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シン・短歌レッス40

これも馬酔木(あせび)だった。ピンクの馬酔木はよく見るというか(目立つからか)白い馬酔木は気にもしてなかった。『万葉集』で詠まれたのはこちらかもしれない。ツツジの仲間だから毒があるんだ。それで奈良では他の植物は鹿に食べられるが馬酔木は食べられずに残っているということだった。今日の一句。

花喰いの四月馬鹿避け行く馬酔木(あしび)

はなくいの しがつばかさけ いくあしび

今朝作った四月馬鹿の句よりこっちのほうがいいな。馬鹿は馬と鹿だから、それさえも喰わないという句。残念なのは、季重なり。季重なり俳句という新たなジャンルを開拓しようか?

花喰いの馬鹿も避け行く馬酔木かな

ルールに忠実だとこんな感じか。

『源氏物語』和歌

『源氏物語 胡蝶』

「胡蝶」は玉鬘十帖の一つで玉鬘に求婚する男たちの手紙を光源氏が読んで批評するという話だという。その手紙に和歌が添えられており、兵部卿宮(蛍宮)の和歌と柏木の和歌(掲載和歌)が光源氏によって批評される。

(兵部卿宮)
むらさきのゆゑに心をしめたればふちに身を投げん名やは惜しけき
(返し光源氏)
ふちに身を投げつべしやとこの春は花のあたりを立ちさらで見よ

兵部卿宮は北の方を亡くして三年でもあり、光源氏(弟でもあったし)と共に遊び人で和歌も玉鬘の求婚というよりも紫の君の春の庭の讃歌になっているという(紫の君の讃歌のようにも思えるが)。この歌のやり取りは宴会でということなので兵部卿と光源氏が戯れたのだろう。

一方柏木の歌は密かに玉鬘に渡されたもので、それを光源氏が奪い読んで批評するのだが、頭の中将の息子だけあって歌の才能は認めるのだがまだ若造扱いをするのだった。この歌はその後の柏木との伏線はないというのだが、あるような気がする。

『新古今集』「春歌上」十首

今日は『新古今和歌集』から「春歌上」と「春歌下」の桜の歌

吉野山去年(こぞ)のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねん  西行法師
葛城や高間(たかま)の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲  寂蓮法師
桜咲く遠山鳥(とおやまどり)のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな  後鳥羽院
風通ふ寝覚めの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢  藤原俊成女(むすめ)
またや見ん交野のみ野の桜狩花の雪散る春のあけぼの  藤原俊成
山里の春の夕暮来てみれば入相(いりあい)の鐘に花ぞ散りける  能因法師
花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟の跡見ゆるまで  宮内卿
逢坂や梢の花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉群(すぎむら)  宮内卿
花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る  式子内親王

西行の桜では、「願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の方が有名だが、その歌は山家集に掲載していたので、その歌も踏まえての桜の歌だったのか?
「高間」は「金剛山」の別称だそうだ。葛城の山の中でも一番高いらしい。「たかま」ということから「たかまがはら」もかけてあるのだろう。桜と白雲の関連は、『古今集』に紀貫之の歌があり、それの本歌取り。

桜花咲きにけらしなあしひきの山の峡(かひ)より見ゆる白雲  紀貫之

『古今集・春歌上』

後鳥羽院の歌は釈阿(藤原俊成)九十歳の祝いで屏風の桜を見ての歌。『万葉集』柿本人麻呂「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」の本歌取り。大歌人・藤原俊成の長寿を祝うのにこれ以上ない歌とされている。
藤原俊成女は後鳥羽院歌壇で活躍したという。なかなかの歌人みたいだ。俊成の実の娘ではないのにむすめと呼ばれるのだから歌才があったのだろうと思われる。

俊成の歌は厭世的な歌が多いとか。「またや見ん」はまた見れるだろうか?という自分の命の儚さも詠んでいる。
晩鐘の音と共に桜が散っている様子だという。これは美しい。
宮内卿の歌も舟の跡が桜花なのだ。散る桜の中での舟遊び。貴族だな。
宮内卿の二首もあるのは才能がある人なのだろうか?宮内卿は俊成女と並び称される女流歌人だった。あまりにも歌にのめり込みすぎて命を縮めたとある。後鳥羽院のお気に入りの歌人だったのだ。

