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#ネタバレ 映画「列車に乗った男」

「列車に乗った男」
2002年作品
語れない想い
2004/8/1 9:36 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

「別の人生も経験してみたかった」。

それを、まっとうな人生を送ってこなかった雰囲気を漂わせる、あの革ジャンの男が願うのなら理解できるけれど、最初に相手を見初めたのは、元教師の方だった。

教師は、はた目には幸せな人生を送っている。妻子が居なさそうだけれど、特に表面上は不幸な点は感じられない。それなのに、見ず知らずの怪しげな革ジャンの男をいきなり自宅に招いた。

その後も教師は積極的なアプローチを続けて男と親交を深めていく。

教師は別の人生と言うだけでなく、革ジャンの男自身に興味を持っていたのでは無いだろうか。男を前にして、若くも無いのにセクシャルな話題を時々口にしていたが、これは性的感心の発露のシーンだろう。また男が隠し持っていた銃にも異常な興味を持ち、やがて廃墟で試し撃ちまでさせてもらう。「銃」はご承知の通りセクシャルな記号「男性のシンボル」でもある。

教師は男に対し秘めたる恋愛感情を感じていたのかもしれない。でも、もう年齢的に枯れてきたので、その性的な情熱は単なる友情と言っても通用するぐらいに静かなものに変質していたのだろう。一方、最初は少し困惑していたストレートの男の方も、しだいに友情を感じ始めていた。

もちろんこの映画は、別々の人生に憧れる男達の物語であったのだが、革ジャンの男が過去を自らの意思で封印しているように、教師が願っていた本当の別の人生も、最後まで封印されていたのだろう。そんな切ない気配も感じられる作品だった。

こんなストーリーならば、シンプルなこの映画から、いっそうの深みを感じられると思うのだが、はたして真相はどうだったのだろうか。

追記
2004/8/2 22:27 by 未登録ユーザさくらんぼ

> 「別の人生も経験してみたかった」。それを、まっとうな人生を送ってこなかった雰囲気を漂わせる、あの革ジャンの男が願うのなら理解できるけれど、最初に相手を見初めたのは、元教師の方だった。

どこかで、この映画は「孤独な男の見た幻」だとの解釈もあると聞いた。

そういえば、この映画は、最初に登場する革ジャンの男が、見知らぬ街で、孤独な中で見た幻だったのかも知れぬとも思った。

知らない街の夕暮れ時。辺りは薄暗くなり、次々とシャッターは閉まる。寒風は吹き、誰も知り合いはいない。腹は減り、体調も悪いのに、宿さえ決まっていない。本当に「寂しい」瞬間である。

どこか別の映画評で書いたが、あの夕暮れ時の寂しさは、これから旅立とうとする者さえ撃墜する力がある。ならば今晩の寝ぐらを探している旅烏には、冷たい風が身に凍みるはずだ。

その瞬間、一瞬彼が夢見た「暖かい幻」。それが教授との出会いだったのかもしれない。

だから消極的な革ジャンの男をリードするように、都合よく教授は動く。最初に声をかけたのは教授になった。

いくら教授がお人よしだからといっても、拳銃を隠し持っていれば、驚くのが普通だが、まったく気に留めない。それどころか撃たせてくれとせがむ。

この辺りのエピソードは「革ジャンの男が誇れるものはガンプレイしかない」事を説明した哀しいシーンだったのかもしれない。

幾つかエピソードが有り、やがて二人は同時に死期を迎える。珍しい偶然なのではなく、一人は幻だから相手が死ねば消える運命なのである。

あの時、いったんは手術室で死んだ教授は息を吹き返し、遠く離れた瀕死の革ジャンの男と交感しあう。ここでも息を吹き返した教授の方が、革ジャン男のご都合主義で動いている幻と見た。

ラスト、教授はポンと家の鍵を革ジャン男に投げ渡し旅立っていく。革ジャン男は、あの街でしばらく暮らす事になる。

これは革ジャンの男が、哀しい黄昏時に夢想した幻であったかもしれない。もちろん人によっては、外の世界を夢見る教授の見た幻と解釈してもいいだろう。多くの人はどちらかには感情移入できるだろう。監督が希望したのはそんなタイプの作品だと思う。

今回私は二つの解釈を書いたけれど、どちらが正しいのだろうか。正誤表など無いので難しいが、今日のところは7:3で「夢想説」になるのかもしれない。
いずれにしても、シンプルな様でいて、この映画は意外と深い。

追記Ⅱ ( 鮭は生まれた川へもどる ) 
2015/9/30 15:12 by さくらんぼ

「スーツで働いていた人はスーツが一番似合う。ジーンズで働いていた人はジーンズが一番似合う。休日に逆を着ると、似合わないのですぐバレる」。

昔、アパレルの人がそう言っていました。たしかに休日にラフな服装で出勤した上司は、似合っていませんでした。あれでは風采の上がらない、ただのオジサンです。

そのせいでしょうか、私もラフな服装でいるとき、本屋さんの通路で、安そうなダークスーツにナイロンの定番肩掛けビジネスバッグの、どこにでもいる平社員的な中年男性から「じゃまだ そこのけ!」的態度を示されたことがあります。私の目から見れば、彼は何者にも見えないのですが。

だからと言うわけではありませんが、私はダークスーツにネクタイが恋しい。タンスに何着もありますし、体型も当時のままなので、大丈夫。もし誰かに話せば、即「着れば!」と、ひと言でかたずけられそうですが、ほんとうに着ると、今度は「なにオシャレしてんの」と冷やかされそうで…行き先はもちろん一人で映画館。

スーツにはやはり黒い革靴も欲しいです。リタイア前は人生投げてたものですから、スーツでも軽快な黒いウオーキングシューズばかりはいてました。そのせいで、革でわが家に残っているのは、小さくて結局履かなかった一足のみ。だから、せめて履き心地の良い定番スタイルの黒い革靴を一足手に入れる必要があります。

今から何十年も前、就職し、初めてスーツにネクタイをしたとき、私は堅苦しくて、いやでたまりませんでした。でも、仕事をリタイアした今、それをして、街に出たい気持ちは、日増しにつのっているのです

追記Ⅲ ( 「LGBT」 ) 
2018/9/8 21:59 by さくらんぼ

この時代だから思うのだけれど、この映画の別々の人生とは、「定年退職した孤独なフランス語教師と、さすらいの人生を送ってきたアウトロー」であると同時に、「LGBT」を描いていたのかもしれません。映画は重層的な構造になっていることもありますから、二つの物語が同時進行していてもおかしくないのです。どちらか一つに決めつける必要はありません。そのあたり、もう一度観れば良く分かるのかも。

追記Ⅳ ( 語れない想い ) 
2019/4/21 16:15 by さくらんぼ

「 かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ 」

( 皇后美智子さまの歌 )



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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