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時限爆弾のオレンジだったのかもしれない

『時計じかけのオレンジ』(イギリス/1972)監督スタンリー・キューブリック 出演マルコム・マクダウェル/パトリック・マギー/ウォーレン・クラーク/ジェームズ・マーカス

解説/あらすじ
近未来のロンドン。街の秩序は乱れ、治安は悪化の一途をたどっている。毎日のように暴力やセックスに明け暮れていた不良グループの首領アレックスは、ある殺人事件で仲間に裏切られ、ついに投獄させられてしまう。その頃、政府は凶悪な犯罪者の人格を人工的に矯正する治療法を行なうことを決定する。アレックスはその第1号に選ばれ、攻撃性を絶つ洗脳を施されるが…。

キューブリックだとこれが一番か?近未来ブラック・コメディだが前半のアレックスの無軌道ぶり。ビートルズを道化師ぽくヤンキー化したようなスタイル。バーでの人形オブジェとか強盗に入る家の現代美術のインテリアが素晴らしい。「雨に歌えば」でケリを入れる暴力シーン。(2015/05/17)

原作が10年前で、削除された最終章がない形で映画化されたので作者であるバージェスの意図に反しているということだった。検閲ということだが、いろんな意味でディストピア世界を描いているのだが、イギリス作家であるからスウィフト『ガリバー旅行記』のパロディも入っているし、オーウェル『1984』的ディストピア感もある小説の映画化。

若者の暴力が反権力より行き過ぎて自由に成りすぎたというのがある。親の過保護というのもあるのだが、それに対して権力側は洗脳治療を施す。それが映画というメディアを利用した矯正(強制)的治療なので自殺願望しか出てこない人間に生まれ変わる。

実際に原作者のアンソニー・バージェスは、イギリス陸軍の教育部門に勤めていてその教育がこの小説のアイデアとなっている。それと軍隊時代に妻が強姦されたけど帰れなかったと。その両方の体験が元に小説を書いていたとなると原作も読みたくなる。

その一方でかつての暴力仲間は警察官になっている。暴走族が社会人になって白バイ隊になるようなもんだね。アレックスはかつて仲間だったポリスに見つかりボコボコにされる。助けを求めたところが反権力の芸術家の家だが、その芸術家もかつてアレイックスから暴行を受けて今は車椅子生活。妻は事件が元で死亡してのでアレックスに対して恨みを買っている。

芸術家の取り巻きの反権力政治に巻き込まれるが、芸術家の恨みで自殺未遂。ベートヴェンの第九が效果的に使われているのは、それがナチスを鼓舞するために使われた音楽であったから。この映画は、ミュージカル的要素もあり暴力シーンでは「雨に唄えば」に合わせて暴力を振るう。これは「雨に唄えば」も暴力の一つになるということか?

そして入院中に、また権力者の党の政治家に巻き込まれる。どっちに転んでも政治的にならざる得ず本人の意思は関係なくなってしまった。

芸術の問題が一つ。映画そのものの批評性がある。暴力映画で、エロ映画だ。こんなの公開しては駄目だというPTA的立場(公開時にはそういうこともあったという)。さらに検閲の問題もあった。小説は反権力的で個人的立場だから自由に書けるが映画は監督だけの作品ではないので公共性も問われる。

公的なものと個人的なもののバランスをどうするか?問われている映画なような気がする。キューブリックの時代は監督がワンマンでいられたが、今はそういう時代でもないので。例えば撮影中にモラルハザードの問題が出てこないとも限らない。その時にこの映画は見られなくなるかもしれない。(2021/12/22)



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