見出し画像

シン・現代詩レッスン13

今日のテキストは『戦後詩―ユリシーズの不在』寺山修司。いきなり現代詩の否定から始まるからちょっと思惑とは違った。寺山修司は詩は即興であり、それを活字化することによって、個人の詩から社会の詩となってしまう(そう読まれるということか)。そこに詩人が代理人であるような存在にさせられると言う(歌謡曲の作詞家のように)。それは流行歌が作詞家のものではなく、すでに歌手によって歌われることで社会化していき、作者の個性は希薄化されるという。寺山修司が求める即興詩はジャズのようなもので、その日に歌われるごとに即興で場の世界と交感するようなことを言っているようだ(ライブ感)。黒人のブルースはそのようなものであると。

「七十五セントのブルース」 ラングストン・ヒューストン

どっかへ はしっていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい
ね どっかへ はしっていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい ってんだ

どこへいくか なんて 知っちゃあいねえ
ただもう こっから はなれてくんだ

ラングストン・ヒューストン「七十五セントのブルース」木島始訳

黒人のブルースはコードをくり返す中に三連符のリズムが刻まれる。そのリズムが都会の歌にはない泥臭い方言的な言葉なのか。その力強さ。

先日見た映画から野生の叫び。

ごみ捨て場の仔犬

雌犬から生まれた多産の犬ころたちは
今日も吠える ほえる ホエ~ル
鯨に飲み込まれた鯨飲のよっぱらい
今日も吠える 吼える 追っ払う
抱えきれたのはゴミの山 憎悪の烏たち
今日も吠える 咆える 追い払う 
猫の化身の売女たち 雌犬ビッチは
今日も追っ払う 吠える ほえる
娘は吠えて犬になりゴミの山を漁る
母犬を求めて 鳴くことある

ギンズバーグ「吠える」になってしまったかな。ギンズバーグは散文詩ということなので根本的に違っていた。また研究の課題。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?