談話(仮) Vol.2 「東京」について

※以下のやりとりは2020年5月某日、zoomにて行われました。

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プロフィール

K
千葉県青年実業家。
N
東京で好きな場所としてぱっと思いつくのは豊洲、新宿御苑、芝離宮、祐天寺、(人のいない深夜の)新木場。

東京=渋谷

K:テーマは東京でしたっけ?

N:そうです。

K:予習ができてません。教えてもらった本が買えずにいる。

K:なんだっけ…ああ『東京から考える』か。最後に読んだの結構前だから内容あんま覚えてないし、別に読まなくてもいいよ。

K:完全に後ろ盾がない状態。裸一貫でやっていきます。

N:とりあえずまず、東京と言えば〇〇みたいな簡単なところから。

K:渋谷のスクランブル交差点がすぐに頭に浮かぶよね。

N:風景として?

K:そうそう。

K:東京と言えばあの風景。
ちょっと疑問があったのは、吉幾三の歌あるじゃん。あの東京ってどうなんだろうという。

N:どうなんだろうというと?

K:あの曲の東京って、奥多摩の大自然の広がる東京、ではないじゃん。
今日もバス旅で奥多摩が映ってたんだけど、あれも一応東京じゃん。東京さ行くだ、って上京した人が高尾に行くとは思えないわけよ。

N:でも不動産屋さんにだまされてそっち行く人いるじゃん。

K:東京っていうとどうしても渋谷の、スクランブル交差点とかさ。あとはどこかなーって感じ。

N:東京と言えばビジュアルが浮かぶってことなんだよね。

K:視覚的なんすよね。

N:言葉じゃなくて。

K:そうそうそうそう。

N:それなんでだろうね?

K:テレビ見すぎってのもあるんだろうけど。よく映るじゃない。

N:それこそニュースとかでもね。

K:今回のコロナのことでも、必ずスクランブル交差点を映してさ。

N:人がいない風景を。

K:そうそう。あれ不思議じゃん。

N:なんであそこなんだっていう。

K:やっぱりあれを東京って思ってるのかなー。

N:そうね。あそこにカメラをわざわざつけてるわけだからね。

K:あれでずっと監視してる。
こんな夜中でもスクランブル交差点歩いてるやついるんだとか。
非常事態が出てるのに人がいるんだなーとか、当たり前じゃないですか。

N:まぁお店もあるし会社もあるからねぇ。

K:で、自分が以前働いてたところが桜丘だったから、そこもなんか自分自身に象徴的なんだよね。結局俺は「逆側」なんだっていう。特に意味はないんだけど。

N:あーそういうこと。渋谷のメインに対して、ってことね。

K:大学の時は、渋谷がすごい身近だった。ちなみに新宿は遠い存在だった。
働き出しても通ってたから、自分を象徴する場所として固執してたっていうのはある。漠然とですけど。
逆にいかがですか。(グラスを見せてくる)

N:それ何飲んでんの。

K:キリンレモン飲んでますね。

N:最高じゃん。

K:ドン・キホーテで安いんすよ。

乖離すること

N:東京ね……。東京で生まれ育ってるけど、元々だし、年齢を重ねるごとにそうなってるけど、東京ってものに対して距離感があるよね。住んでるし、今もいるけど。
なんか、自分と乖離している概念。ひとごとというか。
たとえば東京でなにか起こっても、親身になって考えることができない。
これってざっくり、卑近な言い方で言うと、東京で流行ってます、っていう打ち出し方をされるもの、食べ物とか服でも、いいんだけど……。

K:チーズドックね。

N:……あとおれが小学生、中学生の時にはやった裏原みたいな。原宿とか表参道って、距離近いわけじゃないですか。行こうと思えばすぐ行けるところなんだけど、お金も別に無いし、おしゃれでもなかったから、買い物とか行かなかったんだけど。
ブームで、とか言われても、自分とは関係ないものっていうか。
メディアとかで出されている東京っていうものと、自分が実際に住んでいる東京ってものが、乖離してる。年齢を重ねるごとにどんどんそうなってる。
でも一方で、それって東京に住んでるからそういう言い回しができるのかなと。
東京以外のところに住んでたら、良くも悪くも、東京との人の流れ、ものの流れとか、仕事や遊び、東京を対象としてとらえて、関係を作っていくということをしなければならない。やらされてしまうというのがある。
でも、自分は東京に住んでるから、「よくわからない」という、ある種無責任な態度がとれるっていう。
概念的に、考え方的に、良くないとは思うんだけど、概念のおもちゃみたいに扱うことができるというか。
東京に住んでるから東京のこと関係ないって言えるっていうか。

N:おれは距離感をつめちゃってるんだよねぇ。これは単なる習慣というか、癖なんだろうけど。今住んでる千葉よりも東京の感染者数のほうが気になっちゃう。

K:それは千葉にいるからじゃなくて?

