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障害者映画ではなく、子離れ映画

『エール!』(フランス/2014)監督エリック・ラルティゴ 出演ルアンヌ・エメラ/カリン・ヴィアール/フランソワ・ダミアン/エリック・エルモスニーノ

解説/あらすじ
フランスの田舎町。酪農を営むベリエ家は、高校生のポーラ以外、父も母も弟も全員耳が聴こえない。美しく陽気な母、熱血漢な父とおませな弟。一家の合い言葉は、“家族はひとつ”。オープンで明るく、仲のいい家族だ。ある日、ポーラの歌声を聴いた音楽教師はその才能を見出し、パリの音楽学校のオーディションを受けることを勧める。夢に胸をふくらませるポーラだったが、彼女の歌声を聴くことができない家族は、彼女の才能を信じることもできず、もちろん大反対。夢に向って羽ばたいてみたい、だけど私がいなくなったら…と、ポーラは悩んだ末に、夢を諦める決意をするのだが…。

アカデミー賞の『コーダ あいのうた』のフランス・オリジナル版です。この映画日本公開時の2015年に観てました。それでも再度観ても思い出せなかった。当時の感想も批判的なもので、聾唖者の家族の中で娘がフランス語を話せた過程が描かれていないのに疑問を呈しています。

聾啞家族の歌姫映画。障がい者の映画では作為的すぎるし家族映画でも平凡かな。歌物映画の感動はある。まあコンテストものにありがちなパターンだけど手話で旅立ちの歌は良かった。子牛のオバマに送る「ドナドナ」じゃなくて良かった。

聾唖者の母親が娘が生まれた時に健常者(この言葉も嫌だが)に生まれた娘が私たち(聾唖者夫婦)の気持ちをわかるように育てたというようなシーンがあって、それはちょっとゾッとする発言?だったと思ったのだけれど。映画はその両親からの旅立ちだからいいとして、言葉はどこで覚えた?(2015/11/02)

娘がフランス語を話せるのは、誰かかに教えてもらったから。学校でということになると最初は話せなかったので、凄い葛藤があると思う。祖父母(この線だと思う)だと彼らが亡くなったときの孤立感は、非常に深いものがあったと思うわけです。

その娘が聾唖者の中で孤独を感じずに育った経緯も描いてほしかった。仲のの良い家族ということはわかるのですが。それだけだと子牛に愛情を持ってしまうのと同じです。子牛は、やがて殺され肉になるから愛情を持っては駄目だ、と友達に忠告する主人公です。それでも子牛に愛情を持ってしまう。

今見るとそういうことは気にならなくなっている。それは多分アメリカ映画が聾唖者の演者で演じられたということが頭にあるから、フランス映画もそうなのかと思ったら違っていた。フランス映画では、聾唖者ではなく普通の役者でした。

フランス映画『エール!』の視点は、聾唖者である家族よりも母と娘の対立のように思えました。これはどこの家庭にもある普遍的テーマだから観客のこころを掴めた。それにヒロインのルアンヌ・エメラは実際に歌手活動もしているので、一つのスター誕生物語(シンデレラ・ストーリー)だと思うのです。

フランス映画では、聾唖者メインの映画ではなかった。それがアメリカでは聾唖者の映画になっていった。娘は通訳という位置づけが明確に与えられる。そして、演技を評価されたのも父親役の聾唖者の俳優でした。

フランス映画でも父親の存在感は、ラストに娘の出発を祝福する父としての存在感はあるのですが、それは母と娘の仲介者としての男親の存在感のようにも思えます。映画の中では、聾唖者の父親が市長選に立候補して、当選まで描いている。でも、それはサブストーリーです。娘のシンデレラ・ストーリーがメインです。

『コーダ あいのうた』でもシンデレラ・ストーリーとして批判的に観てしまったようです。

聾唖者の家族の中で1人だけ耳が聞こえる娘が家族の間に入って通訳のような存在だったが、歌の上手さが認められて自立していく映画。聾唖者の家族の明るさに救われる映画だが、果たして安易に歌手を目指すということになるのか?ラストはバークリーに行っても落ちこぼれそう。(2022/02/28)

障害者映画というのも変ですが、その視点はどうなのか?ということです。




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