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ルサンチマンは恐怖政治しか生み出さない

最近映画界で騒がれている監督の暴行問題で、町山智浩氏が園子温問題でフェミニストからやり玉に上げられていた。フェミニストのルサンチマン的な憎悪はなんなんだろう。町山智浩を責めても仕方がないのに。紅衛兵的な文化大革命が日本に起きているのかと思う。その反動を考えるべきなのでは。実際韓国では分断社会によって、反動が起きている。

批評家が作品を褒めるのと監督を擁護するのは違うと思う。実際に園子温には反省を促しているのであって、性暴力を肯定している言論があるわけではない。映画作品が清廉君子だけを描けばいいのかというとそうでもない。それでも映画は総合芸術で監督一人によるものではないので、問題作品があったらそれは上映出来ないし、当事者は責任を負うべきだ。それは当事者同士で裁判なりなんなりやればいいことである。

それで最近の傾向というか、SNSでの言葉の暴力性は寛容の精神がなさすぎる。すべて道徳的な正義でなければ駄目だというような。人間は間違いは犯さないのだろうか?間違いだらけの歴史があり、それを反省し、新たな時代を作っていくのだ。最近みられる過去の作品への絶対否定の思考方法は、分断を生み出すだけで、その反動をまた招くのだ。それは中国の文化大革命でもソ連のスターリン主義でも、絶対正義を求めた結果に何もかも焼き払ってしまった。それはもう恐怖政治というしかない。


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