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職業選択の自由、成功する自由、失敗する自由

退職の申し出や、相談をされた時にいつも思うのは、私ほど転職してきた人間が、他人の転職を止める権利はないということ。職業選択の自由、というのは日本国憲法にもうたわれる、国民の権利であり、それを侵害していいはずはないということ。だから、基本的には私自身は引き留めの交渉はしません。例外はあって、転職がその人自身にとって良いものと思えない場合、引き留めというか、こちらの考えを伝えます。会社がその個人に期待をしていて、これから責任あるポジションにつけようとしている場合などは、これにあたります。特に現状が嫌なだけで、ちょっと青く見える隣の芝に移ろうとしているような場合は、強く遺留をします。会社なんて、どこに行っても大変なことはたくさんあります。嫌だ、という気持ちだけで転職するのであれば、また次の転職をすぐに考えなければいけなくなります。新しい環境に慣れていくのはそんなに簡単なことではないですから。

それでも、選択は個人に帰属する問題。会社としての約束なんて、特に口約束なんて、状況が変われば変化するもの。期待しているからと言われて残ってみたものの、社内での扱いや状況の変化はないまま、ということもあり得ます。それは転職した場合も同じ可能性があります。期待しているから、と言われて転職してみたものの、社内の状況がわからないまま時間だけが経ち、あいつは使えないというレッテルが貼られてしまう、そんなことも考えられます。

転職をしたことのない中高年社員を採用することは、リスクが高いかもしれない、ということも採用側は考えます。私のように転職歴が多いのも考えものなのですが、大手企業で新卒以来ずっとやってきました、という人が、外の環境に耐えられるのか、採用側も悩みます。その人は優秀かもしれないが、それは社内的な立ち振る舞いの部分で優秀だったかもしれず、それを新しい環境でやっていくことができるのか、それをどれくらい本人が認識しているのか、気になるところではあります。だから、転職をしたことのない人が、転職をするということに一概に反対もできないのです。

結局どっちが良かったかなんて、誰にもわからないもの。だから、自分自身で、どちらがいいかを考えて選んでいかないといけない。結果の影響を受けるのは自身であり、自身の家族であるのだから。職業選択の自由と書きましたが、自由は残酷でもあります。成功する自由もあれば、失敗する自由もあり、それはあくまでも選択した自身の問題であるわけですから。

先日、退職を申し出てきた社員に慰留の話をした後、最後に言った言葉を書いておきます。「どっちがいいかなんてわからない。お前が選べ。この世は残酷だから。」



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