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『麦秋』のパラダイム・シフト、小津映画恐るべし。

『麦秋』(松竹/1951)監督小津安二郎 出演菅井一郎/東山千栄子/笠智衆三宅邦子/原節子/村瀬禪

間宮周吉は北鎌倉に住む老植物学者である。息子康一は医者で東京の某病院に通勤、娘紀子は丸ノ内の貿易会社の専務佐竹宗太郎の秘書である。佐竹の行きつけの築地の料亭「田むら」の娘アヤは紀子と学校時代からの親友で二人共未婚であるが、安田高子と高梨マリの級友二人はすでに結婚している......

鎌倉に行ってなんとなく思い出した小津映画(『東京物語』とごっちゃになっていたが、紀子三部作なんで)。その原節子演じる紀子三部作の一作目だった(二作目でした。『晩春』『麦秋』『東京物語』の順)。『東京物語』と比べると奇妙な感覚に襲われる。『東京物語』では爺さん(義理の父)だった笠智衆が兄になっているし、その母が東山千栄子だった。混乱するはずだ。そして何よりいい演技なのが杉村春子の近所のオバサン。

間宮家が大和から鎌倉へ出てきたというパラダイム・シフトが面白いホーム・コメディ。大家族解体の映画なのだが、それがアメリカの政策によるものなのか、戦後の日本の姿だったのか、今見るといろいろ考えさせられる。

子供が鉄道模型のレールを買ってもらったと思ったらパンだった。間宮家に侵食してくる小麦文化。食パンであったりケーキであったり。しかし、原節子は結婚が決まるとお茶漬けをズルズル食べるのだった。そこに小津の意地があると思う。ラストの大和の情景は麦じゃなく米だろうか?よくわからないんだけど、タイトルからしたら麦なんだろうな。これは凄い!日本の稲作文化が麦になってしまうのだ。

植物学者の父が飼っているカゴの中の鳥がカナリアなんだよな。うぐいすかと思ったら。そのへんもパラダイム・シフトだった。モノクロだから色がわからないというのもある。ラストの大和の風景が麦畑だとしたら、そうとうブラックな映画(ディックの世界)。

戦死した兄が紀子の結婚相手に麦を送ってきたというエピソード。火野正平『麦と兵隊』の麦なのだが、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。 しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」という聖書の言葉。それがラストの大和の麦畑という。

原節子演じる紀子は、今風(終戦後6年)の結婚しない女。長男の嫁がその前にもんぺ姿で、爺さんを迎えたというのは、そういう時代だったということ。笠智衆の兄と原節子が結婚を巡って対立。紀子の女学生友達と女子会。やたら権利とかいう言葉が出てくる。人権を話題にするネーネーコンビ。

杉浦春子の近所のオバサンが小津喜劇のキーマンだった。そして、原節子と淡島千景の「ネーネー」コンビ。三宅邦子と東山千栄子(嫁姑関係)を含めて女性映画(女性の生き方)なのだろう。戦争で兄が死んでいるので、鎌倉の家の働き手を失うと維持出来ないのか(大黒柱が笠智衆なのだが、紀子のキャリアの稼ぎが必要だった)?そして両親が大和に引っ込むことになった。

家族離散はチェーホフ的だ。紀子の結婚話が夢のような話になっているので幸福な映画になっている。でもその現実を考えると悲劇的な様相も帯びてくる。姑が杉浦春子だ。それに夫となる男も優柔不断な会社人間ぽい(医者だけど)。小津のファンタジーなのだろう。しかし、ラストはダークだ。小津の意地として、夜遅く帰宅する紀子がお茶漬けをズルズル食するシーンが印象的。

あと紀子の上司は今だとセクハラ上司になるかもしれん。淡島千景と出来ているだろうと思ってしまった。それは、あまりにも今日的な思考だろうか。これ今作ったら面白いかもしれない。

助監督が今村昌平で、そのお茶漬けのシーンをヒントに『赤い殺意』を構想する。この頃の映画が面白いはず。


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