感染症文学、近代は予防が叫ばれた
『感染症文学論序説 文豪たちはいかに書いたか』石井正己
先にロバート・キャンベル『日本古典と感染症』を読んで面白かったのだが、近代になってスペイン風邪の大流行での作家への文章があったと思い探していたらこの本に辿り着いた。その続編的な感じで読めばいいかと。近代の腸チフスや疱瘡と言ったところは重なる部分があるのかもしれない。
ただこの本が先の本とは違いケアーから先の予防という観点が出てきたことだ。これは与謝野晶子のスペイン風邪の文章から伺える。
ケアーというと政府がというより家族がその経済状態にまかせてということで正岡子規の罹患後の献身的な家族のケアーと同じ結核でも啄木一家を襲った貧困家庭での状況では病における格差があったということ。それは今回のコロナ禍でもあったことである(政治家は罹患するとすぐ入院出来高価な治療が出来たのに一般庶民は病院をたらい回しにさせられた)。啄木はそれを短歌にも詠っていたのだ。
啄木一家は母がまず感染し子供、本人、妻と感染して、感染したものが全て亡くなっている。桑原武夫は啄木の日記の中にもそうして文学的発露を読み取る。医者に見せたくても金がなかったのだ。
その後に「明星」で盟友だった与謝野晶子が自身もスペイン風邪に罹患した経験と政府の対策のまずさを「便宜主義」と批判する文章を書く。それは今回のコロナ禍でも感染が酷くなってから手を打つということや経済優先の楽観主義があったことは否めない。今も第5類になり、街からも徐々にマスク姿が消えているのだがどうなるのだろうか?
そのパンデミックの様子を描いているのが志賀直哉『流行感冒』という小説で、「過敏な人とそうでない人がいて」と書かれて今とまったく同じことが書いてあるのだった。その「スペイン風邪」の教訓が「うがいとマスク」という今回の予防にも繋がっているのだった。さらに志賀直哉家と女中の家での感染後の格差も描かれているという。初出の題名は『流行感冒と石』という「石」という女中の名前が入っていたのだ。それが再発することで消されてしまう。志賀直哉は「石」とのあいだに和解の気持ちがあったというのだが意味深い改題である。
菊池寛『マスク』は「マスク」をしている人が不快に見えるという心情を描いていた。
芥川龍之介もスペイン風邪に罹患して辞世の句まで残したがこの時は助かったようだ。ただ芥川は感染病の恐怖が刻々とやってきているのを感じていた。それが中国で芥川が罹患した梅毒から書かれた『南京の基督』だという。そんなことは全然思わずに幻想譚かと思ったがあれは梅毒に罹患した時の幻想を書いていたのだ。基督の顔が梅毒であったとは、凄い短編だ。
小説家でなく、例えば柳田国男の『遠野物語』の中にも感染病が悪霊は地霊の守り神として出てくる。また助かった家族が退散祝をするとかの風習が。
その民話を題材いしたような「疱瘡神」という短編を内田百閒が書いていた。またコレラの随筆を『虎列刺』で書いている。『虎列刺』は海水浴での出来事であり、百聞にもっと構想力があったら『ベニスに死す』なったかもしれない。コレラはその他にも小泉八雲も書いていているという。
昭和になって第三の新人である小島信夫が『微笑』でポリオ根絶のワクチン小説を書いているという。そして伝染病の根絶と共に『微笑』という作品は忘れられていった。また森鴎外は結核にかかっていたが知識をもっていたために周りのものに隠していたという。それが鴎外の潔癖とも言える消毒癖がダンディズムと見られたという。
スーザン・ソンタグの『隠喩としての病』で結核は隠すものだったのは、家族が罹患してなくとも縁談や差別を受けたからである。癌の方は災厄として病魔と戦う象徴となっていく文学だった。
また大岡昇平の『俘虜記』では戦争と感染症の問題(マラリア)が上げられている。
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