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#ネタバレ 映画 「雨あがる」

「雨あがる」
1999年作品
正しい判断には平常心が必要である
2011/1/30 11:18 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

タイトルは思い出せませんが、こんな本を読んだことがあります。戦争当時の話です。特攻隊がいよいよ明日出撃という夜、隊員たちには、いわゆる最後の晩餐(宴)が許されていました。

そして翌朝、隊員の多くが寝不足で赤い目をしていたのに対し、リーダーである大佐だけは澄んだ目をしていたというのです。

寝不足で判断力が落ち、指揮に支障がでてはいけないと、宴を早々に引き上げて就寝したとのことでした。大事な部下を犬死させてはいけませんから。

リーダーが疲労困憊し判断力が麻痺してヤケクソになってしまったら、それこそ部下は浮かばれません。たとえ部下は疲労していても、リーダーだけは澄んだ目と頭、それに平常心を持っていて欲しいものです。

川の水量判定も、刀の鑑定も、剣術も、平常心がなければ間違いをおかしかねません。

映画「雨あがる」では主人公の夫婦は尋常ならざる平常心の持ち主でした。そんな人が一人居るだけでも凄いことなのに、二人ともそうなのです。そして稀にどちらかが逸脱しそうになると、もう一方が絶妙にたしなめるのです。

それに対してお殿様はいけませんでした。威張ってばかりで常に心が揺れています。

この映画は好きな作品ですね。ところでラストはどうなるのでしょうか。お殿様は追いつくのでしょうか。主題から言えば追いつかない結末になると思います!?が、私にも良く分かりません。

もしかしたら、どちらにも取れる結末なのかもしれません。自分の好きな結末に解釈して、誰もが良い気分で映画館から帰宅できるようにとの黒澤氏の配慮なのかも。

★★★★☆

追記 ( 夜鷹と妻 ) 
2015/7/10 6:15 by さくらんぼ

いくら子供の世話をしても、そこに愛情がなければ、母は家政婦と同じ。

そんな世界を描いたのが映画「サイドカーに犬」でした。夏休みが舞台のこの映画、季節がら、今、もう一度観てみたいです。

では、この映画「雨あがる」とは何なのか。

これは、いくら夫の世話をしても、夫との共同作業がHだけならば、妻は娼婦と同じ。たとえば、そんな、世界も描いていたのかもしれませんね。

まだ、思考なかばですが・・・

映画の前半で、夜鷹(娼婦)が皆にイジメられるシーンがあります。幸い、大事にはならずに収まりましたが、そのとき、哀しそうな夜鷹を、遠くから、じっと見つめていた主人公の妻・たよ、の姿がありました。

あれは、ひっそりとしているけれど、とても重要なシーンの様に思います。

たよは、その立ち振る舞いから、良家の、とても賢い娘だったことが分かります。そのたよが、身分違いの、赤の他人の夜鷹に…なぜ。

又、この映画「雨あがる」は、大雨で川が増水しているところから始まりますが、そもそも、その雨は、たまったものが、あふれ出ている記号なのでした。

夜鷹が良い例ですが、夜鷹の商売が成り立つのは(何をしたかより)、たまっている男が居るからです(なぜしたかが大切・たよの言葉)。夜鷹は男たちに癒しを与えています。誤解を承知で言うならば、いわば彼女はドクター。

それが証拠に、映画のラスト、夜鷹は旅立つたよに、灰を、薬になると言って、餞別代りに渡しました。お礼を言い、丁寧に受けとるたよ。

夜鷹は、たまたま大切な自分自身と交換に、癒しを与えているのです。そのとき夜鷹は、最後のものを与えたと言う点で、灰になったのでしょう。

イエスが活躍する物語では娼婦が出てくる事があります。黒澤監督の遺稿らしいシナリオでしたね。

黒澤監督は完ぺき主義なので、天皇と呼ばれていたようです。

彼が感情移入しているのは、誰なのでしょう。

追記Ⅱ ( 病院の空気感を作っている人はだれ ) 
2015/7/11 7:34 by さくらんぼ

病院に入院してみると分かるのですが、神様のようなドクターも、もちろんありがたいですが、天使のようなナースに癒されることも大なのです。

もっと言えば、病院の空気感はドクターよりも、ナースが作っていると言っても過言ではありません。

それから、忘れてはいけないのは、そのほかにも、陰日向になり、助けてくれる、さまざまなスタッフの方たちが居ること。

薬剤師の方、事務の方、介護関係の方、清掃関係の方等々、その方たちも、病院の空気感に多大な影響を与えています。その比は、人数から言っても、失礼ながらドクター以上でしょう。

