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#ネタバレ 映画「華麗なるギャツビー」〈2013〉

「華麗なるギャツビー」
2013年作品
希望はバブルを生む
2015/5/16 9:34 by さくらんぼ (修正あり)

参考:〈1974〉へのリンク

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

人事異動が内定した時、Aさんは新しい係にいるBさんに急接近しました。

今からBさんと親しくしておけば、異動後は何かと力になってくれるはずだと思って。

AさんはBさんと廊下やトイレですれ違うたびに、満面の笑顔を向けて、挨拶し、話しかけるようになりました。

Bさんは最初は「?」と思ったけれど、満面の笑顔には勝てないので、やがてAさんの希望どおり、友達になっていきました。

どこにでも、そんな話の一つや二つはあるでしょう。

映画「華麗なるギャツビー」(2013)では、映画の前半、謎につつまれた主人公のギャツビーが、満面の笑顔でニックの前に登場します。

「挨拶が遅れたね。友よ、私がギャツビーだ」のセリフとともに。

あの満面の笑顔の長回し…

ニックの(あれ、いつのまに、友になったの?)などという不安は、あの包容力のある笑みの前には、バターのように溶解していくのです。

「友よ」あるいは「お友達になりたい」という素直なセリフは、だれにも参考になるかもしれませんね。

「友達だよ」と言うメッセージを伝えないで急接近すると、相手は漠然とした不安を感じて、反射的に逃げる心配がありますからね。「友達だから接近しているんだよ」と、最初からハッキリさせておいた方が、お互い安心かもしれません。

ところで、映画でも描かれていましたが、あの、だれでも友にしてしまう技!?は、かつて貧しいギャツビーを拾ってくれた男から学んだものです。

人間力と言いますか、ギャツビーは、その後、その技を駆使して人脈をつくり、お金を稼いだのです。もちろん、他にもいろいろ画策したでしょうが。

それは、もちろん、かつての恋人デイジーを獲得するためです。

すべてが、そのための、壮大な計画でした。

そのかいあって、やがて、ギャツビーもお金持ちになりましたが…

この映画「華麗なるギャツビー」(2013)は、株のバブルと、恋の破局を、同じモチーフとして描いていました。

つまり主題は「希望はバブルを生む」でしょう。

株のバブルは言うまでもありませんが、恋の片思いや、ジェラシーや、そういう一方的な想いは、現実を越えて膨張し、誤解も生み、バブルになることもあるのです。いや、そもそも恋そのものが、ある意味バブルなのかもしれない。

そう言えば、あの名曲「真夏の果実」も、ひと夏の恋の傷(果実)であり、バブル(果実)を描いていたのかもしれません。

「 身体を湿らす恋をして

めまいがしそうな真夏の果実は

今でも心に咲いている

遠く離れても黄昏時[たそがれとき]は

熱い面影が胸に迫る 」

(  サザンオールスターズの「真夏の果実」より抜粋  )

★★★★(感覚的にはロバートが主演した方が好きなので…ちなみに「真夏の果実」は★10点です。5点満点でも5点では足りません。)

追記

ギャツビーが「友よ」と呼んだニックは、ギャツビーの死後も、ギッツビーの評判が地に落ち、デイジーも含め、沢山の知人が消えて、文字通り、世界を敵に回してしまった後も、「親友」として変わらぬ友情を持ち続けたのです。

