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#ネタバレ 映画「ディーパンの闘い」

「ディーパンの闘い」
2015年作品
神は管理人である
2016/2/25 14:38 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

あるいは社会派の視点で焼き直した、映画「コマンドー」

ひと言で言えば、この映画はそうなります。

主人公の元兵士ディーパンは、内戦下のスリランカを逃れ、縁もゆかりもない女と、女が拾ってきた娘をつれて偽装家族になり(本当の妻と娘は戦争で亡くなっているので)、難民としてフランスに不法入国しました。

やがてディーパンは麻薬の密売人をしている不良たちのたむろする、極めて物騒な団地の管理人をすることになるのです。ディーパンたちには、そんな極3Kの仕事しかないのでしょう。

そして妻が不良に監禁されます。

ここからがプチ映画「コマンドー」になります。

あくまでもプチですが、ここまでの伏線が丁寧に描かれていますので、ある意味、映画「コマンドー」よりも上質感のある映画になっています。

移民をすると、言語や、文化が、ガラリと違う環境で生活することになります。そのとき人間は、背骨になるような内面的な確信を持っていないと、道を誤ってしまいかねません。この映画「ディーパンの闘い」は、ただ一人、信仰という背骨を持っていたディーパンが(妻は事実上の無信仰者、エゴの塊)、家族を守り抜く話です。

映画「コマンドー」を引き合いに出したように、昔からよくあるストーリー展開ですが、あんな劇画チックなものでは無く、社会情勢を織り込んだ、もっとリアリズムにあふれた佳作です。そいう言う意味でも一見の価値あり。

★★★★☆

追記 ( ディーパンも管理人である ) 
2016/2/25 14:43 by さくらんぼ

なぜ主題が「神は管理人である」のか。それは団地の管理人をするディーパンに、記号を使って、神の化身としての役割が与えられていたからです。

①映画の冒頭、戦場でディーパンが死者をダビにふするシーンがありました。野原に煙が立っていました。このダビは宗教的儀式です。

②何回もゾウの“耳”のアップがあります。ゾウはスリランカでは「ガネーシャと呼ばれる神」です。

③ディーパンはフランスで、LED電飾されたミッキーマウスの“耳”のような飾りをつけて、キーホルダーや使い捨てライターなどを売る不法アルバイトもしました。あの“耳”はゾウの耳の暗喩であり、ディーパンがまだ信仰に生きていることの記号でしょう。

④そして、ラストのコマンドー・バトルでは、自動車を団地にわざとぶつけ、燃やしてモクモク黒煙を上げさせました。あれは①のダビのシーンと対になっていると思います。つまりバトルは敵を葬るための宗教儀式であり、いざ神の登場と言うわけです。さらに、私の勘違いでなければ、ディーパンは敵の銃弾で左耳あたりに軽い怪我をして血を流しました。“耳”はゾウの記号ですね。

ラスト近くのディーパンは、薄暗い階段を登りながら、無慈悲に何人もの敵を仕留めていきます。ハエたたきでハエを叩くがごとく。あるいは映画「コラテラル」みたいに。映画「大魔神」みたいに。神が報復に出たのですから。

余談ですが、娘と二人、ディーパンが新聞を開いている写真も、新聞はゾウの“耳”に見えてきますね。

追記Ⅱ ( 白線の意味 ) 
2016/2/25 14:51 by さくらんぼ

「 妻をめとらば才たけて みめうるわしく情ある 友をえらばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱 」

( 与謝野鉄幹の「人を恋うるの歌」より抜粋 )

ふと、そんな歌を思いだしています。

映画「ディーパンの闘い」の主題は「神は管理人である」と書きましたが、それは主題のベクトルの到達点であります。通り道では「人は所属するもの(ときには神)によって運命が変わる」と歌っているようです。

つまり…

どこに生まれるか、どこで育つか、どの学校へ行くのか、だれと友になるのか、どんな会社に入るのか(はたまた起業するのか)、誰と結婚するのか、どこに住むのか、どんな思想信条を持つのか、どんな宗教(神)を持つのか。

という事です。

だからディーパンが、団地の前に粉で白線を書き、「こっちは非武装地帯だ!」と叫んで、不良に喧嘩を売っていたのも、実はそう言うことだったのでしょう。お前たちには所属していないという。

