元Jクラブのフィジカルコーチがジュニア指導を始めた話①「スタート」
はじめに
この記事は、約20年活動しているフィジカルコーチがグラスルーツのジュニア年代の「コーチ」として試行錯誤する記録である。
2022年4月。
41歳にして初めて「コーチ」としての活動を始めた。
今までの活動は全て「フィジカルコーチ」
フィジカルコーチという専門職がジュニア年代にどのようにアプローチするか興味がある人も一定数いると考えている。
今回の記事は無料。
以降は全て有料。
それなりに専門性を転用できる形で出していくつもりであるし、高いモチベーションがある方にのみ読んで欲しいと考えるからである。
この記事は2022年の9月に書いている。
コーチ活動をスタートして半年が経とうとしている今、決断した。
実は当初からジュニア指導のnote連載は考えていた。
ただ、noteは作成したこともなかったし、気楽にスタートしたかった。
そして今、半年経った中で成果を感じているし、それが役に立つ人もいると確信している。
現在関わっている4年生チームは、半分以上が3年生になってサッカーをスタートしている。
正直、弱い。
そしていわゆる「能力が高い子」はいない。
そして活動は土日のみ。
近隣のチームと比較すると、活動は少ない。
そんな中でどうしたもんか?
もがくだけもがいてみようと。
以上のことから、
弱いチームを指導している方
初心者に近い子たちを指導している方
サッカーコーチを始めて間もない方
「フィジカルコーチ」が何をやるかに興味がある方
このような方々にとっては、臨場感のあるエンタメとしてお楽しみ頂けるのではないかと思う。
一応過去にそれなりのブログ経験があるので、多分それなりに読みやすい、はず。
コーチ就任の経緯
約20年、ずっとフィジカルコーチをしてきた。
フィジカルコーチしかしてこなかった。
学生時代に社会人チームと大学サッカー部を合計3年間。
そしてJクラブで12年。
横浜F・マリノスの育成で6年、徳島ヴォルティスの育成で5年、東京ヴェルディのトップチームで1年ほどフルタイム契約での勤務歴がある。
ちょっとだけスクールアシスタントコーチをしたことはあるが、ほんの鼻毛くらい。
その後は桐光学園、鹿児島実業といった強豪高体連の指導を歴任し、現在は埼玉の強豪校である市立浦和高校サッカー部となでしこリーグ所属の大和シルフィードの指導、パーソナルトレーニングとオンライン講座の運営などをしている。
フィジカルコーチはなりたかった職業だから、個人的には夢が叶って充実して過ごして人生を楽しんでいる。
現在指導しているのは市内の近隣のチーム。
所在地は東京。
そこの4年生を担当している。
選手名、チーム名について公表するつもりはない。
問題ない気もするが、面倒なことになるのは防ぎたい為だ。
なぜ4年生を担当しているかというと、息子がいるからである。弱すぎる息子の学年を強くしたいのである。
チームのルールとして、保護者がコーチをする場合は子供の学年を担当する。
これ、クラブチームとかだと逆だったりしそうなものだが。
理由としては、そうしないと練習試合などで保護者と子供の活動場所が変わってしまう為に子供の引率などがややこしくなる為だそうで。
確かにそりゃそうだ。
息子の学年を担当したかった自分にとっては丁度よかった。
1年生
ここで担当している現四年生の学年の歴史について書いてみたい。
それなりに紆余曲折があるのだ。
息子がチームに加入したのは1年生の初夏の頃。
完全に父の影響である。
恐らくサッカーに全く興味がなかった息子を乗せて乗せて連れて行って、加入。
つまりかなりの責任が父にある。
当初同学年は3名。
そのうちの1名は超絶運動能力が高い。
もう1名は息子よりちょっと上くらい。
※しかしながらこの2名、現在(2022年9月)はもうチームにいないので、気づけば在籍期間が一番長いのは息子なのである。
3名しかいないので、基本的に一学年上の2年生と一緒に練習。
これがなかなかキツい。
2年生は人数が20人以上おり、その年の市内大会で優勝。
黄金世代と呼べるほど強かったのである。
つまり、2年生と渡り合えるのは前述の運動能力高い子のみで、息子ともう1名の居場所は隅っこという状況であった。
