短歌レッスン29
今日は寺山修司先生ではなく、穂村弘先生です。昨日図書館で借りた『シンジケート』からの短歌です。こうして見ると寺山先生の精神を引き継いでいる感じですね。
『シンジケート』は最初に12ヶ月の短歌が並んでいる。こういう感じの短歌ならできそうな気がする。十月。
今日の十首は『シンジケート』から。12ヶ月短歌。
やっぱ十月が一番決まってますね。すべての月がいいわけでもないけど、このアイデアが素晴らしい。こういうの真似したくなりますものね。
でも今日は時間がないので「うたの日」のお題に行きます。昨日もどんまいで、2日続けてどんまいだったんで、今日はなんとかしたい。まあ、どんまい十連ちゃんでもいいのかも知れないですけど。今日はお題の言葉は必ず入れるという縛りにします。
まずまずの出だし?平凡だけど。
自虐短歌。
神木を決めるということを昔やっていたな。
人生の教訓的な歌にしたかったが実力不足。
いいかも。
いいかも。でも寄り添い過ぎだな。自分の歌ではない。きみをぼくに変えるか。なんか軟弱なイメージ。
いまいち対象がぼんやり。
最後の「に」が余計なんだよな。一文字の言葉を探しておこう。
これは実感だけど情けを受けそうだから止める。
修整テキスト『ぼくの短歌ノート』
昨日の映画『3つの鍵』から。
そして「システムへの抵抗」でディズニーランドを受け入れてしまう穂村弘。
「美のメカニズム」で葛原妙子の歌が連なる。この「美」は保留して、先に進もう。虚構性に逃れるのはいいと思うのだ。だけどそれは寺山修司の方向性ではないのか?
今日はどんまいではなく♪3つ。でもなんでこれで❤が付かないわけ?幼子の歌が多すぎる。なんかそういう内輪で評価し合う仕組みがあるのかと勘ぐってしまう。
まあ長い間やっていく内に短歌も寄り添って、個より同調圧力に従ってしまうこともあるかなと。それとまだ自分はわからないが、短歌の癖があってそれが好きという人もいると思う。
今日もひたすらレッスンですね。
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