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怨霊より怖い生霊だと柏木は言うだろう

『源氏物語 35 若菜(下)』(翻訳)与謝野晶子

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第35帖「若菜(下)」。朱雀院五十歳の賀が近づき、女三の宮に琴を教える源氏。この機会にと女楽が催されたが、その直後紫の上が病の床に着く。源氏が看病している間隙に柏木は女三の宮と関係を持ち、懐妊させてしまった。源氏は気付くが、自分も同じ過ちをしたのだと煩悶する。宴の席で皮肉を言われた柏木は、罪の自責に苦しみ重病にかかってしまう。平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編古典小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。

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この帖は長いのだがさらに登場人物が増えてくるので混乱する。光源氏はもともとは天皇の不義の子であり天皇(太陽)に対して月として輝いていたのだが、その輝きが天皇を凌ぐほどの力を持つようになる。それは光源氏の裏の力(女性を引き付ける力にあった)。天皇はその存在の前(物語上)では影が薄いのである。この帖に出てくる天皇(帝)について把握する必要がある。まず最初に出てくるのが東宮(皇太子)であり、彼は今上帝の子供なのである。この今生帝は明石の姫の夫なのだ。突然出てきた感じだが明石の姫のお産で六条院で産んだ子が東宮なのだろう(たぶん)。

その東宮のために唐猫がプレゼントされる。それは女三宮からだったのだ。「若菜上」の最後に柏木が蹴鞠をしていて猫がと飛び出してきたのは、この猫だと思う。それで柏木は女三宮との縁を作ったこの唐猫を女三宮と思うことで面倒を見ていたのだ。

光源氏は明石の姫が子供を産んだので住吉大社に参拝する。明石の入道の一族の願いが成就された明石物語の記念すべき時なのだ。

ただ別に光源氏の物語は女三宮との物語が続いていた。それは柏木という別の枝葉となっていくのだ。柏木の物語は光源氏の二番煎じなのだが、光源氏のようには行かない。それは女房である小侍従の至らなさなのだが紫式部がこの小侍従を愚かな女として出してきたのは理由があるような気がする。光源氏の侍従たちはそのへんは賢く振る舞っていたのだ。

さらに柏木の妻が女三宮の姉である女二宮だという。それで柏木に見捨てられたから「落葉の君」とか、このへんの渾名の名付け方も秀逸だ。それが柏木の和歌から出ているというのが紫式部の構想の上手さだろう。そういう渾名の方が覚え安いのに女三宮は渾名がないのか?「若菜」がそうか?

(柏木)
もろかづら落葉を何にひろひけむ名むつましきかざしなれど

そして女三宮を雅な女性にするために琴を習わせる。それは朱雀院(光源氏の兄)の五十の賀の祝いの演奏会準備のために、とりあえず六条院で女だけの演奏会を開くことを光源氏が思いつくのだ。紫の君は和琴(リーダーかな)、女三宮が(琴、ビオラ的な?)、明石の姫が箏(これも琴の一首だというこっちがビオラ的なのか?琴は第二ヴァイオリンなのかもしれない)、明石の君が琵琶(明石入道が琵琶の名手、明石一家は音楽一家)。この演奏会は女三宮に琴を教える口実で、玉鬘の前例があるので紫の君は気が気でないと思うのだ。そして琴の調弦をするのに夕霧が呼び出されるのだ。

ここで注意して欲しいのは何故演奏会の前に明石の一族の住吉大社に願いに行ったかを考えるとその後の大きな伏線になっているのだ。それはその演奏会で演奏された催馬楽「葛城」なのだ。「葛城」は葛城山の神(女神)を呼び出すものだと思う。昨日読んだ山本昌代『善知鳥』にも『葛城』という短編があった。

古来の音楽は呪術的なものでそれが六条御息所の霊を呼び出してしまったのではないか?そもそもそこは六条院御息所のテリトリーだから怨霊というよりも霊力に取り憑かれたするのが正しいような。それが紫の上であり、女三宮の懐妊を知らせたのも霊性によるものだと思われる。怨念があるとすればそのようにした光源氏に対してである。

そもそも朱雀院の五十の祝の儀のハズだったのである。それが六条院では延長されていくのだ。そして祝儀は柏木の方の実家に先を越されてしまう。光源氏が柏木に嫌味を言うのも納得。ほとんどパワハラによって柏木は病気になってしまう。光源氏の怨霊恐ろし。


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