病院を無事退院したとき、あるいは天国へ旅立つときも、その人たちの、ちょっとした優しい思い出が残る。大切にしてもらったという幸福な思い出。それが病院の評判にもなります。

追記Ⅲ ( 映画「パンドラの匣」 ) 
2015/7/11 15:38 by さくらんぼ

追記Ⅱを書いた時には、すぐ名前が思いだせなかったけれど、実はあのとき映画「パンドラの匣」のことを思いだしていました。

あの「優しいナースの存在自体が、実は、結核の薬にもなっていた」のです。映画はそれも描いていました。

言うまでもなく、彼女は結核の薬でも何でありません。

それどころか、もしかしたら、激務のため彼女は陰で泣いていたのかもしれない、陰で怒っていたのかもしれないし、患者の悪口を言っていたのかもしれない、あるいは、ストレスで胃潰瘍になりかけていたのかもしれないけれど、それでも、彼女の存在自体も結核の薬だった。

彼女が患者に優しく接しているかぎり。

そして、映画には出てきませんでしたが、そこの事務員さんや清掃関係の人もそうですね。まちがいなく、その人たちも、その施設の空気を作っているのです。そして、それも患者の薬になっているはず。

もちろん、これは虚構の世界の話ですが、リアルな社会でも、通用する話だと思います。

追記Ⅳ ( 状況証拠 ) 
2020/6/6 9:13 by さくらんぼ

公開から20年ほどたちますので、まだ書いていない気持ちを書きたいと思います。

前半、雨で足止めを食らっている人たちの憂さ晴らしに、宴会を開くシーンがあります。主人公が賭け試合でお金を稼ぎ、催したのです。

宴もたけなわになった時、一人の男が踊り始めました。

しかし、その俳優さん、お相撲さんが演じられるほどに太っていたのです。

本物のボロ雑巾のような衣装を着て、食い物の取り合いで喧嘩をし、「年に一回でもこんな宴会があれば、どんな苦労だってできる」みたいなセリフも飛び出す中では、痩せているのが普通だと思うのですが、お相撲さんみたいに太っていては…。

他のシーンが良い分だけ、私は何回観てもそこでつまずくのです。

追記Ⅴ( 優しさに隠れた… ) 
2020/8/30 9:58 by さくらんぼ

私が好きな「特攻隊員と大佐の澄んだ目」の話、レビュー中などあちこちに書いてありますが、引用したいと探しても出てこないのです。でも、後から偶然に見つかったりするので、陽水さんのいう事は本当のようです。

ところで、映画「雨あがる」の主人公・三沢伊兵衛(寺尾聰さん)は、剣の達人でありながらとてもやさしい人で、負けた相手に対し「あっ!、すみません。大丈夫ですか…」と気遣う事を忘れませんでした。

しかし、負けた相手にしてみれば、それが(「試合で負けた」だけでなく、「いたわられるほどに弱いと思われた」という)二重の屈辱になるのでしょう。

それなのに三沢伊兵衛は自覚すらしていない。

だから、せっかく仕官の打診をしてきた藩の城主・永井和泉守重明(三船史郎さん)のご機嫌をも損じてしまうのです。

私はこの映画で初めて「優しさに隠れた無神経」を教えられました。私の半生ほぼ負け犬でしたから、三沢伊兵衛のような立場になることはまずありませんが。

追記Ⅵ ( 「同情するなら…」 ) 
2020/8/30 13:31 by さくらんぼ

>私はこの映画で初めて「優しさに隠れた無神経」を教えられました。・・・(追記Ⅴより)

「同情するなら金をくれ」、

これも似ていますね。TVドラマ「家なき子」(1994年)の名セリフです。

改めて考えると、この映画「雨あがる」は1999年の作品ですし、貧しい娼婦とか、農民、浪人が出ており、「家なき子」の影響も受けていたのかもしれませんね。

「雨上がりを待つ」という共通の設定も、「求める」記号だったのかもしれませんから。



(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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