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我が子の成人を前に『ロビンソン・クルーソー』を読む

この日本国においてこどもじゃなくなるのは18歳なのか20歳なのか、という問題はあるものの、我が子がもうじき書類上は独り立ちします。かわいい子には旅をさせよ、とは言いますが、このご時世、どの程度まで旅をさせるのが正解か。若いときの苦労は買ってでもせよ、とも言いますが、古今東西、できれば苦労はさせたくないのが親心、心配すればキリがない。

おかげさまで私個人は、心配の種が尽きない、みたいな状況ではないので、子供が名実ともに巣立ってゆくのをぼんやり眺めているだけですが、どこかで何か違う選択をしていたら、こうはなっていなかったでしょうし、自分ではどうしようもないことで結果が変わってしまうこともあったでしょう。

ひるがえってかのイギリス国において1719年に出版された、ダニエル・デフォーによる小説『ロビンソン・クルーソー』の主人公とその父親は、さてどういう振る舞いだったかな、と、久しぶりに思い返したのです。

ちなみにこの本の正式なタイトルは、

船が難破し、ただひとり生き延びて海岸に打ち上げられ、
アメリカの沿岸はオリノコの大河の河口近くの無人島で、
二十と八年間をたったひとりで暮らした男、
ヨークの船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と、
珍しくも驚くべき冒険の数々、
ならびに、奇しくもついに海賊の手により救い出された
顛末について、本人が記した物語。

『ロビンソン・クルーソー』鈴木恵訳(以下同)

という、最後サンシャイン池崎がジャースティス!と叫び出しそうな雰囲気ですが、当時はこういうスタイルだったんですね。ジャーナリズムとフィクションの境目があいまいな時代で(今もそうか)、表紙ですでにネタバレ気味の題名をつけ、主人公本人の手記というテイで売り出す、これが大ヒットへの王道でした。

まあ、たいていの人が「ロビンソンて、船が難破し、ただひとり生き延びて、無人島で、たったひとりで暮らした男だよな」とはご存じでしょうが、そもそもこの男、なんで船乗りになったのか、知らない方が多いはず。話の本筋じゃないですからね。どうやって生き延びたか、知恵と工夫のサバイバルがストーリーの中心であって、ほかはぶっちゃけどうでもいい。新潮文庫の帯でも、「世界一めげない男ロビンソン。」と宣伝されていますが、世間一般この認識でしょう。ロビンソンTHEガンバルマン。

このメンタルつよつよ青年は、どんなバックグラウンドをもつのか。

 わたしは一六三二年、ヨーク市の良家に生まれた。父は土地の者ではなく、ブレーメンから来た外国人で、ハルに身を落ちつけて商売で財を成したのち、仕事をやめてヨークに移り住み、そこで母と結婚した。母の実家は(略)土地ではたいへんな名家だった(略)。

いきなりの親ガチャ成功かーい、とツッコミたくなる気持ちを抑え、もう少し本人の自己紹介をきいていきますと、どうやらそれほど人生楽勝モードってわけでもなかったようだとわかってきます。

 兄がふたりいて、(略)
 一家の三男で、手に職をつけさせられることもなかったわたしは、幼いころからとりとめのない考えで頭をいっぱいにしていた。

当時は長男だけが家を継げる(今もそうか)、ということはこれすなわち、次男坊以下にはなんの財産も譲られない、ことを意味します。貴族の血筋でも、次男や三男は、牧師になるか、教職に就くか、法曹界に進むか、軍隊に入るか、あるいは、ビジネスマンとして身を立てるか、くらいしか、ありませんでした。

時まさに大英帝国が大海原に漕ぎ出さんとする夜明け。国内の土地という土地はもうこれ以上分割して娘息子に譲ること能わず。ならば海外に一発逆転の夢を見る若者が続出するのも当然の流れ。人によってはそれを「とりとめのない考え」と馬鹿にするかもしれないが、本人たちは相当切羽詰まっています。

それまでの中世は、人は神が与えたもうた土地を耕していればよかったのですが、もうそんな悠長なことは言ってられず、神様もお金儲けは大目に見てくださるはず、めぐりめぐって自分の懐に入るんだから、と、まあ、こんな具合で、一部がおおっぴらに商売を始めた時代であります。

ひとことで言えば、新興勢力、新しい「ビジネスマンという階級」が爆誕した時期なわけです。

新興勢力とはいつの時代も賛否両論巻き起こす存在ですが、彼らの良き面にフォーカスすれば、進取の気風に富み、持ち前のガッツとフロンティア精神で、どこにでも切り込んでいける人たちだ、といえます。そしてまさにこの精神が、当時のイギリスには新しい風として吹き込み始めていた。

本日の主役、ロビンソン青年が登場したのは、ちょうどそんな舞台だったのです。

考えてみれば、国内の土地をこれ以上割譲できないどころか、限界集落ばっかになっちゃって、空き家活用もコンパクトシティの建設も旗振れどうまくゆかず、やれイノベーションだやれリスキリングだと尻をたたかれ、内需拡大は見込めず、既得権益の壁に風穴が開きそうにもなく、で、追風に帆かけてシュラシュシュシュ、オーストラリアへワーホリしに渡る若者が増えている今の日本と、なんやかや似てんじゃなかろうか。

