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青山魔法教室 初級全編

1
魔法を使うに当たって
最も重要視すべきは

ユーモアのセンスである

とても大切なことなので
もう一度言います

魔法を使うに当たって
最も重要視すべきは

ユーモアのセンスである

Oxford Languagesの定義を引用
「ユーモア」
人間生活ににじみ出る、おかしみ。上品なしゃれ。人生の矛盾・滑稽(こっけい)等を、人間共通の弱点として寛大な態度でながめ楽しむ気持。


ユーモアは、人を和ますものであり
自身の身の守りでもあります

ユーモアのセンスを磨くことによって
不必要におどけることも、愛想をふりまくこともなく
嫉妬や皮肉、嫌味に動じることもなく
魔法使いとして、この社会を
穏やかに過ごしていけることでしょう

そのために
寛大なこころ、大きなビジョンを持ちましょう

そのために
不要なものは、手離しましょう

生まれてこの方、ずっと執着していたもの
それを見つめなおしてみましょう

「宝物」としてきたもの
それを見つめなおしてみましょう

それと同時に

見て見ぬふりをしてきたもの
自分の中で
見て見ぬふりをしてきたものに
ひかりを当ててみましょう

自身の滑稽(こっけい)さに気づき
そして涙したとき
ユーモアのセンスが
あなたの中で花開くでしょう



2
当教室では天動説を採用します

天動説は魔法を使うに当たっての
大前提となるものだからです

しかし
それは一般的に思われているようなものではなく
当教室独自の天動説です


Oxford Languagesの定義を引用
「天動説」
地球は宇宙の中央で動かずにおり、諸天体がその周りを動いているとする説。


上記が一般的な、西洋由来の
天動説の定義になります

皆さんが魔法を学んでいくうえで
Oxford Languagesの定義にある
「地球」という概念は忘れてください

また、古代の天動説

丸い巨大なお盆の上に陸地と海洋があって
その上を星たちがぐるぐる回る
というような感じのもの

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こういったイメージのものも忘れてください

当教室でいう、天動説は「感覚」的なもの
つまり
五感の入力にもとづいたもの
いわば
意識的に確認できる世界が
「世界」であります

そして、それゆえ
それは天動説的世界に
ならざるをえないということです



3
当教室の言う天動説では
ひとりひとりに
それぞれ個別の天空が与えられています

なぜなら
各自一つずつの「身体」(からだ)
を持ち合わせているからです

一般的に思われているような天動説とは違い
各人が地軸、世界の中心としてあります

10人いれば、それぞれに10の天空
100人いれば、100の太陽
1000人いれば、1000の月

各人が地軸、世界の中心としてあり
そして、それは各世界の主は
おのおの各自であることを意味します

まずは日々の暮らしの中で
そのことを
少しずつ感じ取ってみてください

天空は自分を中心軸として動いていると
「自分の世界」は
自分を中心軸として動いていると

「少しずつ」です

朝、目覚めてからの数秒ほど
お茶を飲んで、一息ついたとき
入眠前のほんの一瞬

そのことを何となく感じ取ってみてください
面白半分で、楽しみながらやってみてください

まずは自分を中心軸として動いている
天空、そして世界を感じ取ってみてください

また、自分以外の人たちにも
それぞれの世界があることも知っておいてください



4
天動説は魔法を使うに当たっての
大前提となるものです

大地が、宇宙を回っているのではなく
天空が動いている、としてください
そして
「宇宙」という概念も忘れてください

学校で習ったこと、常識や通例などは
「別の法」であることを知ってください

そして、そのことについての
他者との議論は、うまく避けてください

魔法使いとして生きていく道のりは
それ以外の人たちにとって
ときに脅威となりえるということ

そのことも知っておいてください

ほとんどの人は、他人との比較によってしか
自分の立ち位置を把握できないと思い込み

どのようにして他人を支配するか

もしくは

どのようにして、うまく他人に支配されて
有利な位置を確保するか

ということにしか関心がありません

そういう人たちにとって
自分とは違う方法で生きる人間を
認めることはできません

なぜなら
自分とは違う方法で
相手が上手くいっているように
見えれば見えるほど

「おまえのやり方では上手くいかない」

「おまえには出来ない」

というメッセージのように思え
自我崩壊の危機にさらされるからです

そして
