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シン・俳句レッスン43

夜の街路樹なんだが何の木か不明。

街路樹は病葉(やみば)紅葉アスファルト

街路樹が紅葉しているのは、病んでいるのではなかろうか?という今日の一句。

石牟礼道子

『石牟礼道子〈句・画〉集 色のない虹』からの俳句。もう上手いとかレベルを超えている感じで石牟礼道子の俳句というだけで言葉が耀く。

谷の道いまだ蕾めり梅一輪  石牟礼道子

石工を父に持つ石牟礼道子の自注によれば、谷の道を石で作るときに梅の花が咲いている。それは花の道として土から息づいた姿として、現在のアスファルトで地面を覆ってしまっては土の呼吸が出来ないということであった。街路樹が病んだ姿というのはそういうことなのか、と感じる。

渚にてタコの子らじゃれつく母の脛  石見牟礼道子

不知火の海育ちならではの句か。小さきものへのいくつしみが感じられる追想の句で90歳の誕生日の句だという。

汝(なれ)はそも人間なりや春の地震(なる)  石見牟礼道子

熊本地震を読んだ句だという。汝は自分に言い聞かせているのだ。人間の自然との関係は、春の地震(なる)とも響きあう。なれ→人間なり→地震(なる)という響きの中に自然が歌われる。

親の樹は砂漠に今もおもらいます  石見牟礼道子

森の樹は何代も人間を見守るけど砂漠の樹はそういうわけにはいかない。一代で倒れてしまうかもしれない。樹々がますます死んでいくように感じるという。そんなふうに樹を見守っている。

きょうも雨あすも雨わたしは魂の遠ざれき  石牟礼道子

「遠ざれき」は遠ざかるというような意味だという。さまようと言う感じか。雨は実際の雨よりも世間の雨という感じか?水俣病問題など他人の不幸に「悶えてなりと加勢せんば」という人が誰もいない、そんな気持ちになると遠くに行きたくなるという感じなのか。破調なのは、その時の気持ちを素直に読んだからという。

七夕や英雄になりたき日もありし  石牟礼道子

幼い頃、七夕の短冊に「山中鹿介(しかのすけ)になりたい」と書いたそうだ。忠臣と言われた戦国時代の英雄だという。近所に遊郭があり遊女は道子の祖母にも優しく接してくれたけど蔑まれていたという。そんな彼女たちを救いたいと思ったのかもしれない。

戦して赤いクレヨンもなくなりぬ  石牟礼道子

16歳で教師になり子供たちに戦時教育をしたという。そのときに出征していく日の丸を子供たちと作りながら赤いクレヨンがいつか無くなったという。身内にも戦死者が出る。戦争に対する憤り。

朝の夢なごりが原はひかりいろ  石牟礼道子  

「なごりが原」とは想像の原っぱで、村人が妖怪や狐が化けて出るというのを聞いて育ってきた不知火の海がそうだ。そこが埋め立てられていくのを再生を願って狂言「なごりが原」を書いたという。

雲の中は今が田植えぞコーロコロ  石牟礼道子

「コーロコロ」は蛙の鳴き声だという。歳を重ねるほど無邪気になって、蛙の声を真似るという。

伝説の駄菓子手に入(い)らんかしら入らんかしら  石牟礼道子

健康のために甘いものを控えているのだが、とっておきの伝説の駄菓子を食べたいという。おまけに付いてくるポケモンカードとかじゃなかった。


芭蕉━━発句

「芭蕉の偶像」。松尾芭蕉はどんなに否定されても再評価され続けるという。その理由を探ってみようというのだがよくわからない。芭蕉の人気の俳句を並べてみればわかるのか?

旅に病で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る
荒海や佐渡によこたふ天河
閑さや岩にしみ入る蝉の声
五月雨を集めて早し最上川
行くはるや鳥啼きうをの目は泪
枯枝に鳥のとまりたるや秋の暮
海暮れて鴨のこゑほのかに白し
此道や行人なしに秋の暮
古池や蛙飛びこむ水の音
辛崎の松は花より朧にて

堀切実『表現としての俳諧―芭蕉・蕪村』

芭蕉の俳諧は雪舟の水墨画にる影響を受けているという。

西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における 利休の茶における、其貫道する物は一なり

松尾芭蕉『笈の小文』

芸道の指針とした人らしい。雪舟からはその造形美を学んだという。

阿部完市

少年来る無心に充分に刺すために  阿部完市
ローソクをもつてみんなはなれてゆきむほん

阿部完市は「シン・俳句レッスン23」でやった。精神科医でLSD俳句を作った人だった。シュールレアリズムのような言葉の連想から俳句を作る人のようだ。

「少年来る」からはテロ行為(浅沼首相暗殺事件)を想像する。「ローソク」からは『八ツ墓村』なんだが、落ち武者が惨殺されたことか。「むほん」はひらがなで書くとそれほど恐ろしさが消えていくようだが、日常性の中に潜む事件なのかもしれない。

この野の上白い化粧のみんないる  阿部完市

自注にで、ある日白い野原を想起してそこに入る人がみんな白い化粧をしている、そんな自然の姿を見たそのものの一句であるという。ポール・デルボーの絵のような感じか。直接的には高屋窓秋の俳句が想起される。

頭の中で白い夏野となつてゐる  高屋窓秋

この俳句について阿部完市の批評がある。

しかし、現在の私は、この「頭の中で」一句をつぎのように視、思っている。「頭の中で」のは、あきらかにひとつの説明である。(略)意味がみえて、みえすぎていて「より説明」であり、「より合点」が行き過ぎる。

阿部完市「〈新興俳句〉と私」

しずかなうしろ紙の木紙の木の林  阿部完市

これも自注があり、ある場所(崇神天皇を祀っている?)を歩いていると歌人たちが付き添って私をなだめすかして、その瞬間に木がゆれだして、それは紙の木だという。へらりゆらり。神→紙を連想して、御神木の林にいたということか?解釈を誘うのだが、本人は解釈を拒否しているんだと思う。
川名大は新興俳句が残した遺産を受け継いでいるとする。しかし、新興俳句の俳人との違いは言葉の意味性をも剥奪するということらしい。意味を読み取ろうとしてしまうが。

あおあおと何月何日あつまるか  阿部完市
十一月あつまつて濃くなつて村人

「言葉の自然」言葉が自然と形成されるということか。また「精神の季節」があるという。


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