試合をすれば、息子はボールの3m脇を並走していただけである。
早く同学年がたくさん入ってくる事を祈っていた。
夏前頃に隣の小学校から1名加入。
熱心に練習する子で、この子もレベルが高かった。
それ以上はなかなか増えず、逆に年明けに1名やめて3名に。
2年生
学年が変わるタイミングで息子がやめると言い出さないか心配していたが、継続。2年生になると、活動形態が変わり、下の学年と共に1.2年生での活動となった。
これで少しホッとした部分があったが、新1年生は幼稚園から続けている子が多く、レベルは決して低くなかった。
この年、学年の保護者の代表である「世話人」を務めることとなった。
人数募集ポスターを市内の掲示板に貼りまくるなどするも効果はでず。
そんな中でも秋には1名が加入。
これで4名に。
息子と仲の良い子でレベルも同じくらいだった事もあり、息子にとってもより楽しい場になったようである。
しかしながら、コロナの影響が非常に大きかった一年。
休校の時はもちろん、夏休みなど大部分の期間でまともに活動はできなかった。
3年生
このタイミングで大きな変化が起こる。
3年生へ年度が変わる数ヶ月で一気に6名が加入したのだ。
ついに同学年でチームが組めるようになった。
歓喜。
しかしながら、難しい部分があった。
加入した子のほとんどがサッカー初心者だったのだ。
そして3年生になると大きく変わる点がある。
8人制での公式戦スタートである。
過半数が初心者でいきなり8人制スタート。
ハードルは、高い。
※ちなみにこの年についてものコロナの影響が大きく、この年もチームの活動が停止している時期が長かった。
なかなかの厳しさを象徴するようなシーンを一つ紹介したい。
公式戦で相手のPKとなったシーンで、なぜか子供達の半分以上がゴールの裏へ。完全に意味不明な現象であった。
そんな感じなので当然勝てるはずはない。
それでも同学年で試合ができるようになった喜びは大きかった。
この時期のチームは「エース頼み」となっていた。
点が取れそうなのは前述の運動能力が高い2人。
それも個人技によるもの。
それでも8人で試合する中で失点は多いし、パスも繋がらない。
年明けにはしない最強チームに2試合で26失点。
そしてついには一番点を取っていた子は年明けに退団。
隣の市の平日練習もあるクラブチームへ。
これでさらにチーム力は低下。
勝利からはさらに遠ざかる状況となる。
コーチ就任へ
ここで色々と思いを巡らすに至る。
コーチとしての活動については以前から何度もお誘いを受けていた。
だが色々ややこしい点もあると感じており、断っていた。
ただ、ここまで大量失点すると、つまらなくなってしまわないかが心配だった。
父としては、やっと集まったメンバーで勝利に向かって戦う姿を観たい。
息子に聞いてみたところ、コーチになって欲しいと。
メンバーはみんなサッカーが好きだし、素直な集団。
お互い仲も良い。
時間はかかるかもしれないが、良いチームになれる要素は間違いなくある。
自分自身も「ジュニア」は経験が乏しい部分。
職業柄ジュニア指導者から質問を受けることがあるが、経験から回答ができない。
チャレンジするなら「息子がいる」というのは良いきっかけなのではないか。
数年後にはサッカーを教える事もないだろうし、今しかない。
そもそも、フィジカルコーチが同じチームの同じ学年のみを継続的に指導するって事自体聞いたことがない。
普通は担当コーチから部分的に時間をもらってトレーニングするのみである。
またそれも、ごくわずかなJクラブや強豪クラブに限られる。
サッカーが加熱したチームとは無縁のグラスルーツでの指導。
これはなかなかレアな経験となるのではと感じた。
そして今からなら3年間サッカーを通じて息子との時間を過ごせる。
それでチームも強くなっていくなら最高じゃないか。
こうして「コーチとなる」決心をしたのである。
2022年4月、正式にコーチとなる。
次回以降、どのように考え、どのようにアプローチして、どうなっていったのか。その辺りをありのまま書いていく。
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