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シン・俳句レッスン50

落ち葉が散る季節になると奥村チヨの「終着駅」を自然と口づさんでいる。幼少の頃の記憶というのは恐ろしいな。ボケ老人になったら突然こういう歌を歌いだすんだろうな。

ビブラート効かせすぎだ。

文芸選評

11月4日放送 兼題「湯冷め」※締め切り10月30日午後11時59分

「金子兜太論」中谷寛章

中谷寛章の名前が出てきたのは二回目だった。最初は川名大『昭和俳句』でやった。「シン・俳句レッスン44」。金子兜太「社会性と存在」で社会性俳句の批評がこの「金子兜太論」だったのだ。

実際に読んでもあの頃(全共闘世代)の文体でかなりわかりにくい。ただ川名大の金子兜太批評と相通じるものがある。というか中谷寛章の「金子兜太論」が先に書かれた金子兜太の批評ではなかったか?

私なりに理解できたことをメモして置く。まず金子兜太「社会性と存在」において「社会性」という気がかりということである。それは当時のサルトルなんかの「社会性」という概念だと思うのだがサルトルの「実存」という考え方にあるのだと思う。

中谷は全共闘世代だからマルクス主義者の社会性ということなんだと思う。そして中谷がいうには左翼アレルギーが同じ問題を目指している者同士の分断が金子兜太の「社会性と存在」により始まってしまったということなのかもしれない。それは金子兜太の「存在」の部分は「自然」ということなのだ。

それの何がまずいかというと「自然」が伝統に根付く概念であるから、批評という論理のロジック(言葉)を超えてしまう。例えばそれで山本健吉の伝統俳句のロジックに近づいていく。たぶん金子兜太の「社会性」は「共同体」ということなのだ。秩父という「共同体」というような。秩父は一揆が起きたところでもある。その血というものを金子兜太は受け継いでいて、だから「社会性」も「共同体」も自然の中に組み込まれていく。

中谷が言うのは批評性としての「社会性」だった。そうした「共同体論」も批評していく姿としての。それが「道なき道を行く」という悲愴な覚悟なのだろう。ただそれは表現者が表現しなければならないために批評性を捨ててはならないということなのだ。自然の共同体と言ったところで思考停止してしまう。ブランショ『明かしえぬ共同体』とかあるけど。

中谷が目指すのは表現者の「社会性」というのは批評(自己の内面の表現活動)と強く結び付くので、高柳重信や赤尾兜子らの俳句を支持していく。高柳重信の俳句は表現形態として前衛的なのであって、金子兜太の俳句とは違うのだ。金子兜太の表現形態は伝統俳句と見分けがつかない。晩年はほとんど有季定型だ。有季が存在論的自然の姿で、それは大衆の「共同体」としての社会性という一揆の頃からの思考と変わってないのだった。

まず明治の俳句運動は、外部からもたらされたアイデンティティの日本的短詩からの独立であった。それは和歌に通じる意匠がいてその中心に和する心というもの。そこに批評という理念は組み込まれにくいのだ。批評は和する心を乱すものに他ならないから。そうした個人と共同体の闘争が中谷の目指す「社会性」の中で行われなくてはならない。それは俳句だけでなく外部の文学との連帯として詩ということなのだと思う。そこで戦後出てきた桑原武夫「第二芸術論」を引き受ける者が俳句ではなかった。なかったというより理論化することなく、個人の俳句表現として高柳重信や赤尾兜子のような表現的な前衛俳句か人間探求派の精神的前衛かとなっていくのだが、金子兜太が師事したのは精神的前衛主義というような加藤楸邨の俳句だったのである。

それは権威的と言われる中村草田男を批判しながらも、自ら中村草田男を追いかけていく姿に他ならなかった。少なくとも廻りからはそう見えてくるのだ。それは五十五年体制の自民党と社会党のような関係であるような。そういう「社会性」は金子兜太の中で「大衆」として理解された。

今の社会党のほとんど党として存在してない状態が金子兜太のいう「社会性俳句」だったのだと思うのだ。それは大衆=自然という、例えば昨今のナショナリズムに繋がりやすい共同体だった。そんな気がかりではなかったのか?