ロビンソン青年は「船乗りになることしか頭にな」かったのですが、一方、

老齢だった父は、家庭教育と地元の無料学校で学べる程度のものではあっても、それなりの学問をさせてくれ、わたしを法律家にするつもりでいた。

パパロビンソンは、息子に教育も受けさせているし、その先の進路についても、わりとしっかり考えてくれています。

 謹厳で思慮深い父は、息子の計画の先にあるものを予見し、心から立派な忠告をしてくれた。ある朝、(略)自室にわたしを呼んで、諄々と諭してくれたのである。この家と故郷を出ていくことに、たんなる気まぐれ以外のどんな理由があるのか。ここにいれば社会にもきちんと出られるだろうし、勤勉に努力をすれば身代を築いて安楽な暮らしを送れる見込みもあるではないか。ひと旗あげようと危険を冒して外国へ行って、人並みはずれた大仕事で名を成すなどというのは、よほど暮らしに困った者か、よほど暮らしに恵まれた盛運の者のすることだ。

いや、そんな、あなただって外国から来たんでしょう、止めてくれるなおとっつぁん、てな感じでありますが、まあこれがやっぱり親心というものですよ。子の安寧な暮らし、それが親たる者の唯一にして究極の安寧です。

父と息子の関係というのは、古くはオイディプス、最近では銀河鉄道の父、いろんな描かれ方をしますが、ロビンソンの父、なかなかいいひとじゃないの、という気がします。

ただし、それは、父の精一杯の愛情、と捉えた場合の話であって、これを部外者、というか、そうじゃない階級から見れば、ただの「世襲」です。

父親が息子を学校に通わせているというのは、下の階級から見たら雲の上の話です。その時点でロビンソンはすでに一歩リードしている。父親本人に学があったかどうかは関係なくて、父親には財産とそれに伴う地位がある。ログインボーナスもらってる状態の息子は、そのぶん早く、父親と似たような財産や地位にタッチできる可能性がある。これが世襲の始まりと言わずしてなんと言おう。

実際に将来カタチある財産を築くかどうかは別として、教育という形で先行投資してもらっている。「あたまのなかのちしきは、どろぼうにだってぬすまれない」ってばあちゃんが言ってた。小卒だったけど。教育は、葦である人間が生きる上で最大の武器である。それを享受できたロビンソンは、セルフ・ヘルプが最大の鍵となる世界において、その船出からずいぶんと優位に立っているのです。

本人の自覚以上に恵まれているロビンソンが、運命の航海にでるのは一六五九年。難破し、自分だけ無人島に流れつくのは、皆様よく存じの通り。RPGよろしく、汗と涙のサバイバル生活が始まります。

(略)ないものねだりをしていてもしかたなかった。なければ工夫するしかない。

工夫! この人類みんなだいすきな言葉! ロビンソンは漂着直後こそ木の上で夜を明かしたものの、平地にテントを張り、銃で鳥や山羊を仕留め、火をおこして、

は? テント? 銃? オイチョトマテヨ、そんなんどっから来たし。

ロビンソンは、座礁した船から、必要な食糧や道具を、せっせと運び出していたのです。浜から泳いでいける距離の浅瀬に船が残っているのは神のご加護か台本か、いずれにせよロビンソンめっちゃツイてます。

船に積んであった、食糧、船大工の道具箱、銃にピストルに火薬、これらが最初期のロビンソンには「とても役に立つ戦利品」でした。生命の始まりと維持は水と食糧にかかっており、文明の始まりはいつだって火と道具。ここを制した者が世界を制する。ロビンソンに金棒です。

これらの重要な物資を供給してくれたのが、難破したとはいえ貿易船である点は注目に値します。イギリスの商人ロビンソンは、南の島との交易をめざしていたわけですが、貿易商船と自分のねぐらの間を、波をじゃふじゃふじゃぶじゃぶかきわけて、品物担いで往復する彼の姿は、新自由主義経済の縮図であるといえましょう。

ロビンソンの無人島生活は、貿易のアガリがなかったら、そもそも始まりすらし得なかった。無人島にたった一人流れ着いたとは書いてあるが、全くのゼロからのスタートではなかった、とは言ってない。嗚呼、我らが無自覚ヒーロー・ロビンソンは、無人島においてさえ、「持てる人」だったのです。

考えてみれば、『わらしべ長者』でも『大草原の小さな家』でも、何かしらの元手があってからのスタートです。完全に空っぽの手でマーケットに入っていったら、神の見えざる手に往復ビンタ食らうだけ。

おそらく本当に素手で無人島にほっぽり出されたら、たいていの人間はじきにゲームオーバーです。それじゃおはなしとして成立しないから、プレイヤーに最初からアイテム持たせておかなきゃ、という事情があるにせよ、ロビンソンはやはり相当ラッキーです。

多くの人は、『ロビンソン・クルーソー』と聞いたら、

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