の木漏れ日の下で食べたそれが不味いはずなどなかった。
 俺のグループはバンガローのすぐ前に置かれていた丸太に腰を下ろして食事をとったのだが、隣のグループなどは地面に直接座っていたし、向こうでは五人のグループが通路に拵えられた階段に一列に並び、皆同じ方向を向きながら座っている。
 自由過ぎる。
 林間学校というくらいなので、もう少し厳しい規律があるものかと思っていた。
 しかし、少なくともうちのクラスに関していえばその限りではないようで、むしろ率先して騒いでいるのが若い担任教師なのだから、校外学習というよりはむしろお泊まり会に近い感覚で臨んでいいのかもしれない。
 昼飯を食べ終わり一息入れてから、持参した軍手とタオルを携えて入所式が行われた広場に集合する。
 そこで配られたのは、中学の頃に自転車通学者が被っていたような白いヘルメットと、それに大工さんが使うような大きなナタとノコギリだった。

 割り当てられた作業エリアに着くと、指導員と書かれた腕章をつけた職員の指示に従い、まだ若い杉の木を根本から伐採する作業を開始した。
 さっきまでのお楽しみ会のような雰囲気は一気に消し飛び、一同は林業従事者となって木を切り枝を打ち、そしてそれを担いで運び出す。
 大人たちは俺たちにこの作業をさせることで、一体どんな気付きを得させようという魂胆があるのだろう?
 文化部の女子などはすでに這々の体といった風で、普段は優等生で鳴らしているクラス一の才女ですら「これやる意味マジでわかんない」と愚痴をこぼしていた。

 四時間にも及んだ重労働がようやく終わった。
 我々は青息吐息になりながらバンガローに戻り、留守にしているうちに配膳されていた弁当で夕食を取った。
 食事のあとは管理棟の大浴場で汗を流し、続けて同棟内にある小規模な体育館でオリエンテーションを行い、本日の反省を四〇〇字詰めの原稿用紙にまとめてレポートを提出する。
 俺にとって今日の反省点があるとすれば、朝の集合時とバス内での美沙との出来事に他ならないのだが、そんなことは当然書けるはずもない。
 無難に枝打ち時のノコギリの使い方に難があった旨を書き留めて提出し、オリエンテーションの閉会と共に本日の全ての日程が終了した。

 寝床のあるバンガローに戻った途端、若さだけでは補えなかった疲れが一気に押し寄せてくる。
 就寝時間後にはありきたりな恋愛話や怪談話で盛り上がるのだと思っていたのだが、照明を落とした直後にはほとんどのルームメイトがすぐさま眠りに落ちたようだった。
 本音を言うと、もう少しだけこの非日常を楽しみたかった。
 だがさすがの俺とて、たった一人でそれが出来るほどの器用さは持ち合わせていない。
 仕方なく布団に潜り込むと、誰に言うわけでもなく「おやすみ」と声に出してから目を閉じた。


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