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戦争マシーンを生み出していく軍隊

『戦争における「人殺し」の心理学』デーヴ グロスマン, 安原 和見 (翻訳) (ちくま学芸文庫)

本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れされていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。心理学者にして歴史学者、そして軍人でもあった著者が、戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり、兵士の立場から答える。米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍軍士官学校の教科書として使用されている戦慄の研究書。

「戦いに際して兵士の15~20%しか発砲しない」という調査報告はどこにも存在しないので、この本は嘘であるという論調を見たのだが、ただ全てが嘘だったというのは無理があるように思える。一部が嘘だったとしても他の資料はどうなのか?実際に彼の資料から米軍が戦争に対して、無慈悲に人を殺せるプログラムを作っている事実もある。ベトナム戦争では、95%が殺人を出来るように訓練されたとある。

『戦場の兵士の大部分は敵を射撃しない』という神話(dragoner)
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20200521-00179236

今回の戦争でもキャノン砲などもすでにAI仕様で、空に向かって発射するば勝手に当たるように出来ていると話を聞いた。武器はそれほど進化していくもので、ここで書かれているが直接敵に対して近距離戦は、兵士の負担が大きいのでなくなりつつあり、ドローン攻撃や遠距離からのミサイル攻撃が主戦になっている。

それでもゲリラ戦では直接相手にしなければならず、そのために条件反射で殺人するように訓練したり、『フルメタル・ジャケット』の鬼軍曹が若手(若いほど自分で考える力はないから上司に従いやすい)に無理難題をふっかけて、思考力を失わさせて殺人マシーンにしていく軍隊的訓練が行われているのである。

レイプするぞ、
ぶっ殺すぞ、
ぶんどって、
焼き捨てて、
死んだ赤ん坊を喰ってやる

これは実際に軍隊で歌っている歌だそうだ。罪悪感を無くすのだという。その歌を歌うことも訓練の一部なのだ。

それに関連するのかアフリカの少年兵などは、小学生ぐらいで銃を扱うようになってくる。ほとんど善悪の判断出来る前の年齢で兵士となっていくのだ。

また殺人が家族的なつながりを作ること。兵士たちはお互いに命を預け合うので兄弟や親以上の繋がりを感じるのだそうだ。戦友という感情。彼らは自分自身が死ぬよりも仲間を死なせてしまったことへの後悔がPDSTになるという。それと責任感ある上司ほど作戦で部下を死なせたことへの後悔が強いという。そうした戦時のPSTDは一般人よりも多いという。これは以外だった。

殺人がセックスと同じように見られる。人を殺して一人前というような世界で、殺人を避けたくなるのは、誰も当然でそれを快楽として結びつける訓練やもしくは麻薬まで服用するという。そのぐらい精神的苦痛を伴うのだが、逆の意味で依存症や殺人中毒症状を持つ者もいるという。

そのために帰還者は、歓迎される必要があるという。パレードや儀式的なものが必要とされるという。だからそうした勝利感を味わえない敗戦時の帰還兵ほど惨めな者はない。敵よりも味方から非難を浴びてしまうのだ。ベトナム戦争でアメリカはその教訓を知ったから敗戦にはしないのだ。

あと戦争時だけではなく、平時にも対戦型コンピューターゲームや戦争映画で高揚感を得るような無意識的な洗脳(刷り込み)がされているという。そういうものを考えないと暴力による解決方法しか見いだせない者を生み出してしまうという。アメリカの犯罪率の高さ、昔よりも明らかに人を殺しても後悔の念を持つものが少なくなったという。


ジェイソンやフレディなどの殺人者が当たり前にいる世界、そして繰り返される戦争ニュースによって、感応力も減退し、『時計じかけのオレンジ』の逆洗脳が毎日の生活の中で行われていると警告は発するのだ。だから検閲せよという論理なのだが、これはどうかな?

ただ男性原理として、暴力的に解決することがかっこいいとする文化はあるのかもしれない。ファンタジーを現実と思いこんでしまうヴァーチャルな世界に溢れているのは事実だろうか?




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