俳句表現のアポリア

続いて吉本隆明と夏石番矢の対談「俳句表現のアポリア」でその関係があきらかにされると思う。吉本隆明の「共同幻想論」だ。

ちょっと違った。夏石番矢は幼少からフランス語に接していた(自慢かいな)ので俳句よりも詩というイメージが先行して、例えば日本だったら万葉集の記紀歌謡よりも古い歌謡として縄文時代のそれこそまだ大和朝廷が成立以前の多様性としての根源が無意識の歌としてのリズムとしてあるのではないのか?そういうことを俳句を詠むときに探ると言っている。

吉本は夏石番矢の俳句(ニューウェーブ俳句というらしい)はわからないけどわかるというような。わからない部分は俳句の言葉に出来ないところとわかるというのは詩の方法論を言っているのか?

表現手法が和歌だと天皇制に和するということがあるが詩としての根源性として言葉にはならないものを求めている。それは母子関係によるものだとして、欧米では父母から早い時期に離されるので自我が出来るのが早いが、日本はいつまでも母親のそばに置く。そうすると言葉じゃなくても伝わる感情というものがある。それが思春期になって暴力的な言葉(言葉にならない言葉)として出てくる。言葉の家庭内暴力だという。

それが夏石番矢にはあるというような。金子兜太の俳句もそういうところかもしれない。ただそれはある時期が過ぎると大人としてのコミュニケーションが出来るようになる。その部分が父権制なのではと思ってしまう。

NHK俳句

NHK俳句も今週は特選的番組であったがNHK短歌が視聴者を放置していたのに対し、こちらは視聴者参加型の番組なっていた。なんだかんだで夏井いつきに批判的な私であるが、表現論的な俳句の思考は勉強になる。

兼題から連想する言葉を書き出し、さらにその言葉から連想する第三番目の言葉を書き出す。それをツリー状にしていくともっとも離れたところが半本(凡人から遠く)なるのだが、ツリー状に収まらない言葉が出てきたら凡人脱出となるという。ただ途方もない言葉を出せばいいというものでもなく、その座で納得の行く言葉でなければならないのだ。その納得性を持たすのが夏井いつきの解釈ということになるのだが、夏井いつきの解釈を引き出せるかがポイントだろう。今日の番組を見て思ったのは家族というキーポイントがありそうだと思った。NHK的でもあるし、それを外さないことだな。そして宿題としての「氷」。第二キーワードして、「無色」「ひんやり」「怪我」「スケート」「池」「つらら」「割る」「閉じ込める」「夜」。季語が入ると季重なりになって難しい道になる。「スケート」「つらら」。

夏井いつきさん「氷」山田佳乃さん「寒造」~11月17日(金) 午後4時 締め切り

芭蕉の「ひとつ」考

テキスト、上野洋三『芭蕉の表現』から。

いがの国花垣の庄は、そのかみ奈良の八重桜の料に附られるけると云伝え(へ)はんべれば
一里(ひとさと)はみな花守の子孫かや

元禄三(1690)年

一里は花垣の庄を一つの共同体としてみな花守という桃源郷のイメージでさらにそれが子孫まで続くという一つの理想郷を詠んでいる。それは「花垣」と名付けられた、自然に対してい花守たちが創る美の楽園であり、その挨拶句として祝福しているのである。それが過去から、奈良から送られてきた八重桜が、未来永劫まで一つの世界となっている。

いきながら一つに氷る海鼠哉

元禄六年

過去の海鼠の俳諧で

しらぬかな海鼠の目鼻白うるり   松律
目も鼻もなき世なりけり海鼠ずき  不関
尾頭の心もとなき海鼠かな     去来 

猿蓑

芭蕉は海鼠の句をそれ以上のものにしたかった。特に去来の「尾頭の心もとなき海鼠かな」の「心もとなき」の言葉は滑稽さの中に憐れみもあって傑作とされていた。「心もとなき」に対峙する言葉として「いきながら」が突然ひらめいたときに、それは海鼠の身体が一つに氷ることを表している。これも俳諧なので、次に脇句として「ほどけば匂う寒菊のこも」と受けたが、それは海鼠を集団として桶の中で氷った群れとしての姿なのだが、それは違うとするのは「いきながら」の言葉が一つの生命としての海鼠であり、「氷」になる状態は死を表している。その海鼠の即身成仏する姿に滑稽さと崇高さを持った心が「いきながら」という仏教的な俳句となっているという。

善光寺
月影や四門四宗も只一つ

元禄元(1688)年

善光寺の四門は、東門-定額山善光寺、南門-南命山無量壽寺、北門-北空山雲上寺、西門-不捨山浄土寺と江戸時代には言ったのだが、現在は二門だけらしい。その四門の寺は宗派が異なた四宗があったので、それが善光寺という一つの寺といして月に照らされているということらしい。

