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関心領域という映画。


今日たまたまSNSで知ったこちらの映画。

こちらnoteでも記事にされている方が沢山おられますし、ネタバレ記事も沢山ありますが、
以前アウシュビッツを描いた映画のように、ストーリーで魅せるというよりも、ジョナサン監督曰く、想像して、知って、感じる映画になっているようで。

色々見て色々感じて、考えるということが大切なのかどうかというのはともかくとして
ノンフィクションに近い内容のものを音や視覚で感じる怖さは、
内容がフィクションの作り物をみるよりずっとホラーです。。。

怖がりな私はまだ見てないのですが、
人間の存在の根本を問う内容なのでは?と個人的には思いました。

こちらのブログもとても考えさせて下さいました。


この映画を観ても、何を考え感じたとしても、今の私たちはただの傍観者に過ぎないわけで。
それを目の当たりにする勇気は正直、今の私にはありません…

それこそ傍観者に過ぎないということに対して、無関心の人であれば、苦しくなることはないのかも。

池上さんのこちらの記事に、ハンナ・アーレント氏の言葉が載っていました。

この裁判を傍聴したアメリカ・ニューヨークの大学教授だった哲学者ハンナ・アーレントは、アイヒマンに“悪の凡庸さ”を見出します。平凡な人間が思考停止によって悪を実行するものだと指摘したのです。

アイヒマンのことを極悪人だと思っていたユダヤ人たちは猛反発しますが、アーレントの指摘は、誰でも思考停止すれば極悪人のような犯罪に手を貸すことになるというものでした。この映画を観ると、強制収容所で働く軍人たちや、その家族たちの様子は、まさに“悪の凡庸さ”そのものです

池上彰が映画で世界を解説!『関心領域』──ユダヤ人が虐殺されているときも、収容所の外では幸せな生活があった


この部分こそが、この映画において一番重要な部分なんだと感じました。

本当の意味で怖いのは、自分自身のそうした思考停止です。

普段当たり前に肉や魚を食べますし、今与えられている日常が、当たり前のように暮らしています。

その幸せのために、どれだけの人がどのような生き方をしているかは、一切解らず。
そして私達はその当たり前が崩れそうになったとき、その幸せを享受することがさも当たり前なように、声を大にするのだと思います。

それが悪か、正義か、

それを私達人間が裁くものでは決してない
と私は考えています。

神の采配は、平等だというのはそこにあると。


もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)