N:千葉にいるとすれば、千葉のことを気にするじゃん。

N:いや、俺の言ってることはそういうことだよ。例えば俺も千葉にいたら、東京のこと気にするかもしれないってこと。

K:なるほどね。東京離れたからな、ある意味では。

N:逆にあなたが東京にいたとして、東京の感染者数を気にしてたか。……してたのかな。

K:気にしてると思うよ。

N:いや、おれもさ、感染者数っていう、そのモチーフ?その話題で言えば俺も気にしてるよ。もっと違うことなんですよ。
もっと抽象的な、イメージのこと。
具体の情報……それはおれも東京の天気のことは気になるし、天気とか、電車がどうとか、は気にしてるよ。
ただまぁそれは別に、自分が暮らしてる場所のことを気にしてるだけであって。

K:情報としてか。

N:情報としてだね。
でもあなたが言ってるのはもしかして情報としてじゃないかもしれないね。なんか東京のことを気にしちゃう、っていうのは。

中心と距離

K:正直に千葉に来て生活がそんなに変わったかっていうと、変わってはいないと思う。スーパーに行って買うものだってそんなに変わらないし。
心理的な距離なんだよね。心理的な距離は東京とはすげー離れた。
実家と渋谷は30分くらいで、こっちから出ようとすると1時間くらい。その30分ってそんなに変わらないじゃん。でもすごい離れた気がする。
「東京にいる」っていう心理性、ってのは強いなー。

N:心理的な距離っていうのは、物理的な距離以上に離れている気がするってことだよね。物理的には30分離れたくらいなんだろうけど。

K:それと、小岩に知り合いがいるんだけど、小岩って、川を越えるともう千葉じゃん、それは越えたくなかったんですよね、って表現をしてたんだよ。それってなんだろうって。

N:それも物理的な距離としては川を越えただけで、大した距離じゃなんだけど越えたくないっていうのは、心理的な距離を近づけたいっていう気持ちがある。
心理的な距離でいったら俺は離れてるんだろうね。

K:そうなんだよね。それがおもしろいところでさ。東京に身を置く人が離れていく……。

N:てかまず興味がないじゃん。興味ある?東京に。東京で起こってることに。

K:興味はあるよ!あるある。

N:それはまぁ心理的な距離の近さなんだろうね。関心を持ってるっていう。自分の矢印が東京に向いてるっていう。

K:向いてるし、価値をもってるんだろうね。

N:価値ねぇ……。あるか?東京で起こってることが、貴重っていう言い方はあれだけど、いいこと?

K:なんか、そういう心性になっちゃうよね。まぁ生まれ育ってところっていうこともあるんだろうけど。弟が茨城に住むことになったんだけど、東京から離れちゃったーと言ってて、すごい嫌がってたねー。都心を離れる、東京を離れるのが嫌らしい。
でも大して、すごい遠いわけでもないし、なんなんだろうと思うけどね。

N:それって利便性以外のことで嫌がってるってことでしょ。

K:多分ねー。東京ってものに価値を見出してるんだろうね。

N:宇都宮なんて…東京みたいなもんじゃん。

K:北関東最大の都市だからね。

N:渋谷みたいなもんでしょ。

K:逆に便利なんだよね。

N:ひとところにまとまってるイメージ。

K:名古屋に旅行に行ったときに、栄が、これ東京じゃんって思った。沖縄の国際通りも東京じゃんって思った。

N:まぁ言いたいことはわかる。

K:でもなんでここで暮らせないのかな、って。暮らしたいと思わないのかなと。

N:なんでだろうねぇ。差異があるってことなのかね。東京じゃん、って思うけど何か違う。

K:でもやっぱり自分の中に中心の……中心思想みたいなのがあるんじゃない。

N:中華思想じゃん。

K:そうそう。

N:東夷、北狄、西戎、南蛮みたいな。

K:万里の長城を築いてね。

N:あなた始皇帝なの?