芭蕉は一つという言葉に集めるという意味を持たせたのか?一の存在感という重みか。一即多、多即一の真理としての姿を求めた。一は何かを自覚することだという。

俳句いまむかし

『俳句いまむかし』坪内稔典。坪内稔典が編集する俳句の『古今集』ということか?過去の名句と現代俳句の名句の読み比べ。

立春のサラダの塩の甘さかな  天野きらら

リッシュンという音の響きが新鮮さを導きだす。そこに塩をひとふり甘塩なのだ。「立春やゆつたゆつたと牛の尻」も同じ作者の句。

先ゆくも帰るも我もはるの人  加舎白雄(かやしらお)


これも立春の句で、季語は立春の春から始まる。だれもがはるの人となっている目出度さの句。

立春の新鮮さを感じられる天野きららの勝ちかな。

落椿とはとつぜんに華やげる  稲畑汀子

椿が落ちた瞬間にそこが華やいだ世界になった。「とは」の言い方がいまいちのような。「落椿は」では駄目なのか。七音五音の勢いが感じられるからか?

赤い椿白い椿と落ちにけり  河東碧梧桐

正岡子規は落ちる瞬間ではなく、落ちて並んでいた赤と白の椿と見ている。写生の概念だろうか?でも心象風景としての椿としての方が優雅さはあるような。碧梧桐はこの代表作は23歳だったのだ。天才すぎる。

椿の華やかさで碧梧桐の勝ち。

春の雪語れば愛が崩れそう  連(むらじ)宏子

短歌的というか俵万智みたいな軽さだった。我を消すのが俳句なのだが我は愛を溶かす存在であるのだ。

春の雪ふる女はまことうつくしい  種田山頭火

自由律か。「ふる」が掛詞なのか。振る女とも読める。山頭火53歳の作。この年になっても、まだ女に未練があるのが山頭火。

傍若の女子の俳句と自虐自由律の山頭火の勝負。山頭火かな。

地球にも河馬にもくぼみ冴返る  中林明美

「冴返る」は立春の後の強い寒気。寒いのに河馬は不自然な気がする。「も」の使い方も平凡だった。「くぼみ冴返る」がポイントか?

冴返る音や霰十粒ほど   正岡子規

正岡子規の使う数字は適当な場合が多いのだが、冴返る音だから十粒ぐらいがちょうどいいのかもしれない。百粒だと煩い感じ。

やはり正岡子規というネームバリューもあるのかな。子規が言うんだから間違いはないと思ってしまう。

JPは〒(郵便局)なり風光る  高田留美

現代俳句は音よりも見た目のモダンさなのか?でも風光るか?赤字経営というイメージが強い。

風光る蝶の真昼の技巧なり  富澤赤黄男

「真昼の技巧」というのが上手い表現のような。さすがに赤黄男と思ってしまう。

餡パンが出てあたたかな句会かな   岩崎中正

餡パンよりも肉まんとかあんまんだと思うのだが、アンパンマン世代なのかもしれない。

梅一輪一輪ほどのあたたかさ  服部嵐雪

江戸時代の俳人だが口承的に上手いリフレインだなと思う。昔の人の方がやはり俳句はいいんだろうか?

青空に触れし枝より梅ひらく  片山由美子

青空に映えるのは白梅か。絵的には美しいと思う。

梅が香にのつと日の出る山路かな  松尾芭蕉

梅の香り。「のつと」がいい。日の出も祝福されているような。山の神だな。文句なく芭蕉。芭蕉が使ってから「のつと」が流行ったそうだ。

佐保姫の先駆けとなる白い雲  鈴鹿仁(めぐむ)

「佐保姫」が春の季語で、春を司る神。最近の人だと思ったら1929年生まれの人だった。

佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして  山崎宗鑑

「佐保姫」が春の神なら春立ちはいらないな。女神の立ちしょんべんということだった。下品だな。面白いけど。室町時代の俳諧師だった。

おじゃがに芽もやしに根っこ猫に恋  池田澄子

名詞を3つもならべているのだが、「猫に恋」で落ちがついているみたいでいいのかな。

恋猫の恋する猫で押し通す  永井耕衣

自然なリフレインがいい感じだった。







永田耕衣


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