だから、この話が悲恋に終わっていても、そんな親友が一人でもできたのなら、彼の人生も、ある意味、羨ましい人生だと、言えるのかもしれませんね。

追記 ( ギャツビーのお見合い ) 
2015/5/18 8:02 by さくらんぼ

本文でAさんとBさんの話をしました。

あの話には続きがあります。

Aさん(友達宣言なし)は、Bさんと同じ係になると、計画通りBさんの助力を得て仕事をしていましたが、その係を出ると同時に、Bさんとの交友関係も捨てました。

そのとき、初めて、利用されていたことに気がつくBさん…

ところで映画「華麗なるギャツビー」(2013)では、ギャツビーがニックを力技(友達宣言あり)で友にします。

はたして、あれは、デイジーを獲得するためだけの策略だったのでしょうか。単なるビジネスの一部だったのでしょうか。

私は違うと思いたい。

なぜならギャツビーは、お屋敷の上から、日々熱心にニックを観察していたからです。

その姿に「熱き心の存在」を見ました。

ギャツビーにはビジネス仲間は沢山いても、心許せる親友はいなかった。

成金になるほど、さみしさも際立ってきた。

そのギャツビーは、同じように孤独なニックに、シンパシーを感じたのでしょう。眼下のニックはギャツビーの過去の姿でもありました(見上げれば未来の)。

さらに、自分の生涯計画の核心部分を話すためには、相手が本当に信頼できる人でなければいけません。

何年もかかり、血のにじむような努力をして、現在までのし上がってきても、最後の最後で、裏切られて計画がつぶれては、何にもなりませんから。

ギャツビーはニックが、信頼できる人間かどうかを見極めるために、自分の全存在をかけて、毎日観察していたのです。

そして、やっと一次審査(釣書)合格と認め、ただ一人だけ、正式なパーティー招待状(VIP宣言)を送ったのです。

そこから、水上飛行機だの、ランチだの、いろいろ誘って、事実上の「お見合い」をした。

私は映画「セッション」の追記(エネルギー不変の法則)で、恋愛で告白(恋愛感情の宣言)されても、NOではないがYESと答える材料もなく、返事に困る場合は、返事の前にお見合いランチをすればよい、と言いましたが、まさに、それをギャツビーとニックもしていたわけです。

そして最終審査も合格。

いよいよギャツビーは、秘密をニックに打ち明け(親友の証)、デイジーと再会の、協力を依頼することになります。

映画のラスト、ギャツビーは、ひき逃げ犯の汚名の中、無残にも殺されてしまいましたが、仮に、ハッピーエンドの結末だったとしても、ニックは大切な親友のままであったに違いありません。

追記Ⅱ ( 子供のためにも ) 
2015/5/18 13:52 by さくらんぼ

デイジーには夫との間に子供(女の子)がいるのです。出演こそしませんでしたが、死んだとも言っていませんので、お屋敷のどこかにいる設定なのでしょうね。

その話がでたときに、デイジーは言いました。

確か…「女の子で良かった」、「女は可愛くておバカさんがいちばん」と。

これは、何と解釈したら良いのか。

この映画「華麗なるギャツビー」(2013)では、デイジーは善人であり、悲劇のヒロインとして描かれています。(1974)では、すれっからしの悪女を感じましたが。

(2013)では、デイジーは今でもギャツビーを愛していたのです。

でも、ギャツビーがそばにいなかったので、人生設計の打算で、無理やり大富豪との結婚の道を選んだ。そして結婚後は、子供が出来たので、子供のために、いまさら離婚が出来なくなってしまった女なのです。

でもギャツビーが現れてデイジーは悔やみました。

もしも自分が、人生設計などできない女だったら、ずっとギャツビーを待ち続けただろうし、そうしたらギャツビーと結婚できたはず。

だから「女は、可愛いおバカさんがいちばん」。

そう思ったのでしょう。

「女の子で良かった」は、女の子なら兵役もないし、可愛い女の子なら、勉強しなくとも、働かなくても、ただ、玉の輿で大富豪と結婚さえすれば良いのだ、と思ったからでしょう。

もちろん、現在の価値判断からすれば、かなり違いますが…

この(2013)のデイジーは、とても魅力的な女です。

私も映画が終わるころには、その魅力に絡めとられていました。それも、そのはず、彼女はキャリー・マリガンだったのです。映画「わたしを離さないで」で哀しきヒロインを演じ、日本でも大好評の女優さん。

彼女なら、ギャツビーみたいに、私も人生を棒に振ってしまうかもしれない。

そんな女と再会できて、触れれば落ちんばかりの態度を見せられれば、ギャツビーならずとも、もう抵抗は不可能でしょう。

デイジーが最後のお葬式にも姿を見せなかったのは、やはり、賢い女だったからですね。ギャツビーが罪をかぶってくれたのなら、デイジーはギャツビーと無関係を演じるしかなかったのでしょう。

子供のためにも。

追記Ⅲ 2022.8.3 ( 映画「無法松の一生」 )

ちなみに、この作品から映画「無法松の一生」を連想しました。あちらはオマージュなのでしょうか。詳細は映画「無法松の一生」のレビューに書きましたので、お読みいただければ幸いです。

追記Ⅳ 2022.8.3 ( お借りした画像は )

キーワード「お屋敷」でご縁がありました。眼下には何があるのでしょう。想像したくなる窓ですね。無加工です。ありがとうございました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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