K:中心にいたいっていう。その中心っていうのは作り上げられたイメージでしょ。
まぁでも今はそんな感じもしないけど。だるんだるんになってるね。
『東京から考える』ってどんな本なの?

N:おれが印象に残ってるのは、今の話ともつながるかもしれないけど、再開発問題についてかな。
地方都市で開発が進んで、国道がひかれてロードサイドにお店ができて、ショッピングモールが一個できて、みんなそこで買い物して、小さい商店はつぶれて、ってどの地方でも同じことが起こってるじゃないですか。それはまぁ街の個性がなくなるってことですよね、ってのがあって。
そっから下北の話になるんだけど。個性的な街として愛されてる場所だけど小田急の開発がすすんでいくという状況があった。
北田暁大は、そういうのはよくないって言ってて。
それに対して東浩紀が言ってたのは、ジェントリフィケーションって言っていいのかな、万人にひらかれた町、どんな人でもアクセスしやすくて楽しめる街ってのを指向していったら、再開発されることは善であると。
車いすのひとが入りやすい街の構造と、下北の構造とは相反してると。小さい階段があるとか、狭い路地があるとか。
いずれ、どんな街も同じ形になっていく。リベラルな考え方に基づいて、障碍がある人にも優しい、お年寄りもやさしい形。
みんな一緒になってくから、下北の再開発に文句いったってしょうがない、っていう意見だった。
北田さんは街の個性、歪みみたいなものがあったほうがいい、といってて、読み直してないから記憶はあいまいだけど、論旨が弱いなとはおもったよ。そこに裏付けがないから。
実際、現代の社会の人間に対する考え方を広めてったら、東浩紀が正解になってくる。
そこでショッピングモールというモチーフが重要になってくる。あそここそ、どんな人間でもアクセスできる場所。車は必要だけど。
フラットで、スーパーフラットで、差異がなくて、段差がなくて、等しく、等価に店がならんでて。

K:そうなると今自分が住んでるところもそうなんだよね。イオンあるし。そういう便利さもほしいよね。

N:便利さと歪みのいいとこどりみたいな状況を、今はまだ維持できるかもしれないけど、これから先どうなるか。
東京の話につなげるなら、よくある、街の良さがどうとかこうとかって話あるじゃない?
渋谷も開発進んで、店がなくなって、それって結局、まぁ、しょうがないっていうか、時間が経つと必然的にそうなってっちゃうんじゃないのっていう、ある種の冷淡な部分は、俺の中にもある……けど、最近また思うのは、それって個別の事象を無視してる言い方だよねっていう。つぶれたお店にも働いている人いるっていう、当たり前のことなんですけど。
お店がつぶれて、街がどんどんかわっていくのは、しょうがないっていう発想って、寿命が500年、1000年くらいある人の考え方だよね。全部が同じになってもしょうがないでしょっていうのは。
結局我々の生きている時代の中に、我々の人生が、人生って言葉は使いたくないけど、人生がそこにはまってる。
そういう枠をとりのぞけば、確かにその通りですよ。100年も200年もたてば多分フラットになってくし。
所詮、東急様には勝てないっていうかさ。彼らのロードマップではもう決まってるんですよ。この辺の地主は死ぬから何年かしたら買い取れるとか、そういうのも把握して管理してやってると思うんですよ。子供の数とかも。
彼らの計画しているロードマップがあるんですよ。今回みたいなことや、天災が起こったら多少は狂わざるを得ないけど、大枠は多分かわらない。
渋谷がこうなることも決まってたし。乗降客数とか、渋谷にいる人の数とかも見越して、じゃあ落ちてきてるから上げようとか、やってると思うんだけどね。
企業単位じゃなくて国家単位でもやってるだろうし。東京の街についても、開発を進めることや、企業に働きかけたりすること。
このちっちゃい人生の中で文句を言っても何も変わらない、っていう部分と
それはそれとして、人の人生は100年未満だから、その中で声を出していく、というのは、無駄ではないとは思う。けど、どっかで大枠は決められた道筋はあって、自然にそうなっていくというのがあると思うんですよ。
ジェンダーフリーとか、バリアフリーとか、っていう思想をよしとしていくならば、必然的に。
個で対応するには限度があるのはみんなわかってるじゃん。お店単位で車いす運びますねっていうけど、対応できないところもあって、乙武さんの話みたいになる。
うちの店に来るな、っていう自由を認めることと、バリアフリーとかジェンダーフリーという思想は、相反してるんだよね。来るなって言っちゃいけない。みんな来てって言わなきゃいけない、それがリベラルじゃないですか
でも一方でなんか、そこがリベラルの二枚舌なのかもしれないけど、古き良きみたいな、アクセスしずらいところを残す、そういう街を残そう、ともいう。
クレーマーがきて文句を言うことと、人に優しくすることは相反してる。東京って街もこういう二枚舌、だなと。

