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生か死か

私は昔、子供ながらに母親が死んだらどうしようと、悲しくなる事があった。

それは単純に親が死んだあとに自分が生きていけなくなるかもしれない現実的な不安とか、そんなんじゃなくて、ただただ、命はいつか消えて、そのいつかは突然訪れるものなのだと知って、それが怖かった。

だからかもしれないけれど、母親のことが心配だった。大丈夫?っていつも気になっていた。無理させたくなかった。

ところがいざ私が母親になって、家族は皆私の体の心配なんてしない。持病がある者の気持ちも、慮れない子を産んだ覚えはないのに。

たぶん、これは甘えだ、と思う。

だから私はやはり側にいない方がいいのかもしれないと思う。甘えさせたことの代償は大きい気がする。

そしてふと思った。

あと◯年で確実に死にます、と自分のタイムリミットがわかるけど短命なのと、

常に医療処置が必要で持病があるけれど、長生きできます

というのはどちらが良いだろうか?

私としては前者が多いのではないかと思う。とはいえ後者がいいという人もいるだろう。極端な話、これは陰陽みたいなものかもしれない。

どちらを選んでも、逆が良かったと思うのかもしれないと思うのだ。

わたしは明日生きていると思うのは人間の傲慢さだと思う。だけど、その傲慢さは自分の中にもある。恐ろしいことだ。傲慢さがあるから、人は裏切られた気持ちになるし、傷つくのかもしれないと感じる。

傲慢さの対極は感謝だ。

感謝だけして生きている人間はいない。けれども、それはつまり感謝がない人間もいない。

陰陽の矛盾した生き物。それが人間。

人間という皮を被った 何か。


そんなことを考えてて、唯一私にプロポーズしてくれた人をふと思い出した。彼は今、どうしているんだろうか。あの時ではなくて、今出会っていたら、また違ったのかもしれないけれど。


もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)