式子内親王も後白河天皇の皇女であり波乱万丈の人生だったようだ。定家の愛人みたいに書かれている。歌は『伊勢物語』「暮れがたき夏のひぐらしながむればそのこととなくものぞ悲しき」の本歌取りということだが。ひぐらしと散る桜を入れ替えたのか。後鳥羽歌壇三人娘ということにしておこう。

俳句レッスン

今日も堀本裕樹『十七音の海』から十首。第四章「覚えておきたい俳句」の続き。

月の詩を李白にならへ酒もまた  上野一孝
雪はげし抱かれて息のつまりしこと  橋本多佳子
しんしんと寒さがたのし歩みゆく  星野立子
蕪煮てあした逢ふひとといまはるか  高柳克弘
咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや  中村汀女
寒雀身を細うして闘へり  前田普羅
クリスマス「君と結婚していたら」  堀井春一郎
水枕ガバリと寒い海がある  西東三鬼
永き日のにはとり柵を超えにけり  芝不器男
黒板にDo Your bestぼたん雪  神野紗希

李白の句は一読すれば酒飲みとわかる。李白が酒の代名詞みたいだから。この李白の「月下独酌」の本歌取りという趣向みたいだ。本歌が立派すぎてこのぐらいの軽さがいいのかもしれない。漢詩を暗証するより楽だ。

四Tの橋本多佳子だった。夫と死別した後に桜の散る想い出を読んだ句だという。下五が六音の字余り。十七音に届かなぬ恋というが一文字オーバーな恋だろう。過剰な恋だった。同じ作者「夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟(あおばずく)」という句も。
星野立子も四Tだがクールビューティーという感じか。虚子のお嬢さんなんだよな。すたすた先を歩いていくツンデレお嬢さんを連想してしまう。想像するのは勝手だから。
「蕪(かぶら)」の句のような句が良くわからんのだよな。大根じゃいけないのか?字数があるから「蕪」が収まりがいいんだろうけど、それって俳句の方にすり寄ってないか?大根がいいという人もいるだろう。青春俳句で「蕪」が春の七草の「すずな」ということだった。「大根」じゃ古女房的だよな。
中村汀女。4Tの三人娘。他は杉田久女でどこがTなんだと思うが、なんかあるのかな?3Tでいいじゃないかとも思う。中村汀女は母親俳句なのか?この句だけ読むとそんな感じだ。杉田久女に憧れて俳句を作り始めたようだ。中村汀女を入れると杉田久女をないがしろにするということで4Tなのかもしれない。「台所」俳句と揶揄されたという。

冬に雀が羽を膨らませているのを「寒雀」や「ふくら雀」というのだそうだ。身体を細くしてというのは闘っているからだろうか。なかなかいい句かもしれない。
俳句で「」は初めて見るかもしれない。こういう俳句を作る人がいたのか?堀井春一郎。名前を覚えておこう。

天狼調が気になる。山口誓子の「天狼」も覚えておこう。

こういう句はいいなあと思うが、センチメンタルすぎるんだよな。貧しい時代が良かったみたいな。
「学生街の喫茶店」みたいな句だが、永遠にはないよな。このへんが現実主義者すぎるのか?永遠にあると思えた時代は随分昔だろうな。
西東三鬼のこの句は好きだった。次はこの人句集かな。
新興俳句の人が続く。ただにはとりが柵を飛び越えたという句だというが茂吉の鶏の句を意識したのではないかな。茂吉超え。
神野紗希の英語句は『飛び出せ、青春』の「レッツ・ビギン」を思い出す。なんかいい先生なんだろうなと。




映画短歌

今日は映画は『逆転のトライアングル』で。

船酔いのクルーズ船に
飽きたなら
汚物まみれの王様ゲーム

もっと古今調とかにしたかったんだけどな。題材が悪すぎた。


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