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俳句では以外に常識人であった芥川

『 芥川竜之介俳句集』 (編集)加藤郁乎 (岩波文庫)

「余技は発句の外には何もない」と語った芥川竜之介は、終生俳句に格別の思入れを持ち続けた。芥川竜之介の俳句は、洗練されたレトリックによる技巧の冴えと、近代人の繊細な感覚をよく伝える。また、芭蕉、丈草ら江戸俳諧の伝統を踏まえた格調の高さを守っている点にも、その独自さがある。珠玉の如き芥川の俳句千百余句を集成。

う~ん、微妙かな。芥川にしてもそう斬新な句ができるわけでもなく、基本に忠実なのか、面白みもあまりないような。それは、芥川が俳句同人誌に属したりせずに虚子の「アララギ」による投稿句主体となるから、自然と虚子好みの俳句に成っていったと思われる。植物詠が多いのも写生ということを意識して作っていたように思われる。でも芥川らしさが出るのは動物のような気がする。芥川の俳名は我鬼。これを付けるとなお芥川の世界。

蛇女みごもる女や合歓のはな 我鬼
天に日傘地に砂文字の異鳥奇花 我鬼
青蛙おのれもペンキぬりたてか 我鬼
蜂一つ土塊(つちくれ)噛むや春の風 餓鬼
三日月や二匹釣れたる河太郎 餓鬼
秋風やもみあげ長く宇野浩二 餓鬼
(子規忌)
雨に暮れるる軒端の糸瓜ありやなしや 餓鬼

加藤郁乎の解説によると芥川竜之介の辞世の句とされる

水洟や鼻の先だけ暮れ残る

という一句は、病気で寝込んでいたときに自嘲して作ったもので、絶筆ではあるかもしれないが自殺を決意したものではないという解説。主治医が芥川が死んで沢山の人が集まったときに、その俳句を披露してしまったので辞世の句として捉えられてしまったということらしい。

芥川竜之介の俳句が芭蕉から子規までの影響を受けながら俳句を発句という語を当てているのも、俳句の伝統に則ろうとしたようである。中学時代から俳句作成をしているのだが初期は文学の模倣的な句が多く、高校時代には俳人仲間も多く連句なども楽しむ俳句三昧の時代となった。

それでも俳句同人誌には加わらずもっぱら「ホトトギス」に投句していただけのようである。それでも周りには漱石や虚子がいたので、自然と俳句観が形成されたと思われる。

蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

は「ホトトギス」に投稿したのは、

線条(ゼンマイ)に似て蝶の舌暑さかな

だったのを虚子に直されていた。最初の方がいいような気がする。まあ芥川の回りには俳人が多かったから、基本に忠実だったのかもしれない。それで商売しようと思ってなく、ただ俳句を楽しんでいた。それがいいのかもしれない。

餓鬼は、東京人餓鬼というのであった。それでも東京の句は

木らしや東京の日のありどころ 東京人餓鬼

しかないという。


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