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読書会という不幸体験

『読書会という幸福』向井和美 (岩波新書 新赤版 1932)

ありふれた日常の中で、読書という行為がどれほどの豊かな時間を与えてくれることか。三十年以上、全員が同じ作品を読んできて語り合う会に途切れることなく参加してきた著者が、その「魂の交流の場」への想いを味わい深い文章で綴る名エッセイ。読書会の作法やさまざまな形式の紹介、潜入ルポ、読書会記録や課題本リストも。

この本を読んで高校の授業で読書会形式の選択科目を選んでいたことを思い出した。『戦争と文学』というような内容で戦争文学の本を指導教授が選択し、一週間で読んで各自の意見を発表する。最初はやる気もあったのだが次第に読書が苦痛になってしまい、さらにその指導教授の選ぶ本が偏向しているとさえ思えてしまった。

それは個人的な悲劇に始終するが戦争責任を問う者がいない。それが運命であるかのような悲劇物語の感傷に浸って日本人全体の戦争責任のように語る文学だったからである

この本でも高校生の読書会で不良っぽい少年の「怖いわ」という意見に繋がるのかもしれない。全員がある一定方向へ読書して、教師が期待するような感想を上げる。

その後に紹介される読書会でも建前上は誰もが自由であるとしながらも、その後にお茶会形式(サロン的な)だったり、ある部分の同質性の傾向を持つものの集まりのように思える。

それは参加したいと思う本を選ぶ時点で、ここでは古典中心主義的なヒエラルキーが存在しているようにも思える。そして、実際の読書会の様子は、最後の付録のように付け加えられた『失われた時を求めて』になるわけだったが、そこに新しい発見は無かったような。

またこの本の半分は読書感想文となっており、それもいい加減すべてを読むきにはなれなかった。


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