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『神曲』のパクリだけど全編「地獄変」

大西巨人『神聖喜劇(全五巻)』は、トルストイやドストエフスキーの作品に匹敵する日本の全体小説です。なかなか読むのが大変ですので、漫画版で読むのもありです。それで面白かったら小説に進むのもいいと思います。大西巨人の童貞作(処女作と言ってはいけないから)『精神の氷点』も手短に大西巨人の文体を知ることができます。でも、やはり『神聖喜劇』ですね。


『神聖喜劇〈第1巻〉』大西巨人 (光文社文庫 – 2002)

内容(「BOOK」データベースより)
一九四二年一月、対馬要塞の重砲兵聯隊に補充兵役入隊兵百余名が到着した。陸軍二等兵・東堂太郎もその中の一人。「世界は真剣に生きるに値しない」と思い定める虚無主義者である。厳寒の屯営内で、内務班長・大前田軍曹らによる過酷な“新兵教育”が始まる。そして、超人的な記憶力を駆使した東堂二等兵の壮大な闘いも開始された。―不滅の文学巨篇、登場。

敬礼と号令に思考をすることを奪われる軍隊生活での不条理さと不合理さに抵抗しうる藤堂の試行的思考の実践の場なのか。虚無主義という主人公の藤堂の博覧強記(狂気)ぶりが凄い。儒教やら武士道やらマルクス関連の書物やら。挙句に軍規律まで延々と出てきては帝国陸軍と個人が対峙していく姿。文芸書が出てくるとほっとする。書物よりも人間と対峙する姿も面白い。何よりも登場人物がキャラ立ちしているから漫画化もされるんだろうな。(2014/04/21)


『神聖喜劇〈第2巻〉』大西巨人


内容(「BOOK」データベースより)
東堂太郎が回想する女性との濃密な交情。参戦目的、死の意義への自問自答は、女性との逢瀬の場で反芻されていた。村上少尉と大前田軍曹との異様な場面は、橋本・鉢田両二等兵による「皇国の戦争目的は殺して分捕ることであります」なる“怪答”で結着した。「金玉問答」「普通名詞論議」等、珍談にも満ちた内務班の奇怪な生活の時は流れる。やがて訪れる忌わしい“事件”の予兆。

村上少尉と大前田軍曹とのこの戦争は合一(靖国に祀られるような英霊)か犬死にかという論議を経て、東堂の過去の情事の回想へと収斂していく。心中(合一)と情事(行きずり)の関係という中での愛の行為。その儀式めいた剃毛という行為の中に神聖であり人間の喜劇性があるのだろう。それから金玉問答へ。軍務規定の喜劇性。性処理をも含めた猥談めいた話の後に妻に浮気され自殺した兵士の話。戦地をくぐり抜け人殺しもやってきた人間の弱さ。尊厳という問題。(2014/05/20)


『神聖喜劇〈第3巻〉』大西巨人

『内容(「BOOK」データベースより)
「私の内面には、瞹昧な不安が、だんだん増大しつつ定着していた。早晩必ず何事か異変が起こるにちがいない」。誰かスパイのような“告げ口屋”がいる―東堂太郎の抱く漠たる不安が内務班全体にも広がり始めた。丁度その頃、ついに“大事”が発生。続いて始まった“犯人探し”は、不寝番三番立ち勤務の四名に限られた。その渦中に登場する冬木二等兵の謎めいた前身…。

「神聖喜劇」という表題がダンテの『神曲』に擬えるなら、ダンテの『神曲』が過去の死者たちで溢れかえっていた言葉の旅なのだ。衒学的な書物を引用する主人公東堂二等兵に導かれてページを捲っていく中で真っ直ぐな道があるわけでもない。そんな中で多少とも光を帯びた導き手がいるとしたら、『神曲』の中のベアトリーチェのような、冬木なのか。癩病者の歌人明石海人について。トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』の監獄の引用「詩人になるためには何か監獄の類に通暁している必要がある、」。そこから海人の監獄、冬木の監獄、東堂の監獄へ。

第三巻は床屋談義から職人(職業差別)の話になって、軍隊での階級序列、軍隊内での犯罪事件(些細な事件だが)を通して見えてくる前科者への偏見。そして東堂自身があることから疑われることになる。衒学的な落書きによって。(2014/06/11)

『神聖喜劇〈第4巻〉』大西巨人

内容(「BOOK」データベースより)
堀江中尉に喚問された東堂太郎は、片桐伍長が企んだ“思想上の嫌疑”を論破する。上官上級者によって仕掛けられる無理難題に対する“合法闘争”はつづく。「知りません・忘れました」問題にも一応の決着が―。一方、奇怪な“事件”の犯人と目されて窮地に立つ冬木二等兵の、思いがけない過去を知り得た東堂は、冬木救済のために「精一杯抗うべく」決意を固める。

被差別部落出身で且つ死亡事件を起こして執行猶予中で軍隊にやってきた冬木のディテールが明らかになっていく。その部分の恋愛事件と東堂の行きずりの恋の顛末も続きがありそうでちょっとは興味深く読み進められるかな。相変わらず引用には辟易してしまうが。冬木の過去について調査報告頼んだ新聞社時代の知人の手紙が届く。その手紙が一つの物語を動かしていくのだが、その手紙と一緒に安芸の彼女からの手紙も来ていた。つい安芸の彼女との欲望まみれた情事を思い題して股間がむっくり。その後で砲撃訓練に従事してそれに熱中していく東堂。(2014/07/11)

欲望のはけ口として兵器への愛着行動。機械化していく身体の中で攻撃目標は客体として出現してくる「もの」という観点。遠隔操作の武器やらミサイル攻撃やらの快感。生身の人間が不在の感覚器官として一兵として生成していく。(「第七 早春」p.410-p.411)

『神聖喜劇〈第5巻〉』大西巨人

内容(「BOOK」データベースより)
“被疑者”冬木二等兵の「不条理上申」と東堂太郎の「意見具申」とは奏功、奇怪な“事件”は終熄する。醜怪極まりない「模擬死刑事件」による、東堂・冬木らの営倉入りを経て、事態は、教育期間の最後を飾る大珍事によって急転回する。その主人公こそ、大前田軍曹その人だった―。そして、一九四二年四月二十四日午前九時五十五分、東堂は屯営に訣別したのであった。

シャーロック・ホームズの如く推理小説風に冬木の冤罪を論理で解決していく東堂は、論理の人でもあり言葉の人でもある。敵性文学を持ちだして東堂が対抗しようとしたのは軍隊の規則や不文律に他ならない。軍隊内で精神の自由を守る言語闘争劇でもあるのだ。文学と法規は言葉の対極として、一方は解放するもの、もう一方は縛り付けるものである。それは文体にも現れており、多様性を見せる文学の表現の形態(『神聖喜劇』の文体はこの多様性に他ならない)、漢文書き下し文の如くの法規の文体(それは漢文を無理に日本語化した矯正的な文体である)。

東堂と村上少尉はある部分言葉の人で似ている。そして大前田と冬木は言葉の埒外を知るものとして描かれている気がする。東堂がとっさに行動できなかったは言葉の人だったからで冬木の「天に撃つ」というのは言葉を超える無為の行為である。(2014/08/21)


(漫画版)『神聖喜劇 第1巻』のぞゑのぶひさ

関連書籍

『精神の氷点』大西巨人


『神曲』ダンテ




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