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ネタバレ 映画「終わった人」

「終わった人」
2018年作品
既視感のあるエピソード
2018/6/13 17:20 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

大学ラグビーの試合直前、主将が部員を集めて言うのです。「ルール違反をしても良い。なんとしても勝て!」と。

それを聞いた部員の一人が、一歩前に出て主将に食いつきます。「ルールを守るからスポーツじゃないのか。守らなければ、もうスポーツじゃない!」と。

そして乱闘になりそうに。

その主将が、若き日の主人公です。東大卒で、一流銀行に入ったエリート。

しかし、上しか見ていなかった彼は、生涯をかけて「もののあはれ」を学ぶことになるのです。

この映画「終わった人」は、主演の舘ひろしさん特有の、ユーモアにあふれた作品ですが、それだけではない、優れたバランス感覚の佳作です。

★★★★☆

追記 ( 「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」 ) 
2018/6/13 21:47 by さくらんぼ

「 散る桜 残る桜も 散る桜 」 (良寛)

劇中に何回か登場する言葉です。誰でも歳を取る。勝ち続ける者はいない。そんな意味が込められていたように思います。

でも、私はもう一つの言葉が心に浮かびました。

「 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 」 (良寛)

年寄りや、負け組は、人生の裏側かもしれないけれど、しかし闇ではない。そこにも見るべきもの、味わうべきものが在る(映画にそった解釈)。

これが、映画「終わった人」が、言いたかった事のように思いました。

追記Ⅱ ( 脇役の仕事 ) 
2018/6/14 8:26 by さくらんぼ

TVや映画に、オーディオ製品が登場することがありますが、それは「時代背景の説明道具」であったり、「商品の宣伝」になっていたりします。

この映画「終わった人」にも、それは在りましたが、こちらは、「主題を表現するために配置された」ようで、私の知る限り、珍しい事例でした。

それは、主人公の義理の息子(娘婿)の、仕事部屋に置いてあるオーディオセット。

メーカーは分かりませんが、高さ1m×幅0.5mぐらいの木製BOXに、直径20センチぐらいのスピーカーが一つだけ付いたようなもの。たぶん何十年も前に作られたものです。きっと音も、温かみのある穏やかなものでしょう。捨てがたい味があるはず。

その脇には、スイスのピエガ社らしい新スピーカー。アルミ製のBOXを持つ、極細トールボーイ型で、木箱とは違い、どこかに金属特有の、きめ細やかで、クールな響きを乗せているはず。

そして、2A3か300Bを使った、音の純度が高いシングルアンプ。

さらに右端には、トランジスタのアンプなど。

あれなら、スピーカーとアンプの組み合わせによって、いわゆる古き良き時代の音も、最先端の音も聴けるのです。

マニアは、ソースの種類によって、その日の気分によって選択します。

これは彼らには、珍しいことではありません。雑誌によれば、あの村上春樹さんも、仕事部屋には、スピーカー(JBLとタンノイ)、アンプ(真空管とトランジスタ)の、二系統のオーディオシステムを持っておられ、音楽によって使い分けています。

追記Ⅲ ( お葬式… ) 
2018/6/14 9:01 by さくらんぼ

以前、何かの時に、私はこんな話をしました。

定年退職日には、出勤すると、定期券やバッジ、身分証など、諸々の物を庶務係へ返します。終業時には、職場で花束ぐらいは貰えるかもしれませんが、帰りに玄関まで見送ってくれる人はなく、もう定期券は没収されたので、仕事帰りだというのに、駅では財布から小銭を出し、切符を買って帰るのですが、その瞬間が、捨てられたみたいで、それも妙に寂しいと。

でも、この映画「終わった人」では、役職に関係なく、定年退職する人すべてに、帰宅用のハイヤー(タクシーではなく)と、同僚が集合しての、玄関でのお見送りの儀式があるのです。そしてハイヤーは、長年通っていた駅のそばを通り、通勤経路の見納めをさせながら、ゆっくりと帰路に。よそ様では、どこでも、こんなに厚遇なのでしょうか。

でも、映画では、これを「お葬式」みたいだと、皮肉っていました。言われてみれば、確かに…とも思いましたが、一人で玄関を出るのと、どっちが良いのかと言われると、やっぱり「お葬式」も良いかなと…最後まで大事にされた感があって、「もう、用なしだ!」の体よりは、と思いました。

追記Ⅳ ( 既視感のあるエピソード ) 
2018/6/15 8:08 by さくらんぼ

映画「終わった人」の主人公・壮介(舘ひろしさん)は、会社をリタイア後に、スポーツジムでIT企業の若社長と知り合います。

会社を立ち上げたばかりの若社長は、壮介のキャリアを知り、「ぜひ、うちの会社の顧問になってください」と頼むのです。

聞けば、「若手ばかりの小会社なので、人生経験を積んだ壮介のような人からも、助言が欲しい」のだとか。

壮介はその願いを聞き入れて顧問になりますが、仕事にも慣れたころ、若社長は心臓マヒで急死してしまうのです。

呆然とする壮介。

その後、「私がいては次期社長がやりにくかろう」と、気をつかって顧問を辞めようとしますが、逆に、「ぜひ社長になってください。私に社長は無理です」と、ナンバー2から懇願されてしまうのです。