そして、意外にと言うか、特にと言うか、家族の影響は大ですね。夫婦はお互いの、子供は両親の影響が大きい。良くも悪くも。

映画「ディーパンの闘い」でも、一見“性格の不一致を絵に描いた様な主人公夫婦の微妙な心の軌跡”が、最大の見どころの一つだったのかもしれません。神視点のディーパンと、エゴの塊で不良と紙一重の妻。決してアクションではなく。

そして、そのアクション。

クライマックスで、薄暗い階段を登りながら、敵を1人づつ葬っていくディーパンは、下半身を中心に、脚がスローモーションで映っていました。

なぜスローモーションだったのか。なぜ下半身だったのか。それは、ここでも、ゆっくりとした脚の動きでゾウを表現していたからなのでしょうね。

追記Ⅲ ( ディーパンが最後に見た夢 ) 
2016/2/26 14:47 by さくらんぼ

この映画のラストには、明るい日差しの中、どこかの家の平和そうな裏庭で、幸せなパーティーが開かれている情景が映ります。談笑する人々、その中にいる仲睦まじいディーパン夫婦。

私は、不良を葬った後、従来から妻が願っていた通り、フランスからイギリスへの「ゲッタウェイ」が成功したのだと思っていました。あの裏庭はイギリスにある妻の友人宅なのだと。

でも、あのシーンがディーパンの夢である可能性に言及する鋭い方もいるようです。

そう言われると、その可能性も大ですね。

パーティーシーンの演出が、なんだかリアリティがなく、幻想的だったことは確かですし。

ならば、どの時点でディーパンは死んだのか。

敵地へ殴り込みをかけるときに、左耳を撃たれたようなシーンがありましたね。もしかしたら、あれは頭を撃たれたのであり、ディーパンは、あの瞬間即死していたのかもしれません。

だから、その後のシーンは、すべて彼が死の直前に見た夢。

冷静に考えれば、フランスであれほどの事件を起こしておいて、移民のディーパン家族3人、当局の目をかいくぐって、簡単にイギリスへゲッタウェイ出来るはずはなかったのでは。

最終結論は観客にゆだねられています。映画「シェーン」の様に。

追記Ⅳ ( バイキング ) 
2016/2/27 15:06 by さくらんぼ

若いころは、寒くなると、仕事を何とかかたずけて南の島へ行ったものです。

そこはグアムの一流ホテル。最初の頃は、朝晩ホテルのレストランで、お澄まし顔で食事をしていました。自分が風景のワンピースになるのも悪くありません。でも一人旅だとだんだん面倒になるのですね。

そこでルームサービスでディナーをしてみました。お酒類はコンビニで、ビール、ワイン、ウイスキー、おつまみ各種を買いこんであります。これで誰の目も気にせず、酔いつぶれることもできます。

でも初めてルームサービスの値段や内容を吟味したところ、“庶民にとってちょうど良いメニュー”が少ないのですね。

結局、ハンバーガーを注文するはめになりました。日本のものよりデカいです。マズくはありませんでしたが、グアムまで行って、一流ホテルで夕食にハンバーガーは「なんだかなぁ」な感じ。

あの時、ハンバーガーを飲み込みながら思ったものです。レストランにはバイキングのおいしい料理があふれているのにと。

あれで“おまかせ洋風割後弁当(あるいは洋風おせち)”でも作ってほしいなあと、酒のつまみには“前菜セット”とか、“珈琲付のデザートセット”もあってもいいなと思いました。それをバイキング料金(前菜やデザートのみの場合は安くして)+手数料程度で提供するのです。ハンバーガーよりも100倍感激するはず。

追記

ちなみにグアムではバイキングのことを「バファ、あるいはバッファ」と呼んでいるように聴こえました。私は「バイキングかビュッフェ」しか単語を知りませんでしたので、とあるホテル(上記とは別の)ウエイトレスには通じなくて困りました。

( 以上の話は、ぼんやりと数年前のつもりでいましたが…もう20年も経っていました。年月はあっという間に過ぎ去りますね。今の発音はどうかな。)


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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