東京と「地方」

K:漠然と思ったのは、7、8年東京で働いたけど、どの職場もせかせかしてたんだよね。時間の流れが速い。
今は違う。せかせか感がない。東京に比べておおらかっていうか。
東京は失敗できないっていう恐怖、監視されている感覚が強かった

N:それはいいことじゃない?

K:自分にとってはいいことだったんだよね。東京が変なんだというのがわかった。
周りにびくびくしながらへこへこしながら、やっていくのが社会だと思ってたけど……過剰に気にしてたね。

N:えぐいね。

K:今までの職場がえぐかったのかもしれないけど。

N:いやでもおれも、それは同感。

K:全体的な傾向としてあると思うんだけどね。人の目がきつい。
すごく相反する言い方なんだけど、東京で働きたいとは思わないんだよね、でも感覚的には好きなんだけど。
自分の中で引き裂かれる感がある。好きだけど……みたいな。人生をここに乗っける気にはならない。複雑っちゃあ複雑。
東京ってのは感覚的なもんなんだろうね。

N:実体じゃなくて?

K:人それぞれが思ってるイメージが集まってる。虚像というか。
我々二人は比較的出身地は近いし、生い立ち的には似てるじゃない?

N:そうね。

K:なんとなく、暮らし的なものも似てる。

N:うーん。

K:明日食うものがないって経験はしてきたことないでしょ。

N:まぁ……。

K:東京じゃないところ出身の人と話すと、「大変な苦労があったんですね」って思う。

N:「大変な苦労があったんですね」?????

K:一人暮らしとか大変ですねとか。
あと「上京」って言葉にもある種思想が入ってるわけじゃない?

N:「上」って言葉が入ってるから。

K:上がってくるわけだからね。

N:でもちょっと話ずれるかもしれないけど、東京はギスギスしててミスは許されないってのは、おれもほんとにそう思ってる。仕事でも思ってる。日々の社会生活もそういう感じなんだよね。
これはこの二人だけの話だから、もっと他の人に話を聞かないと、わからないけど。
今そういう実感ふまえると、東京にいいところないじゃん。おれもそういうのが嫌なんだよ。
だから、東京に対して、知ったこっちゃないという、愛着もない、ってことになる。

K:地方転勤とかあったらいく?

N:うん、行くかも。

K:まじかー。

N:行くかも、なんて人任せな考え方だけど。

K:自分はね、行けなかったんだよね。転職の時に、沖縄って言われたんだけど、むりむり、っていう。
周りの人に相談したけど、誰か止めてくれ俺も、みたいな。
その時は東京を離れられなかったんだよね。
今の職場を受ける時も、選択肢の中から、都心に近いとこを選んだ。物事の基準になってるんだよね。

N:でもそれは、知らなかったからで、今千葉で働いて、色々わかったこともふまえると、沖縄っていうのは、今だったらもっと……。

K:ない。

N:今でもないの!?……なんかちょっと違う話になっちゃうね。沖縄という場所の話になっちゃう。
じゃあ沖縄っていう地名を言わないけど、他の東京以外のところで働くことに対するハードルは……。

K:それはもうないね。

N:おれも実際やったことないことをできると言ってるからあんま根拠ないけどね。

K:自分は30何年生きてきたけど、東京というイメージを、ちょっとずつ、作りあげてきたんだろうなと。離れてある意味、壊れた部分もあれば、作った部分もあるんだろうなと。

N:うーん……。

K:どこ出身ですか、って言われたら東京、って迷わず言うというか。

N:言うだろそれは(笑)。ほんとなんだから。

K:今は千葉なんですけどね、って時にそう言い訳してるよね。

N:いやまぁ言ってることはわかるよ。

K:おれ中心にいたんすよ~今は違うんすけどみたいな。
ある意味、わかんないんだけど、ふるさとと同じかもしれない。東京じゃないところ出身の人にとってのよりどころみたいな。

N:いやふるさとでしょだって(笑)。地方の人にとってもなにも、東京はあなたのふるさとでしょ。

K:「ふるさと~」みたいな。

N:ちょっとよくわからない。

K:ジミーちゃんですよ。

N:さんま師匠ありきのやつ?全然知らねぇわ。
そりゃふるさとは大抵の人にとっては心のよりどころでしょ。

K:表現がむずかしいなぁと思うね。

N:東京は嫌いじゃないんでしょ?

