振り返り山法師の花無縁坂
山法師。白い花のようなのは総苞で三枚に見えるが四枚だった。ピンクもあるというので花水木と重なるが、山法師は日本に古来からあるのだろうか?
山法師とあるから本来は山に咲く樹木なのかもしれない。あまり山法師に特徴的な俳句はないのだが、やはり旅との相性か。花水木との差異だよな。花水木だと街路樹という感じがする。
山法師と花水木の差異だよな。みなとみらいだと花水木かな。清楚な花の感じがしないな。
振り返りじゃないな見返りだな。リズムが出来ないか?見返り美人。
入れ替えだな。
山法師だと男のようだから、山法師の花がいいか?
このぐらいか?「振り返る」ことで坂の途上に咲いていることがわかる。無縁坂にしよう。
さだまさしの歌だな。尼僧のようでいいかも。
昨日の言霊率は50%ぐらいか。「シン・現代詩レッスン」をやらなかった。家でダラダラするよりとりあえず外に出ようとなったから。このあとすぐにやる。
『魔の山』は100p.は読めた。「100分de名著」は参考になる。
二回目の食事のシーンでハンスがショーシャ夫人に入れ込んでしまうところまで。ショーシャ夫人だと味気ないが、ハンスはクラウディアという名前であることを知り名前で呼ぶことにするのだった。ロシアの若い貴婦人という感じなのか?トルストイの『アンナ・カレーニナ』とかをイメージする。
この小説で重要なのは時間の概念で、『魔の山』特有の時間の概念があるということだ。それは、ハンスの取って非日常の世界なのだが、それが病ということなのである。最初の予定では三週間の旅の予定だった。つまり夏休みの気晴らしの旅で従兄弟のヨーアヒムを見舞う山の療養所の旅だったのだが、ハンスも病に侵されてしまう。それが恋の病と重なるのだった。
夏休みの時間は最初はダラダラ一日が長く感じるが一週間前だと宿題もやらなければとかその一週間の短さというか、時間感覚のあり方が等値ではなく、相対的なものだという感覚。それは棲む社会が外界(健康な人々)の世界と病の者の世界とがあるからだった。それをベルグソンの時間の概念で説明しているようなのだが、そういうことよりも恋の時間とか学校の時間とか夏休みの時間が違っていると思えばいいだろう。『魔の山』の時間は、それまでの社会的時間ではなく、退廃的なブルジョアの病の時間だと言っているのか。前世紀的な貴族的気分に囲まれた人々という感じか。ショーシャ夫人はその退廃性を表していた。
またそのサナトリウムを管理するベーレンス顧問官は「顧問官」と呼ばれるようにそのサナトリウムの管理者なのだが、かれがサナトリウムを始めたきっかけが病の妻の思い出のために、つまり病がメルヘンになってしまった医院長なのだった。その部下であるクロコフスキーは最新治療として「精神分析」もやるのだった。
あとハンスがショーシャ夫人に惹かれるのは、学友であるヒッペと同じキリギス人の目をしているからであり、トーマス・マンは同性愛者でもあったようで、ヒッペの回想に同性愛的なものが重なる。つまりショーシャ夫人は最初から形代だったのである。それは『源氏物語』で大君の身代わりとして中君や浮舟を求めた薫と近いのかもしれない。ベーレンス顧問官にとっての「魔の山」が妻との思い出の身代わりの場所である。
それは『源氏物語』の宇治の物語と重なるのは薫もメルヘンの世界を求めながら現実(都)での生活をする二重生活者であった。その不幸な物語が共通しているのか。死者=メルヘンになってしまう構図みたいなもの。
それは『銀河鉄道の夜』でも別空間のメルヘンとしては、同じようなテーマ性があるのかもしれない。初稿だけ読んだ。死者たちの旅路(メルヘン)だった。
社会的時間はメルヘンの時間と対峙してしまうのか?
まだ短歌を詠んでなかったのにアップしてしまった。noteがいいのは後で追加できることだった。社会的時間とメルヘンの時間だよな。
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