小さな会社でさえ、社長になるということは、とても大変なのですね。

これがもし、開発途上国のリーダーであったら、重圧はどれほどなのでしょう。世襲などで、若くしてその大任を背負うことになり、周囲に頼る人もいなければ。

さらに、「顧問になって欲しいような親分肌の人」が先進国のリーダーであり、よりによって自分に敵対していたら。

彼は、リーダーの孤独と恐怖心から懐疑的になり、追いつめられたように恐怖政治を行うかもしれません。

その時、親分肌の人が笑顔を見せ、握手をして「俺についてこい」と言ったらどうでしょう。

「意外なほど良い結末」の一つを考えると、かつての日本が、素直に米国に従ったように、彼もそうするかもしれませんね。

追記Ⅴ ( 枯れる夫、咲く妻 ) 
2018/6/16 17:12 by さくらんぼ

映画の後半になると、主人公・壮介は、「 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 」そのままの体を見せています。

懇願されて会社の顧問になり、さらに社長になったのもつかの間、取引先のトラブルにより2億円もの不良債権が発生し、壮介の会社も倒産に追い込まれるのです。

そのため彼は、社長の責任として、一億円近くあった個人名義の預金を取られることになります。

それでも、妻が美容院で働いているので「食うには困らない」と思っていた壮介ですが、預金が無くなった事で妻の怒りを買い(妻の協力もあって出来たお金だから)、家を追いだされ、離婚の一歩手前まで行ってしまうのです。なにかにつけ、壮介はちょっとワンマンな所がありました。そのしっぺ返しですね。

そして妻のイライラには、もう一つ理由があって、彼女は最近、独立して自分のお店を持つことになったのです。それは若いころからの夢でした。少しづつ貯金をして、開店資金1,000万円をためてのデビューです。

つまり枯れていく夫と、これから花を咲かせる妻。

秋と春、あるいは「葉っぱの裏表」。

やはり、裏表は同時に存在できないのですね。

でも、これから開花する妻とて、だんだん歳を取るのです。「 散る桜 残る桜も 散る桜 」に。

だから映画のラストには、「2カ月に一度、髪を染めに来るわね…」と、夫の行方を見失わない決心をした妻がいました。

追記Ⅵ ( 心ない部下 ) 
2018/6/16 18:06 by さくらんぼ

>そのため彼は、社長の責任として、一億円近くあった個人名義の預金を取られることになります。

>それでも、妻が美容院で働いているので「食うには困らない」と思っていた壮介ですが、預金が無くなった事で妻の怒りを買い(妻の協力もあって出来たお金だから)、家を追いだされ、離婚の一歩手前まで行ってしまうのです。(追記Ⅴより)

懇願されたから頼まれ社長になったのに、倒産原因は海外にある取引先のトラブル、さらには一億円近くの個人預金もとられたのに…部下は「壮介さんにはご迷惑をおかけました」ではないのですね。

部下に心配させまいと、壮介が「妻が美容院を開店するので、(預金を取られても)食うには困らない」と言ったのを知った部下の一人は、「こんな時期に、よく開店なんかできますね」と、嫌味を言ったのです。

さらに、それだけでは気が済まなかったらしく、「美容院に行って、妻にまで話をした」のです(法律的には、妻に倒産の責任は無いのですが)。

そこを観たとき、世の不条理というか、後ろから鉄砲というか、ほんとうに残念な気分に。壮介にも、それが一番こたえたのではないでしょうか。「壮介が社長業を甘くみすぎた」と言えば、それまでですが。

追記Ⅶ ( 侍と現代人 ) 
2018/6/17 9:05 by さくらんぼ

いつもは薄い髪を見せている笹野高史さんが、この映画では黒髪フサフサで登場します。びっくりするほど印象が変わりますね。そして、途中でそれを外すのです。劇中でもカツラの設定でした。

そう言えば、壮介の妻は美容師さんでしたね。そして最後にも、壮介の白髪を気にするエピソードが在ります。

さらに映画のチラシも見てください。壮介がブランコにゆられている写真です。頭には鳥もとまっていますね。

あの鳥の意味を考えましたが、この映画は「頭髪」がキーワードのようですから、「ちょんまげ」の記号だと思いました。つまり、壮介とは「武士」の記号だったのです。

武士も色々で、「越前谷、おぬしも悪よのう」みたいな人もいれば、映画「山桜」の主人公みたいに、損得を考えぬ生真面目な人もいるのです。この映画「終わった人」は、映画「山桜」寄りと言いますか、東北地方の朴訥な侍が主人公になっているようです。侍ならワンマンなのも頷けますね。

壮介がなぜ出世コースを外れたのかは映画では説明されていませんでしたが、その生真面目さがいけなかったのでしょう。生真面目さの出発点は、あの、大学時代のラグビーのエピソード(勝つためならルールを無視しても良いのか?)だったと思います。あの部員たちは侍集団です。同じ価値観を共有する。

一方、妻などのファミリーは、現代っ子の記号でしょう。夫婦共働き、男女同権の。「ひまなら、浮気でもしたら~」みたいな浮ついたジョークは、侍一族が主(あるじ)に向かって言える言葉ではありません。

つまり、この映画「終わった人」の深層は、「侍と現代人の衝突」だったのかもしれません。すると「終わった人」というタイトルの、ダブルミーニングも見えてきます。

追記Ⅷ ( 裕福なエリート ) 
2018/6/17 10:27 by さくらんぼ

ちなみに、主人公がエリートに設定されているのは、「宮仕えの侍」であるからで、又、裕福なのは、「下り坂を表現するため」だと思います。公務員でないのは、一般に銀行員の方が給料が良いからでしょう。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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