推し事お疲れさま

推しを推すことを辞める時がくる。自分の心境の変化や、環境の変化、推し自身の変化によるものもある。

こういうのを担降りとかいうんだっけ?これってホスト界隈の中だけの言葉なのかな。

SNSで「推すことを辞めます!」と宣言してる人も見た事がある。





あれ、何?

なぜ辞めることを宣言する?「推すこと辞めないで!」って誰かに言われたいのか、それとも自分の中で決別するための自分のための宣言なのか。

経済的に推せなくなった、推しに恋人ができた、結婚した、自分自身が結婚した、理由は様々。

私にも今応援したい推しがいる。プレゼントをしたり、見たライブの感想を呟いたりするくらいの推し具合だ。

その人が結婚したら?恋人が出来たら?

変わらず推していくんだと思う。変な話、その人が結婚しようが、恋人ができようが、その前からしていた妄想には何の関係もないからだ。その人が結婚しても、今してる妄想をこれからもすればいい。これまでと何も変わらないからである。

どこかの二刀流メジャーリーガーさんのことを死ぬほど推してた人が結婚した途端に手のひらを返して憎い憎いと呟いていた。


そういう人がもしこれを読んでいたら、いないと思うけど、めっちゃごめん。





くそダサくて惨めだなぁと思う。

たとえそう思っていたとしても静かに家のチラシの裏にでも書けばいいものを全世界に見えるとこに書きなぐって誰の心が休まるんだろう?書いた本人も余計に悲しくなるだけだ。

ここで言っておきたい。私の言う「推しが幸せなら私も幸せ」という考え方も「推しが結婚するなら推すの辞める、なんなら憎む」という考え方も、どちらも正解というものでは無い。どちらも正しいし、どちらも間違ってる。

考えるのは自由。それを人に見せるか見せないかということだけ。それだけなのだ。

惨めって言ってごめんね。外に向かって言うことが惨めって意味だからね。自分の内に秘めておく方が自分のためにも人のためにもいいんじゃない?ってことで。

今日は弟の卒業式だった。

推し事にも卒業はある。卒業おめでとう。推し事お疲れさま。


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