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彼女は最高!と思ってくれる人がいたならば.........

『わたしは最悪。』(2021/ノルウェー/フランス/スウェーデン/デンマーク)監督:ヨアキム・トリアー 出演レナーテ・レインスヴェ/アンデルシュ・ダニエルセン・リー

解説/あらすじ
ユリヤは 30 歳という節目を迎えたが、人生はどうにも方向性が定まらない。いくつもの才能を無駄にしてきた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、しきりに身を固めたがっている。ある夜、彼女は招待されていないパーティに紛れ込み、若くて魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れて新しい恋愛に身を投じ、人生の新たな展望を見出そうとするが――。

30歳女性の自分探し映画。自分はそれほど感情移入できなかったのだが「町山&藤谷のアメTube」で評価が高かった。特に藤谷文子さんがお勧め。等身大でいままでにはない女性映画ということだ。ある程度親の理解も能力もあるのに自分探しで恋人も人生にも方向性が定まらない30手前の女性。それでも、年上の漫画家と同棲する。

世代間のギャップと彼が子供を望んだとかで、不倫(はっきり不倫でもないけど)して別れてしまう。結局、彼が最後まで彼女を愛していたからいい映画になったのだと思う(これは監督の私小説映画か?)。彼の方に同情的な私がいる。

感情移入してしまうのはひと世代前の人間だから。そうなんだと思う。音楽もその当時聞いて無くても懐かしい感じで聞いてしまう。過去映画を繰り返し観てしまう。なんか今の時代にはついていけないで青春時代を懐かしんでしまう。もう彼は過去の人間なのだ。TVで女性フェミニストとの討論があるのだが、やはり彼の方を支持してしまう。すでにそういう男は取り残されていくのだ。ただ彼はすでに死を覚悟している。それでも彼女のことは忘れられずにいたのだった。

世間的にいい人なんだが、彼女のわがままを許していたら自由すぎて、風船のように飛んでいってしまった。そうだ、この映画は外の情景がいいのです。ノルウェイの白夜で撮影したとか。その移ろい、いつまでも明るいけど夜なんだという。

ドストエフスキー『白夜』のエピローグを読んでいたので、ここに書き写す。大した意味はないんだけど、この「白夜」の表現が良かったので。

 驚くべき夜であった。親愛なる読者よ、それはわれわれが若いときにのみ在り得るやうな夜であった。空は一面星に飾られ非常に輝かしかったので、それを見ると、こんな空の下に種々の不機嫌な、片意地な人間がはたして生存し得られるものだろうかと、思はず自問せざるえなかったほどである。これもしかし、やはり若々しい質問である。親愛なる読者よ、甚だ若々しいものだが、読者の魂へ、神がより一層しばしばこれを御送り下さるように.........。(ドストエフスキー、訳米川正夫『白夜』)

今『白夜』をググったら、ドストエフスキーの原作は男の移ろぐ青春時代なのだが、ブレッソンで映画化されていた。ブレッソンの『白夜』のポジ的(裏返し的)な作品。

ブレッソンの映画を踏まえているのかもしれない。そして現代女性の視点にすることでより、喜劇的(客観的)な映画になっているのだ。監督は男性なのだが、その女性を突き放したところに女性映画として成功している。コミック作家の視点が彼女に対して優しいのだ。それは、最後まで彼女を愛していたからなんだろう。

最後に誰かに愛される人になるというのは、幸せなことなんだと思う。結局、彼女はそういういい人を捨てて、また彼女のわがままをすべて受け入れる男とくっついていく。男の方は社会不正に意義を唱える闘う女性に疲れて、そういう先進的な彼女についていけなくなる。そして世間に浮かれている女と一時的なモラトリアムを楽しむ。刹那的な愛で。

そういうバカップルは不幸になれと全世界が望んでいると思うのだが、元彼がガンに犯されて死期が近いことで、ふたたび自己を見つめ直す機会を与えてくれたのだ。結局彼が最後まで愛していたからいい映画になったのだと思う。それは、自由でいられる彼女自身を肯定すること。

ラストは二通りのヴァージョンを出して、ちょっとずるい映画なんだけど、どちらも肯定している女性応援歌のような映画になっていた。メイン・ストーリーの方はキャリアを積んで一人で働く女性なのだが、もう一方で夢想しているのが子供を産んで彼と一緒に子育てしている情景なのだ。

この映画は彼女が精神科医を目指すということで、夢と深層心理にも深く洞察している映画だと思うのだ。結局、エディプス・コンプレックスを描いていたのかもしれない。その深層(闇の世界)と現実逃避の恋愛が白夜のようにだらだらと続いていく映画なのだと思う。


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