K:嫌いじゃないんですよ。ラーメン二郎みたいなもんなんだよね。

N:行ってねぇだろ最近。

K:野郎ラーメンは数か月に一回行くけど。隠れながらね。

N:堂々と行っていいと思うけど。

N:本家の二郎なんて何年も行ってない。最初に一緒に行ったの目黒だっけ?

N:そうだよ。おれはそれが初めて。

K:次が梵天でしょ。

N:梵天のことはいまでも考えるよね。あれっぽいラーメンってないの?って思ってるけど、どう探したらいいのかわからない。

K:他に似たようなのないよね。

N:盛り付けとか麺が二郎っぽかっただけで、味は違うよね。

K:インスパイア系としてね。

N:でも違うと思う。

K:極端にうまかったって記憶がある。

N:それ、あなたの良くない癖ですよ(笑)。極限まで過去を美化するやつ。

K:おれが発見したけどあなたに追い抜かれたからね。

N:週一で行ってたから。
後日談で、梵天で働いてた人を渋谷の他のラーメン屋で見たんだよね。

K:凛でしょ。

N:いや違うんだけど。

K:こんどラーメン花田に行きましょう。上野か池袋。くるりに近いんすよね。
話し戻すわ。東京のイメージなんだけど、靖国神社ってのもある。
19の時からあそこの桜を見てるから、自分を投影してるというか。
象徴的なものを求めていくよな。区切りっていうか、人生の。
あと渋谷のスクランブルと、通ってた大学のキャンパスかな。その辺の記憶は強い。
あとは人かなーと思うんだよね。東京にいる人たち。その人たちのイメージ。場所と人。
東京という自意識にからめとられるというか、抱かれてんのかもしれないけど……。

N:……それ抽象的じゃないように聞こえるね。かなり具体的な場所と、存在している人間が、私にとっての東京ですと言ってるように聞こえるけど。

K:だから新宿も頭に思い浮かばないし。

N:だから、全体性はないってことだよね。包括的に東京をとらえているわけでない。東京全体を東京と思ってなくて。

K:そうそうそうそう。

N:すごい個別な、せまい範囲、限定された範囲の空間や時間、人を、東京としてる。

K:個別な事象を無理やり東京と結びつけてる。

N:それはまぁ、納得できる。

K:ちなみに中高の記憶はないね。忘れ去られている、ムー大陸的な。

東京っぽさとはなにか

N:ちょっと2つくらい話したいことあって。
1つは、東京っぽさってなにかってこと。「東京性」、”tokyoness”とでも言おうか。
そういうものがあるとしたらそれはなんなのか、ってことと。
あと、未来の、これから先の東京はどうなるんだろうってこと。
これらに関して、知ったこっちゃないっていうのも、一つの態度だからそれでもいいんだけど。

K:東京性っていうのは、ちょっとうまくまとめられないんだけど、やっぱりね、情報と攻撃性
今そんな場所でも触れられる情報って大して差がないじゃん。でも東京で情報を得るという優越感がある。
情報って東京から発信されている、っていうのはもう誤解なんだけどさ。
そういう虚像に近い、という優越感。虚構世界なんだよ。

N:東京が?

K:中心なんだっていう。

N:中心なんだっていう虚像?

K:……に近いという優越感。
と、非常に攻撃性を感じるね。

N:攻撃的な都市だと。

K:なわばり的な。

N:なわばり……?

K:同質的なものには優しい。ものすごい近づく。同質性があるものは、より近くなるってこと。

N:逆にそれがないと、攻撃し合う。

K:そう。

N:それってでも、人間性じゃない?人間の特徴なんじゃない?場所に依存してんの?

K:一般的なあれか。

N:人間みんなそうじゃないのか?東京という場所がそうさせてんの?

