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雑記28 / ドラクエ

子どもの頃はドラクエが好き、というよりもドラクエの攻略本が大好きだった。装備品やモンスターのイラストを眺めて、その数値を頭に入れて、物語の断片を読みながらストーリーへの想像を膨らませる。それが楽しかった。

SFC版『3』の攻略本が出る前にファミコン版の攻略本を買って、後から出たSFCの攻略本と読み比べたこともあった。実際にプレイしているゲームの進行より先にどこのダンジョンでどれくらい強いモンスターがいるかも、ダンジョンの構造すらも覚えてしまっていた。先々で手に入る装備品がどれくらい強くていくらで売ってるとか、モンスターのHPも、使ってくる技も全部。隅々まで覚えていた。さすがに今は忘れたけれど。

どのタイミングまでにパーティーのレベルはどれくらいにしておくべきで、メンバーと装備はこんな感じで・・・と頭の中で想像したことをなぞり、想像していたことを確認するようにゲームを進めていたように思う。


当時は「ゲームは一日一時間」と親にルールを決められていたからかもしれない。その不足を埋めるように攻略本を一生懸命に読んだ。するといつの間にか攻略本を読むこと自体が目的になってしまった。『4』に至ってはソフトすら手元にないのに、攻略本だけを読み込んでいた。大人になってスマホリメイクで遊んだ時に、初めてなのに全部知っていて不思議な気持ちになった。

と、ここまで書いてみて穂高隆児さんの個展『道楽口重(どらくえ)』の話にうまく繋げようとしたけど無理だった。

無理矢理ここから穂高さんの話になります。
穂高さんの作品を前にすると「土は…?」「釉薬は…?」とか「窯はどんな…?」といういかにも焼き物っぽい話もできるし、それはそれで楽しいものの、何よりまず「この器で何を食べたいですか?」というコミュニケーションが始まる。それが嬉しくて楽しい。

同じ器を見て全く違う使い方を思い浮かべたり、誰もイメージしなかった食べ物との組み合わせを口にしたり。器ありきで料理のイメージが拡がり、目の前の人との器を通じた対話が始まる。「この器で何を食べたいか?」とはすなわち、その人が持つ美意識とある側面を少しだけ明らかにすること、それを通じてその人自身を知ることでもある。
手料理かもしれないし、高級料理屋のイメージかもしれないし、あるいはスーパーで買ってきた惣菜を超カッコよくみせる手段かもしれない。その言葉の端々に、作品を見る人の視点が滲み出てくる。
「なるほど、それもいいですね!」と膝を打ちたい。かつて魯山人は“器は料理の着物”と述べたけれども、それとはまた異なるベクトルでの器の鑑賞がここには存在している。
すごく細やかで親切な、それでいて背筋伸びる器が揃っている。
その細やかさはおそらく、目の前で「ここがですね…」言わなければ伝えにくい。例えば盛り付けたときの箸の入れやすさとか、そういったほぼ暗黙知に近い領域の話で。

インタビューはこちら。よろしくどうぞ。


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