その危機を回避するために
相手を批判、否定し
自分の正しさを証明しようとします


他者との議論は、うまく避けてください



5
当教室の言う天動説の
その中心軸である「自分」を確定します

そのために、自分の身幅を確認します

「私」という一枚の皮膚で覆われた存在を
今一度、確認します

足の裏から、頭の先まで
自分と外部世界を分けている表皮を
全身をくまなく観察してみます

全身をスキャンするような感覚で
とりこぼすことなく
くまなく調べてみてください

皮膚の外側が「世界」です
皮膚の内側が「自分」です

「世界」と「自分」を統合するものが皮膚です

身体を覆う皮膚感覚を知ることこそ
「自分」と「世界」を確定することとなります

就寝時に横たわった際などに
全身スキャンをやってみてください

特に感覚が鈍い部分や、違和感のある個所には
そっと手を添えて
その感覚をうけとってみてください

リラクゼーション気分で毎日少しずつ
全身をゆるめる感じでやると良いでしょう

ある程度こなれてきますと一発で
スイッチ・オンできるようになります
ひとりの部屋の中だけでなく
雑踏の中においてでも
「自分」を確定できるようになります



6
「世界」のサイズを知りましょう

「自分軸世界」は
自身のとらえることのできる範囲に限られます

感じ取れる領域以外に
「世界」は存在しません

たとえば
あなたが、自室でねそべっている時
その部屋が「世界」の全てです
その時
ニューヨークも北京もサンパウロも
存在しません

感じ取れる領域以外に「世界」は存在しません

あなたが、自室でねそべっている時
パリから国際電話がかかってきたとしても
パリは存在しません

「あなたの世界」に電話という
「音声情報」が介入し
その情報を
「情報処理」したにすぎません
ですので
パリは存在しません

あなたが部屋を出て
コンビニに行くとします

そのコンビニは
あなたの「移動」によって出現します
あなたが「移動」しなければ
そのコンビニは察知されず
「世界」に存在することはできません

魔法使いにとって
観察できる領域以外に
「実在」はありません



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当教室の言う「天動説世界」の全体像として
初代ファミコンのロールプレイングゲーム
ドラクエをイメージしてみてください

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画面のサイズ以上の世界は表出しません
主人公である自分は、どこへ移動しても
常に画面の中心にいます

「世界」が動くのです

目的地へ行くのではなく
目的地がやって来るのです

自分は常に世界の中心にいます

では、表出していない部分は「実在」しないのか
はい、「実在」しません

観察できる領域内、つまり
「認識」できないものは「実在」ではありません

では
「自分軸天動説世界」の領域の外
ここでいう
ファミコンの画面のフレームの外は
どうなっているのか

「実在の世界」から見ると
それは「無」です

しかしながら
「無」は「無」であるゆえに
「実在」はしませんが
「無」として「存在」します

言いかえると
「潜在」するということです



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「無」は「実在」しませんが
「存在」はします

表面に出てくることなく
「潜在」しています
「実在世界」以外は「潜在世界」です

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「意識」によって照らされた部分以外は
「潜在世界」です

そのことを思い浮かべたとき初めて
「潜在世界」は「存在」できるようになります

あなたが
意識によって照らされた部分「以外」がある
と気づいたとき
「潜在世界」は「存在」できるようになります

なぜなら
その「存在」を認めたからです

「実在」ではないものを認めるのは
「観念」によるものです

「観念」とは
具体的なものがなくても
それについて、心に残る印象
のことをいいます

その「観念」は
あなた自身から生じるものであり
それゆえ
「潜在世界の存在」は
あなた自身の「皮膚」に
包まれることになります

つまり「潜在世界」は
あなたが内包しているものであり
あなた自身であるということ

「世界の果て」は
自分の皮膚の「内側」である

魔法使いは
そのことを知っています



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「実在世界」をおおう「潜在世界」
その「潜在世界」を
「観念」で包み込むあなたの「皮膚」

