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シン・現代詩レッスン

100分de名著で石垣りんをやっていたので、詩も作ってみたくなった。シン・俳句レッスンで富澤赤黄男をやっていて富澤赤黄男も俳句と短歌と詩の境界を無くそうとしていたと知ったから。今までやってきた中で、そうした各ジャンルでの枠組みがそれぞれの分野を閉鎖的にしているのではないのか?ゲームとしてやるのなら、いろいろな制約(ルール)も必要だとは思うが表現行為とした場合はそれらの制約から自由になる必要がある。その自由詩と言われる現代詩だが、一番閉鎖的なのかもしれない。

石垣りんがいいと思ったのは簡単な言葉で自分を表現するということだ。そこに専門用語や型は必要ない。しかし、いざ自由詩を作るとなるとかなり難しいのも事実なのである。そこで短歌や俳句から学んだ手法を活かしながら詩を作っていくことにした。

まず短歌からは本歌取りという手法。俳句は季題ということ。そうすれば毎日の詩も練習になるではないかと思ったのだ。まず石垣りんの詩から見ていこう。

きんかくし

家にひとつのちいさなきんかくし
その下に匂うものよ
父と義母があんまり仲が良いので
鼻をつまみたくなるのだ
きたなさが身に沁みるのだ
弟ふたりを加えて一家五人
そこにひとつのきんかくし
私はこのごろ
その上にこごむことを恥じるのだ
いやだ、いやだ、この家はいやだ。  

石垣りん『家』から「きんかくし」

土筆  宿仮

家に押しつぶられてしまうのである
ニュースは台湾の地震を伝えていた
まだ戦争は続いている
まだ崩壊していないこと
もう腐敗し始めているもの
だから外に出よう
家の中で腐っていくものの臭いがある
臭いも感じなくなっている
臭い、臭い、俺の身体は臭いのだ
そう思ってしまうこと
ここには俺の腐臭が漂っているのだ
また、あの土筆を見に行こう。
土筆はもうすっかり雑草に育っているだろうか?
俺の腐敗した精神も肥料となって    


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