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【告知】『みんなで考えよう「工芸とは何か?」お勉強会!』

ということでまた呼んでいただきました『大槻香奈の芸術お茶会』。
おかげさまでご好評の前回に続きお勉強会です。

今回のテーマは「工芸とは何か?」です。
また大きな問いです。主語は大きいし、「XXは何か?」という問いは基本的に着地点を持ちません。あるいはその問いを準備した人物の恣意的な回答に誘導される形であらかじめ定められた結論に辿り着くばかりでしょう。
このお勉強会に着地点があるとすれば、各々が問いの性質を整理して、日々の生活や創作に戻っていくことだと思います。
今回も僕が簡単な導入レジュメを準備します。言葉の定義とその用法の歴史が主、そこに個人的な見解と問いを示します。
そこで皆さんの意見をお伺いしたい。絵画を主とする美術作家の大槻さんや池田さんからの制作における実践的な肌感覚は工芸畑出身の自分とは必ず異なるでしょうし、ご視聴の皆さまの実感や認識もそれぞれだと思います。
それを重ね合わせながら「工芸とは何か?」を考えられれば幸いです。
お楽しみいただけるように準備していますので、ぜひご視聴いただければ幸いです。アーカイブも残りますので後からでもぜひ。お茶を片手にどうぞ。

ここに個人的な問いの動機を記述しておきます。
僕は製陶を生業とする一族に生まれました。60年ほど祖父と叔父が立ち上げた「草の頭窯」は従兄弟が継いで今も続いています。

祖父が復刻した美濃の土による染付の器は、ちょっと特殊な立ち位置の焼き物でした。
染付だけれども磁器ではなく、陶土を使うけれども吸水性はない。祖父はいわゆる文人趣味で、古典的な古染付の絵柄を踏襲しつつも、書画のパターンを器に落とし込んでいました。
美術品というには日常使いの道具であり、かといって雑器というには位格もあり、いわゆる民藝の器とは一線を画す。
市の無形文化財として世間的な評価もいただき、虎渓山永保寺とのお付き合いも深く、様々な品目を各所にお納めしている。けれども、例えばデパートにおける販売カテゴリーとしての「美術」ではない。
食器として売るには高いし、美術品というには実用的すぎる。
祖父の窯から独立した父も染付の器を作りながら、カテゴライズ不能なその立ち位置に頭を悩ませていたようです。

僕が父の仕事を手伝っていた頃には「クラフト」がブームとなり「生活工芸」という言葉も出始めたころでした。同時に、金沢方面を中心に工芸未来派など「工芸」をアートの文脈に合流させようとする動きも盛り上がっていました。2014年前後の話です。古田織部400年忌もあり、『へうげもの』もクライマックスでした。村上隆さんも陶芸界隈で色々と動きを見せていた頃ですね。
結局、陶芸をめぐって様々な言葉や概念が飛び交いながら、何か権威的な中心軸を立ち上げようとして、まとまらずに拡散していったのがこの時期だったのではないか、と思います。
陶芸にまつわる様々なカテゴリは細分化しながら、それぞれのマーケットに適したジャンルの言葉を纏って、適切なカテゴリとマーケットを見つけられた作家は大きな流れとは関係なく活躍しているようにも見えます。

そんな世間の状況を横目に「うちの父親が作っているものは何なんだ?クラフトでもない、美術でもない、民藝でもない。しいて言えば工芸かもしれないけれども、この言葉はあまりに不明瞭だ」と頭を抱えていました。フィットする概念があればマーケティングもしやすいですし、あるいはそのマーケットに寄せていけばその先もあったかもしれません。

実は今日まで、草の頭窯は日本橋三越でイベントを開催しており、最終日に駆け込みで顔を出してきたのですが。なぜかリビングのエリアに染付小皿5000円から白天目茶碗100万円までがぎゅうぎゅうに並んでいました。異様な光景でした。祖父の作品でまだ手元にあるものも普通に並んでおり、美術とか工芸とかクラフトとか生活工芸とか本当に全然馴染まないし、やっぱり既存のカテゴリに収まらないのか、と。結局そうなのかと妙な安堵感を覚えて帰ってきました。

思い起こせば祖父の代からすでにこの「工芸とは何か?」を抱えた血筋なのかもしれません。
ということで6月10日19時半より、よろしくお願いいたします。

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