啄木のセンチメンタルは計算されたもの
『一握の砂』は砂=言葉ならば、啄木に取って玩具=歌(詩)であった。それは啄木が人生を賭けて、最後まで戯れた蟹でもあったのかも。2つの鋏がある蟹だ。家庭と世間と。
啄木の身体そのものが玩具のような「さびしきその音!」という客観視した、センチメンタリズムなのだ。この凩の歌は啄木の肺結核の音だという。ほとんど絶筆前の歌らしい。伝説になる歌だと思う。
この歌集は生前発表された『一握の砂』に続いての第二歌集だが、啄木の死語に発表された。まさに夭折した歌人で、笹井宏之と同じパターンだった。笹井宏之が注目されたのも啄木の影響もあったかもしれない。友人の土岐哀果の奔走によって出来たという。
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