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#ネタバレ 映画「逃げきれた夢」

「逃げきれた夢」
映画「生きる」を連想
2023年製作 96分
2023.6.12

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

久しぶりに映画を観たくなり、ちょうど目にとまったこの作品を観てきました。

やはり、おじさんには、おじさんが主役の映画がなじみます。

しかし、始まって「?」と思いました。

画面が小さいと言うか、4対3だった昔のTVみたいなのです。

いくら予算が・・・と言っても、今どき映画館ではめったに無い画面なので、多分に意図的なものでしょうか。

でも、内容がしっかりしているので、いつの間にか、小ささは、まったく気にならなくなりました。

そして、これは、定時制高校の教頭を務める主人公・末永周平(光石研さん)の物語ですが、映画「生きる」を連想しました。

ならば、小さな画面は、役所の窓口の心理的な面積でしょうか。現段階ではオマージュかは分かりません。

追記 2023.6.13 ( 役人と国民の間にある溝 )

>そして、これは、定時制高校の教頭を務める主人公・末永周平(光石研さん)の物語ですが、映画「生きる」を連想しました。

映画「逃げきれた夢」は、定時制高校の教頭先生のお話ですが、「公務員」というワードが2~3回出て来ましたし、「勝ち組」「退職金」などの言葉もありました。生徒たちは「公務員」である先生を羨ましく思っているようです。

どうやら、このお話は、学校問題、家庭問題、友情問題というより、「役人と国民の間にある溝」を描いたもののようです。

主人公・末永周平は、概ね、教頭という立場をけがさないような好人物に描かれています。

しかし、彼は役人の記号なので、管理される国民(主人公以外の登場人物)との間には、自然と溝ができるのです。

( 末永周平は、周囲から「(法律を押しつけて来るから)自分勝手だ」「(国民のプライバシーに立ち入っても)自分の事は語らない」と言われます。これなど、国民から見た役人のイメージだと思います。)

高校が舞台になっているのは、「(先生と生徒で)管理する者と、される者をデフォルメする狙い」があったのではないでしょうか。

追記Ⅱ 2023.6.13 ( 映画「生きる」との類似点 )

映画「生きる」と関係があるとしたら、どのような類似点があるのでしょうか。

①映画「生きる」の雪は、②映画「逃げきれた夢」のチラシの、降るような白い文字に。

①のブランコに座る男は、②車イスの認知症の父の横に座って、独り言を言うシーンに。

①町工場へ転職していった部下(若い女性)との心の交流は、②定食屋で働く、5年前の教え子の女性に。

①の「いのち短し 恋せよ乙女」の歌は、②校内で目に余るイチャイチャをしている男女の学生に対し、「仲良きことは良い事だが、場所をわきまえて…」と注意し、気分がすぐれない女性の方を心配し、保健室の先生に、「それとなく妊娠していないか調べてもらう」話に。

①の主人公は病気になって人生を考える事に、②の主人公も病気(認知症!?)に。

①の公園は、②の冒頭に出て来た公園に。映画「逃げきれた夢」には直接関係がないにもかかわらず、映画の冒頭に「公園」という記号が出て来たことは、オマージュの可能性が高まったように思います。

追記Ⅲ 2023.6.13 ( 病気になり「父のように管理される側になることで」解放される主人公 )

映画「生きる」では公園を作ることが第二の人生でしたが、映画「逃げきれた夢」では、早期退職で役人を辞める事が第二の人生になるようです。

しかし、40年間役人をしてきた人間に、退職したから別人になれと言っても困難でしょう。

「仕事が人を創る」からです。

その辺りは、映画「逃げきれた夢」でも分かっているようで、ラストにはほろ苦さが漂っていました。

追記Ⅳ 2023.6.13 ( あじけない )

映画の帰りにカレーのチェーン店に入りました。

しかし、テーブルに座っても水を持ってこないのです。

ふと見ると、テーブルにはコップと水差しが。

箸やスプーンなども置いてあります。

そして、タブレット端末で注文します。

だから、店員さんが来る必要は無いのです。

タブレットで注文するとカレーを持ってきました。

食べ終わって、レジでお金を払い、店を出るまで、無言でいようとすれば、双方が無言でいられます。

本文で、4対3の画面が「役所の窓口の心理的な面積」でしょうか、と書きましたが、最近は、民間の客商売でも、もっと狭い店があるようです。

追記Ⅴ 2023.6.15 (関心を引きたいときにも、人は我がままを言う)

(認知症!?)になって、人生を考える事になった先生・末永周平。

かつての教え子(女生徒)が店員をしている定食屋でランチをとるのが日課のようですが、ある日、お金を払わずに店を出てしまいます。

店員は追いかけて来て「先生・・・お金・・・」と言いますが、最初こそ「え、お金払ってなかった? ごめんごめん・・・」と言う先生でしたが、すぐに、「おれ、病気なんだ、忘れるんだ・・・」と言いなおし、財布から出した1,000円札を、またポケットにしまい、無銭飲食のまま帰ってしまいます。

呆然と見送る店員。

私はこの時、先生が確信犯的に無銭飲食をした理由が分かりませんでした。

しかし、映画の後半を観て、なんとなく分かったような気がします。

後半には、「店員が、店主には内緒で、お金を建て替えていた」ことが語られます。

そして店員は、「もし私が訴えていたら、先生はどうなった?」と尋ね、先生から、「懲戒免職で、退職金も出ないだろうな」と聞くと、「退職金はいくら?・・・それ、私にちょうだい」と言うのです。そして、少しの間の後、「じょうだんだってば」と。

この二人には(淡い恋愛感情のようなものも含めた)微妙な心の交流がありそうです。

そして、キーワードになるお金は、「私を見て・・・」というサインなのでしょう。お金は(関心を引くための)道具に使われたようです。

先生は「ランチ代(1,000円)分だけこっちを見て」と願い、店員は「退職金○千万円分こっちを見て」と願ったのかもしれません。

それが証拠に、最後、二人が分かれていく時、さっぱりとしたように背を向けて去っていくのは先生で、その後姿をいつまでも見送っていたのは店員だったのです。(各セリフは正確ではありません。)



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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