K:やっぱりなんか、競争なんだよね。

N:一般的な考え方で、東京で競争原理が強まるってのはあるけど。いろんな場所から、人が多く、優秀で能力のある人が集まってくるから、的なやつ。より競争が激化する。

K:そうそう、そんな感じ。

N:ダントツに誰かがトップになれば競争にならないけど、ある程度似たような能力の人たちが集まるから競争が激化する、みたいな。
でもこれは一般論、よく聞くタイプの話だけど。

K:やっぱりみんな東京を選ぶよね。
ばらばらな個人が、東京に吸い寄せられていく。だからみんなばらばらんだよね。
でもそこで同質性を見つけようとか、逆に違いを見出そうとする。そういう鋭さが東京はより敏感になってると思うんだよね。
まなざし、っていうの?人へのまなざしが。

N:厳しい目で見てる?

K:品定めだよね

N:品定めしなきゃいけない場所だから?品定めしなきゃいけないのはなんで?

K:結局みんなが集まってくるから。で、みんなばらばらじゃないですか。

N:異なる性質の人たちが集まってくる。

K:だからより人との違いしか見えてくるでしょ。

N:ああーそういうことか。

K:人へのまなざしとか、あたりが強くなってくるんだよね。

N:違いばっかりが目立ってくる。

K:違うがあるのは当たり前のことなのに、っていう。
そのー、接触が多いんじゃない?人が多いから。

N:違いをはっきりさせる機会が多いってことか。

K:気が付いたらずっと競争してたからね。レースしてた。

N:それは俺も実感としてあるよ。

K:周りはライバルでしかない、みたいな。

N:同質っていうよりも、違いが目立つこと、そこで競わされる、というのが、東京っぽさ?

K:攻撃性、というのは違うかな……。

N:いやでもさっき、人間がみなそうじゃん、って言ったけど、その強度が東京は……。

K:強いと思うよ。

N:さっきはさ、どこの場所でも同じことが起こってるんじゃないのと思ってたから、そういう言い方をしたんだけど、話してあらためて考えると、東京はその攻撃が激しい、強い、ってなってるとしたら……そんな嫌なことはないね。

K:絶望でしかない。

N:ぴりぴりしてはいるよね。ほんとにそうだと思う。

全てが東京になる

K:そういう東京性が飛び火してる感じがするね。

N:飛び火?他の場所に?東京固有ではなくなってるってことか。

K:元々は東京が強かったけど。

N:それは情報社会的なこと?

K:そうそう。ほとんど同じ情報がどこにでも行くじゃん。

N:東京的競争原理、差異の過剰化が、東京以外の都市でも再現されているってことですかね。

K:いつまでかだったのかはわからないけど、東京に来ないと競争に参加できなかった時代があるわけじゃん。でも今は違うじゃん。どんな地方都市にいてもできる。そのシステムが備わっている。自分の家で最先端のものができるわけじゃん。
そうなると、もう始まってると思うんだけど……。

N:関じゃん。

K:もう始まってるから!

N:あ、わざとじゃないのね。関のまねかと思ったよ。

K:アマプラの『古代の宇宙人』見てください。関はあれをやってるだけ。

N:でも関のやってることって、俺が小学生に読んでたノストラダムスの本と同じだからなー。

K:東京性は、東京という場を共有しなければならなかったのが、もう場所は関係ない。全部が東京になりつつあるという。

N:あ、未来の話でもある、と。

K:スムーズに移行できたと思うけど。

N:東京自体はどうなるの。

K:「首都」東京という価値観は残ると思うけど。実質全部が東京になるだけ。

N:東京に特別なところがなくなるってことは、人が集まらなくなる可能性があるってこと?

K:それはちょっとよくわからないけどね~。鳥取と島根はなくなると思うけど。

N:なんでだよ(笑)。ピンポイントで攻撃したんだ。鳥取と島根はあっていいわ。

K:今はどんどん人が東京に集まってるけど、この今の状況によって、仕事は家でもできるんだっていうね。行かなきゃいけない、ってことはない。そういう価値観はやめにしてほしいんだよね。
時間が経てば経つほど、東京に固有の東京性がなくなって、全部が東京になってくる。
パソコンで個人でいろいろできる。フラットになっていくかなーと思うんだよね。
パルコがないだけで。同じものを同時に楽しめる。

N:パルコもあるけどね、地方に。

K:宗谷岬にパルコができたら大したもんですよ!

