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読書メモ「歎異抄」

 岩波の本である。購入して、現代語訳がないことに焦ったが、おおまかな解説を頼りに、原文を何度も朗読すれば、意味が分かってくる。しかし、門外漢にはまだまだその奥には入れない。
 善人なおもて往生す、いわんや悪人をや。善人は極楽にいける、悪人はもちろんとのこと。有名な言葉だ。阿弥陀如来の前では、人の基準による善も悪もない。また、善人には善行をしている意識があり、往々にして自らを頼んでいる。それは、阿弥陀如来という自分以外を信じることから離れる。そうすると、自分がなく、ふらふらしている悪人の方こそ救われる、という。
 そうなると、良いことはしなくて良い、悪いことをすれば良い、となるのではないか。神の定めた善行をする者が救われて、そうでない者は救われない、とした方が分かりやすいし、感覚に合う。
 しかし、阿弥陀如来からすると、人が思う善悪はないに等しい。どんな善人も悪いことはしてしまうものだ。それでも救われる、いつでも救われる、そうした阿弥陀如来の慈悲慈愛をもって生きることこそが望ましいということか。そうすることで、温かい人生、温かい人の世が実現するということなのだろうか。

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