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本宮ひろ志テストと村上春樹テストを受けてみたい

『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』斎藤環 (角川文庫)

「ヤンキー的なるもの」 に精神科医が肉薄。第11回角川財団学芸賞受賞作
「アゲ」と「気合」の行動主義=反知性主義、家族主義で母性的。これまで論じられなかった日本の「ヤンキー」性と、急速に拡大するバッドセンス。日本文化の深層に、気鋭の精神科医/評論家が肉薄する!

「ヤンキー」問題がクローズアップされたのは、打越正行『ヤンキーと地元』を読んだからである。けっこう重なる所があるのに、どうして自分はヤンキーを避けてきたのだろうという疑問だ。今、一人称を自分と書いたが普段はそうなんである。ただそれだと余りにも軍隊っぽいと気がついて、最近では中性的な私がいいのかなと思ったりしている。

その捻れはヤンキーという形では現れて来なかったが、ヲタク性というサブカルの方に行ったのかもしれない。漫画ヲタクは、手塚治虫先生を尊敬する。彼の漫画のルーツがディズニーと映画にあった。それはアメリカ的なものだけど、また反発として日本的なものを求める。

ヤンキーがアメリカ的な車やバイクを求めながら特攻服を来て日本化していくキッチュな構造が日本人の西欧かぶれとその反発という。丸山眞男の「古層論」で、表層では外国文化に染まりやすいが、その反動として保守的な「深層」としてバリア(ATシールドか?)を張り保守的になっていく。

その構造が如実にでたのが明治維新で、坂本龍馬のヤンキー性(キャラ)が拳銃と靴に現れる和洋折衷だというのだ。日本人は実際的な政治家よりもキャラクターが強い坂本龍馬を好む。あるいは義経とか白州次郎とか。彼らが持つヤンキー特性。

それはキムタクに代表されるジャニーズというブランド(ジャニー喜多川がアメリカ育ちなのに日本的なものを求める)、それは木村拓哉というよりキムタクというキャラ設定の世界で、なんでも手を出すがファンシーな関係、そこに工藤静香が妻として収まっていることの重要さ。

「後に何も残らないぐらいの燃焼。仕事は”最高の遊び”と思っていたい」「生き方としてタンポポの生き方を目指している。タンポポって、種が飛んでった先で根を張るでしょ。そこに土と水があれば、花をさかせちゃうんだからすごいよね」「あがいている自分が好き。無理だと思っていることにチャレンジしているときが、やけに楽しいのよ」(斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら』より「キムタク語録」)

糸井重里が感銘を受けたというキムタク語録が、あいだみつを的ポエムの世界だという。それは見かけのカッコよさでヤンキーに繋がるという。ヤンキー的な日本の保守主義。維新の橋本徹の自己責任論。ちょいワルなキャラ特性。その根底にある実学志向(理念よりも実践行動)。おらおらイケイケ現実志向。

それがヤンキーだとは別にして、日本人の心情としてはかなりあると思う。その裏で支えるのが母性である家族主義。ヤンキーは一度は逸脱するが、体制内にとどまる。それは彼らの関係性も儒教的な上下関係で成り立つからだ。ヤンキー先生(義家弘介)の逸脱。そして、女性教師の愛によって現実社会に戻ってくる。

義家弘介の「夢は逃げていかない」(ゲスト:安倍晋三先生) https://nico.ms/sm31418750?ref=twitter #sm31418750 #ニコニコ動画

こういう話は日本人は好きだ。知性よりも反知性主義。行動第一。やってみなければわからないの精神。なるほどすべてがつながっていくようだ。オリジナルはなく、コピーがコピーを生み出し、中身が空っぽの存在。それが伊勢神宮や神道の考えなのか。丸山眞男の「古層論」。表層は新しもの好きだけど、深層には保守的な変えられぬものが存在する。それは実は空虚なのでは?イケイケどんどんで進んでいく表層の中で取りこぼされていく者の無駄死に。ヤンキー的世界。トップに立たねば駄目なんよ。

大河ドラマ特性って、このパターンなんだよな。義経にしても坂本龍馬にしても。その支持層が維新なのかもしれない。

「本宮ひろ志テスト」というのをやってみたい。「内なるヤンキー度」を知りたい。自分けっこうヤンキーシンパシーがあるんだよな(横須賀育ちだからか?)。あと「村上春樹テスト」もあるらしい。これは非ヤンキー的な生き方。共通するのがアメリカだった。


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