N:なんなんだ、急に。落語家みたいな語り口で。

冷淡さと消費

N:いやおれもまぁ、いずれそうなってくんだと思うけど、俺の東京っぽさは、自分の中での東京っぽさと一般的な東京っぽさがあるような気がしてて。
今言ったような攻撃性と差異は、一般論的なところでは、その通りだと思うけど、個人的には違うところがあって。
自分に引き付けて話しちゃうんだけど、冷淡さとか、無関心さとか、固執しなさとか、なげやりさ、っていうところが、東京独自のものかなって気がするんだよね。他のところで見られない、固有のもの。ほんとはこれなんじゃないの、って気がする。
こういう例を出すのは間違った日本思想だと思うけど、江戸時代から、全部ぶっ壊して明治以降の街ができて、戦争があって壊れて、また建てて、なんか、そういうことじゃないのかなって、東京って。
例えばヨーロッパの都市とか、何百年も前の建物が多く残ってるけど、東京ってないでしょ。個別で見ればあるけどさ。そういうこだわりみたいなもののなさのこと。
イメージでとしては、「そこのコンビニ、前はなんだったっけ……まぁいいや」っていうのが本質。
それがベースとしてあるんだけど、人間はそれを認めたくないから、こだわったふりをしてるけど、東京ほど、過去に関心のない都市はないんじゃないのっていう。日本の特徴でもあるのかな……。

K:渋谷で働いてた時の五か月間なんだけど、ほんとに人を消費するんだなと思ったね。
例えばパンを消費するってのはあるけど、人を消費しちゃだめじゃん。
パン腐っちゃったよ、ぽいっ、ってのとさ、人を捨てるとか、消費するってのは、自分の中では違うのね。それやっちゃだめじゃん
ずっと消費される感じがあって。職場で、2日でやめる人もいれば、1か月でやめる人もいたわけ。でも淡々と上の連中はやってた。
そこで、自分たちの目標のために人を消費してくっていう感覚を実感しちゃったという。
それがもし東京性だとするならば、まじやべぇなと思った。
そこから千葉にすぐ来てしまったので、ほんとに実感したかは微妙なんだけど。
あの場にい続けたら、極端な話、死んでたんだなって。
人が消費される街、みたいな、そういうイメージはあるね。東京の他の職場でもほんとはあったね。
職場の人たちがが1年契約で淡々と切られていくわけ。その人たちにもその人たちの事情があるのに、この人たち明日からどうするんだろうって、ずっと思ってた。
だけどそこにある種の冷淡さがあって、自分じゃないからいいやみたいな。自分自身も消費してるし、冷淡さを持ってるし、助かったーっていう感覚は正直あるよね。
まぁだから、本気で、自分にどうでもいいやつってどうしてもいるから、そういう人がどうなろうとどうでもいいよって、なっちゃうんだけど、で、ここからはいい話なんだけど、あなたに人生どうなっちゃうかわからないって言われたら、こっちも、え!?って思うわけよ。勘弁してくれよどうにかしようぜ、ってなるわけ。
やっぱり一か月前にも言ったけど、あなたとおれとでは共有する部分もすごく大きいし。
いやおれ明日からどうしたらいいかわかんねぇんだよって言われたら、とりあえず10万貸そうかってなるわけよ。
だけど、渋谷で働いてた時の人たちに、おれの人生どうにかなっちゃうんですけどって言われても、別にしょうがないんじゃない、自分で選んだ道だからがんばってよって、言っちゃう自分もいるし。
逆に向こうの人も自分に対してそう思ってたと思うけど。
だから気づかない間に自分も同じような思考になってたかな、ってのはあるよね。

N:言われて、はっ、て思ったのは、冷淡さは消費の感覚と結びついてる、ってあなたは解釈したってことだよね。

K:そうそうそう。自分の中ではイコールみたいな感じで言ってしまったんだけど。

N:まぁそれはあんまおれは気づいてなかった。言われてみて、ああそうかって感じ。どうなのかねー。

K:使い捨て感ってのはある。

N:それはなんとなくわかるけどね。

K:そういうのを見てきてるから知らない間に、自分さえ助かればいいやっていう感覚にはなるんだよね。
今でもつきあいがある人たちってのは、前の職場の時の上司だったけど、そういうのを度外視で付き合ってくれたっていうか。
今でも連絡もとりあうし、ラインするし。コロナ大丈夫ですかって聞くしね。
みんながみんな消費してるとは言わないし、消費を越えた、なにかね……「みんなが幸せになればいい」的なね。つながり?
くりぃむしちゅーが言ってたけど「心の交流」ってのがね。

