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#ネタバレ 映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
2016年作品
人生はときに理不尽なもの
2017/5/17 8:41 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

まったく私に非がないとは言わないけれど、どうしてそこまで言われなくてはならないんだ。どうしてそんな仕打ちを受けなくてはならないんだ。

人生には時にそんな「理不尽」が起こります。

そんなとき人によっては「人間嫌い」になり、引きこもったり、引っ越したりします。言い寄る女がいても御免こうむって。

でも稼がなくては食えないので、たとえば「便利屋」になったりします。「あんたに助けてほしいんだ!」と懇願された時にだけ顔をだすのです。懇願されるぐらいだから酷い仕打ちはあまり受けないだろうと。

そんな彼の元に、さらに追い打ちがかかります。兄の遺言により、無断で16歳の息子の後見人に指名されたのです。しかも、あの理不尽な町で暮らせと。

でも、それが彼を救うのです。

これは理不尽という名の外科手術。

★★★★★

追記 ( 人生はときに理不尽なもの ) 
2017/5/17 10:07 by さくらんぼ

この映画、脚本・監督「ケネス・ローナガン」さんです。

経験上、一人で何役もこなした映画ほど個性的な作品になることを知っていますが、これも例外ではなさそうです。

脚本に込められた登場人物たちの心情を、しっとり感が出るまで「すくい取る」ことに成功したのは、そのせいもあるのでしょう。

苦悩する主人公の心情を、無駄に言葉で語らない、説明しない手法は、映画「駅 STATION 」を思いだしますが、それに勝るとも劣らないほど上品な作品。名作でしょう。

追記Ⅱ ( 「私たち燃えてるの?」 ) 
2017/5/17 14:12 by さくらんぼ

映画の終盤、リーは料理中に居眠りし、フライパンを焦がしてしまいます。「私たち燃えてるの?」と、二人の少女が話しかけてきたので目を覚ましたリーでした。

あの後リーはすぐに友人宅を訪れ、なにやら話していました。そして兄の息子を友人に預け、リーは町を離れることに。

リーは何を話したのでしょう。

たぶん…「また火事になるところだった。亡くなった娘たちが助けてくれたが、兄の子供まで火事に巻き込んだら、それこそ私も生きてはいられない。あれ以来、いつかそうなる気がして不安でたまらないんだ。遺言通りではないが、どうか兄の息子を預かってほしい」と言ったのでしょう。

そしてリーは一人別の町で暮らすことに。

心機一転するにはその方が理にかなっています。

でも今回、この街にしばらく滞在したことで、別れた妻にも会い、苦しかった胸の内を語りあって和解もしたし、兄の息子という友人も出来たので、リーにとってもメリットのある旅になりました。

リーの新居には、兄の息子が遊びに来て泊まれる場所も確保してあります。

追記Ⅲ ( 映画「アトランティスのこころ」 ) 
2017/5/18 22:23 by さくらんぼ

>そんな彼の元に、さらに追い打ちがかかります。兄の遺言により、無断で16歳の息子の後見人に指名されたのです。しかも、あの理不尽な町で暮らせと。

兄は弟・リーにも、弁護士にも内緒で、息子の後見人にリーを指名していました。絶句するリーと、驚く弁護士。たぶんこの時、リーは「身勝手な兄が起こした、理不尽な災難の一つだ」と、密かに思ったはずです。

でも、本当に身勝手だったのでしょうか。

ほんとうは「子育もリーが再生する力になる」と兄が信じていたからでしょう。

私が兄の立場だったらと、すこし考えてみました。

二人の子供を失い、離婚して傷心の中、一人遠くの町へ引っ越していったリーの行方を、兄は「別れた恋人」のように心配したはずです。

そして、彼に託すことになる息子の事も、それ以上に心配します。もしリーが自堕落な生活をしていたら、息子もそれに染まってしまう心配があります。あるいは息子を途中で放り出してしまうかもしれない。

だから事前にリーに会って話をし、暮らしぶりも観察して、息子の事を頼む決断はそれからです。リーの反応を見ないと、怖くて後見人には指名できません。

それなのに、なぜ決めてしまったのか。

たぶんこの秘密プランを、兄はあの友人には話したのでしょう。そうしたら「今のリーには荷が重いのではないか、なんなら息子さんは私の家に住まわせても良いぞ。16歳ならそんなに手もかからないだろうし」と言ったのです。

でも兄は言いました。「ありがとう。そう言ってもらえて本当にうれしいよ。でも、子育もリーが再生する力になると思うんだ。だからリーに預けてみるよ。ただリーと息子はこの町に住まわせるから、たまには様子だけでも見てくれないか」と懇願したのです。友人は心配しつつも快く同意しました。

こんな想像をすると、あの映画が思いだされました。映画「アトランティスのこころ」です。そうです。この映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー 」も、兄・兄の息子、友人、この3人が密かにリーを助ける物語だったのです。

追記Ⅳ ( 神の御心は人には分からないもの ) 
2017/5/19 8:29 by さくらんぼ

リーはある家を訪れ、その帰り道に「あの家はキリスト教徒だな」と言います。まるで異教徒でも見つけたように。その家はあちこちにイエス様の絵とかが飾ってあって、敬虔なクリスチャンであることが伺えました。