「観念」とは「主観」ということです
自分の考えということです

それをもとに
すべてが「主体化」されたとき
「世界」は「自分自身」になります

「自分」を確定したとき、「世界」は確定されます
また
「世界」を確定したとき、「自分」は確定されます

「世界」というものは「自分自身」ということです

では、「観念」の素地は何でしょうか

それは、「意識」というもの

「意識がある」とか
「意識がない」とかの
「意識」のことです

「意識」が無ければ
「実在」も「無」もありません
科学も音楽も文学も数学もありません

ありとあらゆるものを司る「意識」

「意識」が無ければ、何もありません

なのに「意識」は
毎夜、消えて無くなり
お酒を飲んだり、衝撃を受けたりすると
いとも簡単に揺らいでしまうような
とても脆(もろ)いものです

「確定」を行うはずものが
ものすごく不安定であるという事態

これは、どういうことでしょうか
いったい
「意識」とは、何なのでしょうか

これほど脆弱(ぜいじゃく)なものに
すべてを委(ゆだね)てもいいのでしょうか



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「意識」とは「身体」という「構造」の
「機能」であるといえます

「自動車」という構造に
「ドライブ」という機能があるように

「冷蔵庫」という構造に
「冷却機能」があるように

「パソコン」という構造に
「データ処理機能」があるように

「意識」とは「身体」という「構造」の
「機能」であるといえます

そして「身体」

脆弱な「意識」と違って
「身体」ほど確実なものはありません

もちろん
「身体」を認識するのも
「意識」ではありますが
「意識」無しでも
「身体」は「存在」しています

前夜に飲食したものを
睡眠時、気づかないあいだに
翌朝に消化し排泄しますし
爪や髪は、意識しなくても伸びます
かさぶたも勝手に治ります

「無意識」のなかでも存在してしまうほど
「身体」は確実なものなのです

「無意識」に「皮膚」をかぶせた状態が
「身体」ともいえるでしょう

その確実な「構造」のうえに
もろく、はかない
「意識」というものはなりたっています

では、その起動は、「意識がある」
という状態を発動するためのスィッチは
誰が、もしくは何が押しているのでしょうか



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このような玩具を知っていると思います
パイプ型の「構造」を持ち
息を調節しながら吐くと
ボールが浮かび上がるという「機能」を持っています

これに例えますと

ボールが浮いている状態が
「意識がある」状態で

それ以外の状態は
「意識が無い」状態です

ボールがパイプをコントロールすることはできません

ボールが浮いている状態は
息を吐くことによって生じた
「結果」であるということ

絶妙なバランスによって保たれた
「結果」であるということ

つまり
「意識がある」状態とは
何らかの作用の「結果」であるということです

自動車に例えます

「走行」という「結果」は
「自動車」という「構造」を使って
「運転手の運転」によって生じます

「走行」が「運転手」を生み出すことはありません

サイドブレーキを引いていない
無人の自動車が坂道を転がり落ちていくとき
そこに「運転手」が生じることはありません

では
「意識」という「結果」は
「身体」という「構造」の
何を使って生じるのでしょうか



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「観念」という「意識」の働きによって
「実在世界」だけでなく「潜在世界」
をも内包する「身体」

そして
「実在」の極みである「身体」

睡眠時であれ、泥酔時であれ
「意識のない」状態であっても
「存在」し続ける「身体」

その「存在」

「皮膚」という薄皮一枚でへだてられ
そして、なおかつ「リンク」する
「身体」と「世界」
それは
分離して「存在」することはできず

「身体」は「世界」で
「世界」は「身体」

「意識」の反映が「実在世界」で
「無意識」の反映が「潜在世界」

「陰」極まりて「陽」に転じるが如く

「無意識」極まりて「意識」に転じる

一枚の皮膚が肛門で閉じあわされ
身体内部を筒状に抜けて
外部のものを取り入れる口腔と成るように

「無意識」
「潜在世界」の反映である
「無意識」

「無意識」が閉じあわされるという
その作用の「結果」生じるもの

「無意識」が満ちあふれるという
状態の「結果」生じるものが
「意識」なのです



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明治後期から昭和期にかけて活躍した落語家
五代目 古今亭志ん生さんの小噺(こばなし)

