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#ネタバレ 映画「ヒア アフター」

「ヒア アフター」
2010年作品
小さきものから貰う力もある
2011/2/26 10:55 by さくらんぼ


( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

お土産を買いに一人で街へ出るマリー。

そこで一人の少女に出会います。異国でマリーを癒やしてくれたのも、見知らぬ一人の少女でした。

では、少女はと言えば、物言わぬ「ぬいぐるみ」に癒やされていたのです。映画の中盤では「兄の帽子」に癒やされる少年マーカスも出てきましたね。

直後に襲う大津波。

津波とは大地震の後遺症です。あれを人間に当てはめて、人生の苦悩の後遺症を象徴的に表現していたのでしょうか。

生存者も死者との交信を求めています。肉体が消滅してしまった死者(小さきもの)からも、癒やしの力を貰いたいからですね。

薬物に溺れる母親も、子どもと隔離されて、初めて子どもの存在に癒やされていたことに気がついたようです。

そしてラスト。自分が救われる道は無い、と絶望の中にいたジョージは、臨死体験をしたマリーと出会いました。

本物の霊能力者であるジョージから言えば、素人同然のマリーは小さきものですが、それでも自分と同じ苦悩を抱えた者どうしとして、一瞬にして理解しあい、癒やし合う事が出来たのです。二人の間には愛が芽生えるという暗示まで映画にはありました。

ここで私は思うのですが、マリーがすでに人妻であったとして、さらに夫が霊能力者ではない場合はどうなるのでしょう。

マリーとジョージは魂が震えるほどに心が引き合うはずですので、真剣すぎる不倫の恋が生まれ、そこに新たな苦悩と悲劇が生まれそうです。

そこまで踏み込むと主題から離れていくので、映画ではそんなストーリーにはならないのですが、現実世界なら、その可能性も半分ぐらいはあるはずです。それを思うと現実世界のなんと哀しいことか。

上質な作品ですが、なぜか映画がとても長く感じられました。

★★★

追記 ( 導かれる人たち )
2011/2/27 9:53 by さくらんぼ

「交信」から派生するモチーフとしては、ランチの注文、救助、薬の処方箋、ネット検索、置手紙、電話、握手、本の出版、ブック・フェアー、サイン会、朗読CDなどがありました。

ジョージが読書ではなく朗読CDを聴いていたのは、お告げを聴く、にも似て、そのスタイルを踏襲した映画的表現なのでしょうね。

そしてマーカスたち双子の兄弟は、分身のように近い存在だからこそ、より未練が残る、惹かれあう存在の象徴として登場したのでしょう。

ジョージとマリーもまた、霊能力に足を踏み込んだ、似たもの同士として登場したのでしょう。だから二人が惹かれあう必然があるのですね。

聖書には「求めよ、さらば与えられん」と書いてある様です。マーカスは、兄と交信したいと必死になって手段をさがしていましたし、ジョージもマリーも、自分たちが救われる方法を模索していました。まさに求めていました。

また「小さきものから貰う力もある」と書きましたが、思い出してみると、聖書には「小さき者への祝福」の言葉も書かれています。

つまりジョージが小さきマーカスへしてあげた事は、イエスにしてあげた事と同じになるのです。そしてイエスからの報いとして、祝福がジョージに与えられました。これがマーカスからマリーの滞在先のホテルを教えた電話の正体ですね。

でも、ホテルに行くと外出中でした。このシナリオが憎いですね。ここでジョージに伝言を書かせ、自分自身の気持ちの再確認をさせる。これが事実上のラブレターになってしまうのです。見えない力に導かれる人たち。

少年マーカスが、ジョージを一目見ただけでマリーへの恋心を予言したことは驚きでしたが、裏にはこの様な物語が隠れていたのならば納得できます。まだジョージ自身も気がついていなかったと思われる恋心ですから。

追記Ⅱ( ソウルメイト )
2011/3/4 17:54 by さくらんぼ

マーカスが滞在していたファミリーでは、彼の友人になるようにと模範生のような青年を紹介しました。でもマーカスとは雰囲気が違いすぎて心が通いそうもありません。この映画では、いわゆるソウルメイトを重視しています。でも現実世界ではなかなか出会えない存在ですので、観ているほうは模範解答を見ているようで、一抹のむなしさも感じられました。

ところで、映画「ミリオンダラー・ベイビー」と「ヒアアフター」を比較すると、また興味深く鑑賞できました。これもまたソウルメイトな二作です。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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