リーの言葉に引っかかった兄の息子は、「リーもキリスト教徒でしょ!?」と言います。「うんカトリックだ」と答えるリー。

ただ、それだけのエピソードですが。あれは何だったんでしょう。

私は「あの事故でリーが信仰を失いかけていた記号」だと思います。「この理不尽は神も仏もない証拠」だと。

しかし、追記Ⅲでお話ししたとおり、兄たちはリーのため、心を尽くして行動を起こしていました。まるで神に操られているかのように。そういう意味でも「秘密のミッション」だったのです。

神の御心は人には分からないもの。

追記Ⅴ ( 自己嫌悪 )
2017/5/19 16:03 by さくらんぼ

リーが警察署で拳銃を奪って自殺未遂をするシーンがありました。幸い警官に止められましたが、あれはリーの中にマグマの様な「自己嫌悪」がたまっている記号でしょう。

後のリーは喧嘩っ早くなりました。マグマに必死でフタをして生きているので、ふとした瞬間にそれが噴出すのです。

名前は忘れましたが健さんの映画でも、夜の盛り場でチンピラに絡まれ、たまたま虫の居所が悪い健さんから返り討ちに合うシーンがありました。あれと同じですね。

だから単なる「乱暴者」とは少し違うのです。

追記Ⅵ ( 「二股」の意味 ) 
2017/5/19 16:54 by さくらんぼ

兄の息子には恋人が二人いました。二股の是非はともかく、不器用では成功しません。兄はその功績!?も評価して、「ちょっと危なげな」弟にぶつけても大丈夫だと判断したのでしょう。

追記Ⅶ ( いしだあゆみ さん ) 
2017/5/20 8:34 by さくらんぼ

正確には覚えていませんが、この映画に「お葬式だけは皆が(関係のこじれてしまった人も)集まる」みたいなセリフが出てきました。

もし「神の御心」の映画であれば、お葬式の重要性を謳っていたとしても不思議ではありませんが、私は少し驚きました。日本のお葬式では、「近い関係でも不仲になった人は出ない」ことがありますから。

ところで、この映画でもっとも胸に残ったシーンは、その兄のお葬式で、リーが元妻(不仲になった人)と再会し、和解するシーンです。

そのとき元妻は新しい夫と一緒でした。でも、人ごみの中からリーを見つけたときの、その万感の表情が沁みました。あの視線のみで彼女の気持ちのほとんどが伝わったと言っても良いくらい。それに比べれば後につづくセリフは余白みたいなものです。

自分だけは罪なき被害者だと思っていた彼女は、「夫を追いつめ、不必要なまでに傷つけ、離婚した加害者になっていた」ことにやっと気づいたのです。だから夫の苦しみが痛い。

しかもこの罪の意識は新しい夫とは共有できない。それが可能なのはリーだけなのです。もしかしたら、ここでリーとHをすることが、一時の慰めにせよ、二人にとっての癒しの共同作業かもしれない。しかし、もうそれは叶わぬこと(ここにも出てくる二股)。

あれは映画「駅 STATION」の冒頭で、健さんの元・妻役をしている“いしだあゆみ”さんが、敬礼をしながら列車で去って行くシーンに匹敵するものです。

追記Ⅷ ( ふたたび映画「駅 STATION」 ) 
2017/5/20 17:17 by さくらんぼ

( 注・映画「駅 STATION」のネタバレにも触れています。)

映画「駅 STATION」では、オリンピック選手としての厳しいトレーニングと、刑事としての激務のため、夫にかまってもらえない妻が、寂しさのあまり浮気をします。

夫は、「俺は必死で頑張っていたのに、妻はのうのうと浮気をした」と断罪し、離婚します。これはある意味報復ですね。

しかし妻にも情状酌量の余地はあります。夫はその事を、以後何年もかかり、己の仕事から学んでいくのです。あれは、そんな映画でした。

一方、映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」では、リーの妻が、あの事故でリーを厳しく断罪し、離婚します。

しかしリーにも情状酌量の余地はあります。妻はそれを、以後何年もかかって理解していくのです。そんな映画でした。

2本の映画は夫婦の立場が逆転しているだけで、少し似ていますね。そして映画「駅 STATION」では加害者を、映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」では被害者を丹念に描いていました。つまり「2本で一対」になるのです。

現段階では、映画「駅 STATION」へのオマージュだとまで言うつもりはありませんが。

追記Ⅸ ( お風呂上がりに ) 
2017/5/21 9:28 by さくらんぼ

>現段階では、映画「駅 STATION」へのオマージュだとまで言うつもりはありませんが。(追記Ⅷより)

正義を信じていた世界の警察官アメリカが、「もしかしたら正義って、加害者になる事かも…」と思い始めたのかもしれませんね。そんな彼らの中にも映画「駅 STATION」が沁みた人がいたのかもしれない。

リラックスしている時には良いアイディアが浮かぶので、お風呂に入りながら、2本の映画のあんなことや、こんなことを思いだしていたら、「やっぱりちがう」ではなく、「オマージュかもしれない」という気持ちに、さらに近づいてきました。

「対になるのに相応しい格」でもありますし。

追記Ⅹ ( 福音書 ) 
2017/5/21 13:56 by さくらんぼ

「 汝、人を裁いてはならない。神から裁かれないためである。 」 ( マタイ福音書 7-1 )

映画「駅 STATION」と、映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」。

両者はつまるところ、この言葉を描いていたのかもしれません。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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