「うーん? 俺の夢なんざァ、もっと大きいや」
「そうかい。どんな夢」
「うーん。ナスの夢だい」
「ナスの夢? ナスなんぞ、おめぇ、どれだけ大きいんだ、大きいったっておめぇ、なんだろう、まぁ一尺ぐれえの大きさのナスっていやァかなり大きいな」
「そんなんじゃねぇんだ、もっと大きいんだ」
「あァん? 何か、三尺ぐらいのナスか」
「もっと大きい。ずっと大きいや」
「畳一畳ぐれぇか」
「もっと大きい」
「じゃ、この、六畳の座敷いっぱいくらいのナスか」
「いやァ、もっと大きい」
「じゃ、この家ぐれぇか」
「もっと大きい」
「そんな大きい……町内ぐれぇか」
「もっと大きいや」
「……うーん、どんな大きいナスだ」
「暗闇にヘタつけたようなンだ」

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「ナスビ」は「概念」としてあります

「概念」というのは
おおかたの人が「こんなもんであろう」
と思う共通項的なものです

「ナスビ」と聞いて
「はいはい、ナスビね」と思い描く「ナスビ」です

「暗闇にヘタをつけたようなナスビ」は
「観念的」な「ナスビ」です

夢を見た人が「主観的」に描いた「ナスビ」です

では、この「暗闇にヘタをつけたようなナスビ」
の構成を当教室向けに解釈しますと

「暗闇」が「無意識」で
「ヘタ」が「意識」

世界観として置き換えると

「潜在世界」が「暗闇」で
「実在世界」が「ヘタ」となります

このイメージを落とし込んでみてください



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当たり前のことですが
「モノ」は存在します

「モノ」とは「物体」のことです

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚
いわゆる五感ですべてで
同時に認識可能な「モノ」

これらが在るということを
当教室は「実在」と呼びます

その「実在」と「それ以外のもの」
を含めて
「存在」といいます

「存在」は「実在」を含んでいます

これは、とても大切なことなので
もう一度いいます

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「存在」は「実在」を含んでいます
そして
「存在」は「実在」の世界に介入します

生身で生活している「実在」の世界に
介入します

知らずしらずのうちに
介入します

自身が選び入れたかのように
介入します

自身で介入させることもできます

それらの介入する「モノ」と
日々の暮らしの中で
どのように向き合っていくか

それが、当教室のお伝えする
「魔法」の真髄(しんずい)となります



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「実在」と「それ以外のもの」
を含めて「存在」といいます

では、「それ以外のもの」
とは何でしょう

それは、「事象」とか「気体」とか
また、頭の中だけにある
「概念」とか「観念」とかのことです

何であれ
想像しえるものは全て
「存在」しえます

自分だけの夢想であれアイデアであれ
思いつくもの全てが「存在」しています


ホラー映画をみて怖くなり
家じゅうに魔除けのお札を貼る

その時点で
「魔」が「存在」してしまいます

「除ける」という行為をもって
その「存在」を認めてしまうからです

そして、そのお札を
毎日視界に入れることによって
その「存在」は「実在感」をともなって
「存在」するようになります

その「存在」が満ちてくると
「実在」の色合いが濃くなっていくのです

「実在感」のある「存在」

ややこしそうなものに見えますが
恐れることはありません

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
ということわざもあるくらいです



16.
「概念」や「観念」が発信されたものを
「情報」といいます

「魔除けのお札」
「実在」の「モノ」としては、「紙片」ですが
「存在」としては「情報」になります

紙片としての形があるので
「情報の記録」といった方が良いでしょう

「情報」の記録された紙切れ

「これを貼ると、怖いオバケから身を守れますよ」
という「情報」の記録された紙きれ

「情報」であるかぎり、発信者がおり

たいていの「情報発信」は発信者の
利益誘導か承認欲求として行われます

これは良し悪しではなく
それはそういう性質のものです

魔除けのお札
「怖いオバケから身を守れますよ」という「情報」

ここに、2つの意図が読み取れます

① 怖いオバケがいますよ
② 発信者には、守る力がありますよ

① という前提があっての②への誘導です
① の前提が成り立たないと②へは行けません

こういうケースに唱える呪文をお伝えします
(やっと魔法教室らしくなってきました)