※「男の決断」というコーナーを参照

なんつーんだろうな、ギスギスした、その攻撃性の中だからこそ気づいたのかな。
例えばさ、小学校1年生の時はみんな仲がいいから、その感覚はないよね。

N:そういうなんか、攻撃し合う状況だからこそ、つながりの大切さに気付いた、私の思い出……。

K:そうだね(笑)。

N「わたしのおもいで」の話なんだよ(笑)!さっきから!聞いてたけど!黙って!
そこから東京の話にしないとさぁ……(笑)。あなたの個別対応の話だから!それは。

K:なんだろうね。

N:それは東京じゃなくたってどこだって起こってることだよ。

K:そうだね。沖縄のうるま市でも起こるね。

N:なんだったらうるま市のほうが起こるかもしれない。
いやでもちょっとまた話を戻すけど、冷淡さ、固執しなさが東京っぽさってとこと、消費する姿勢、人間でも何でも、消尽して、使いつくして捨てちゃうみたいなところが、いま言われて気づいて、そうだなって思ったし、東京の中でそこがつながってる、と思った。
あとおれさっき言った、100年ベースとか500年ベースで考えれば、お店がつぶれて、なくなっていくっていうのは正義っていうか、正しい、っていうのはさ、「後に残る」、という正しさだよね。
結局それは、最終的には、そうなってくんじゃないのっていう。これもまた冷淡さだよね。
それと、個別の人生を見たときに、人間ってたかだか80年から90年しか生きないから、自分が生きる中で、自分が排除される側になるってことがありえる。これがいわゆる消費されること。
冷淡であることを受け入れることと、消費されることの危険性、みたいなところが、つながってる。
長期で見れば冷淡、個別でみれば、消費されることっていう。長いスパンで見る時と、短いスパンで見る時みたいな。
おれの個人的な考え方でいうと、その2つって、矛盾まではいかないけど、逆っていうか、表裏一体って感じかなと。
で、これから先、東京はどうなってくか、って、俺の考えを言うと、ぶっちゃけ、冷淡さが勝つかな、って感じ。
それはなんかある意味諦めなのかもしれないけど。

K:東京がもう一回人と人とのつながりを、みたいなのはないよね。

N:ないんじゃないかなーと思うね。

K:それこそ、70何年前、東京大空襲みたいな。戦争で焼き払われたわけじゃない。そこからのあれだったわけでしょ。

N:それも別になんか、別になんもなかったんじゃないのって。誰もまともに考えなかったし、文学的なところとかもさ、誰がまじめに戦争のことを考えて、真面目に小説を書いてたのとかさ。日本の作家は別に、被害者として、とかはあったけど、多面的な、複雑さで書いた人って、誰がいたのって、誰もいなかったんじゃないのって。
大江健三郎とか……戦後民主主義みたいな、そことの葛藤とかあるけど、一人でやっててもなーと思うし、戦争があったからってのもなくて、ただみんな、個別の事象はあったけど、総体で見たときに、日本、東京ってものが再構築された、より良いものになったかっていうと、別になってない。
で、それがずっと続いてる。これから先も続くし、なんだったらここ10年とかでみても悪化してる。それは人類全体が悪化してるのかもしれないけど。
東京って単位でみても、日本って単位でみても、だいぶ悪化してる気がするよね。良くない方向の進んでる気がするし。
これから先も切り替わらないような気がするし。

K:せっかくだから、今回のことで、変わってほしいよねってところはあるんだよね。

N:そうね。なんか、下手したらなんかこの、コロナ以前がよかったよね、って言われかねない。

K:そういう風潮があるよね。

N:それは非常におそろしいというか。そんなことなかったし……。

K:今回全然違うかもしれないけど、夕方のニュース見るようになって思ったのは、街頭インタビューで、政府がちゃんと言ってくんないから、とかあるじゃん。それいちばんやばくね?っていう。上の人がそうしろって言ったらそうするのかっていう。

N:言ってくんないってのは、強制的な意味ってことね。

K:そうそうそう。政府の方針がわかんないから判断できませんよねっていう一般市民いるんだけど、それやばくない?っていう。自分で何にも考えないの?っていう。

N:……ちょっと話が違ってきちゃってるから。ちょっと一回やめてから話そう。

K:次のテーマはこれでお願いします。

N:とりあえず終わるか。

(次回のテーマは「2020年代」を予定しています)

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