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大槻香奈の芸術お茶会「工芸とは何か?」

配信の終わり近く、大槻さんから「青山さんはこういうもやもやした感じで考えてることがたくさんあるんでしょう?」と問いかけられました。その通り。ずっとあらゆることを考えています。ずっともやもやしています。
世の中には納得いかないことだらけで、それをどうにか納得するのか、それとも世界を変えるのかを選択できるように自分は勉強をしているのではないか、と思います。

【勉強会#2】青山泰文×池田はるか×大槻香奈『みんなで考えよう「工芸とは何か?」お勉強会!』


前回に続いてのお勉強会。今回のテーマは「工芸とは何か?」無謀な問いです。「工芸」の共通認識の部分は確実に存在するものの、それがどんなものかを簡単に説明をしようと試みると、途端に「あれもこれも」となって姿が掴みにくくなる。コメント欄でも僕にはない視点のイメージがありとても興味深いものでした。

そもそも昔から「工芸」という言葉に納得ができていません。その概念には何か不確かで不安定な、人を混乱させる何かがあると感じていました。その頭に「伝統」がつけば尚更に。学べば学ぶほど、その直感は正しいと思えるようになりました。現在の「工芸」に繋がる言葉の成立過程を追うとそのあやふやさが浮かび上がります。
それでもどこか納得がいかない。同時に「工芸」に対する理解は自分の仕事において必要なことだから学ばないといけないのです。
結果として「今『工芸』という語が指し示している領域が間違っている」と理解し、世界を変えることを目標としています。

「世界を変える」とは言っても、世界には様々なレイヤーがあります。極端な考え方として、ヴィトゲンシュタイン的に"私は私の世界である"とも言えるし、自分の存在を必要としない、客体の集合としての素朴な世界もあるのかもしれません。どのレイヤーの世界を変えるべきかは場合によりますが、工芸の件に関してはこの社会における「工芸」という概念を変える、と
いう方向で考えることにしたのです。

自分なりの「工芸」観のとっかかりは配信中に使用したレジュメにまとめています。有料部分に入ると読めます。(ご購入お願いします)
ただし言葉とは難しいもので、自分なりのポイントはまとまってきているものの、いざ説明しようとするとまだうまく言語化できない領域を発見したり、説明しながら「なんか本当に考えてることとは違うな・・・」と言うポイントまでズレていったりします。そもそも本質的に定義不可能性を孕む問題を扱っているためにしょうがないとも言えるのですが。現代において妥当な、そしてこの先のしばらくの時代において通用する言語化が必要であり、同時にその言語化不可能領域を示す、という仕事が必要です。
今年発刊予定の『日本現代うつわ論4』に寄せる論考ではそのあたりを書くつもりでいます。つまり今回の配信は個人的にその前哨戦となるような回でした。おかげさまでいろんな視点を自分の中にインストールできて大変勉強になりました。

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結局のところ、「工芸」にしろ芸術一般にしろ、製作者一般と鑑賞者一般のコモンセンスを繋ぐような落とし所が必要です。論理の部分と実感の部分の距離感をどう擦り合わせるかが議論の土台とするべきだと思います。
もちろん最先端のロジックで成立する批評や制作もありますけれども、それもやはり実際的な実感の在処を礎にすべきではないでしょうか。
その意味でも工芸界隈における批評の役割は非常に重要ですが、審美眼と言葉が全く不足した状態にあります。
その意味でも、このお勉強会はかなり貴重で大事な場だったのではないかと思います。


何よりめちゃくちゃ楽しかったです。大槻さんと池田さんの視点はいつも刺激的ですし、頂いたコメントについてももっとお話したいことがたくさんありました。
何せ僕はもやもやと色々考え続けています。
ありがたいことにまた遠からずお勉強会は開催される模様ですので、またネタを仕込んでおきます。
ということで昨晩のアーカイブにもぜひ後からでもコメントいただければとても嬉しく思います。貴重な場なので長く続いて欲しいです。よろしくお願いします。

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