洗脳系情報に対する魔法の呪文

唱えてください

「アル・ゼンテ」


何じゃそりゃ
と思負われた方は、もう一度
テキスト「その1」を読み返してみてください




17
「アル・ゼンテ」は
その「情報」が持つ本質に
勝手に「名前」を付けたにすぎず

別に

「ヤリニキヨンナ」でも
「アル・カモネ」でも
「アル・ラシーノ」でも

名前が付けば、何でもかまいません

発信された「情報」を再び「概念」へと戻して
発信者の意図を読み取り
言葉でもって一刀両断できれば
呪文の完成です


まとめます

頭の中にだけあるようなもの
想像しえるものはすべて
「存在」してしまいます

それが発信されることにより

「情報」となります

その「情報」を色濃く「存在」させるか
または、無視するかは自由です

無視するのが困難な場合

その「概念」自体に名前を
できる限り
ユーモラスな「名前」をつけます

そうすることにより
「実在感をもってしまった存在」の
「実在感」と「存在」は切り離され

単なる誰かの主観が発信された「情報」と
単なる「紙切れ」へと
回帰させることができるでしょう



18
くどいようですが
「実在」は「存在」ですが
「存在」が「実在」とは限りません

白い馬は馬ですが
馬は白いとは限りません

ゴジラは「存在」しますが
「実在」はしません

「数」というものも「存在」はしますが
「実在」ではありません

「言葉」も「存在」はしていますが
「実在」ではありません

残念ながら
「お金」も「存在」していますが
「実在」ではありません


「数」「言葉」「お金」
については、中級クラスにて
たっぷりとお伝えいたします


何であれ「実在」の世界とは
叩いて音がして、なめると味がして
さわれて、見えて、においがする
いわゆる「モノ」がある世界です

「身体」自体が
「実在」の極みということもあり
「実在」の世界は
非常に制限の多い世界です

何をするにしても、水分を多く含んだ
生身を動かさなければなりません

「意識」は、その制限を嫌います

とても嫌います

「意識」は「実在」ではないからです

できるだけ安易に行きたがります
そして
その安易さが、混乱を招くことが多々あります



19
「意識」は「身体」という制限を嫌います
「実在」である「身体」を嫌います

できれば消し去りたいと思っています

勝手に壊れたり、腐ったり、匂ったり
衰えたり、やせたり、太ったりする
変化の多い「身体」を嫌い

陶器のような肌や
人形のようなプロポーションを求めます

「意識」は「身体」を恐れます
予測がつかないからです

節制していたにもかかわらず
旅行前に風邪をひいたりして
「こうすればこうなる」
が通用しないからです

そんな間も我関せずとばかりに
「身体」は、けなげに、消化排泄し
傷を治し、命を育みます

良かれ悪かれ
「意識」のコントロールを
外れて活動をする「身体」を
「意識」は見たくありません


その反面
「意識」は「情報」が大好きです

変化しないからです
予測がつくからです

昨日見た映画を今日見ても
変化しません、同じです

録画した昨日のニュースの内容が
今日になって変わっていることはありません

「情報」はとても便利です
「情報」を単なる「情報」として扱っている間は
とても便利です

しかし
「情報」が「情報」以上の存在
「実在感」を帯びて
日常の中に介入してきたならば

どうぞ呪文を唱えてみてください



20
魔法使いのみなさん

「軸」を
「自分」という「軸」を
「世界」の中心である「軸」を

他に捧げてはなりません

それは
決して奪われることのないもの

そうであるにもかかわらず
それを見失ったと感じるとき

知らず知らずのうちに
何かに捧げてしまっているかもしれません

何かの「為」に
誰かの「為に」に

そういう行いがなされたとき

「世界」そのものであった「自分」は
「世界の小片」へと成り果ててしまうでしょう


「習慣」として
また「常識」として

何気なく成される行いから
それは捧げられるでしょう

良かれと思って
相手のことを思って

何気なく成される行いから
それは捧げられるでしょう

単なる娯楽として
気晴らしとして

何気なく成される行いから
それは捧げられるでしょう


これで初級編は終わりです

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