ジーナ・ローランズの「ハズバンズ」だけでは語れないカサヴェテスの演技
『ハズバンズ』(1970年/アメリカ/142分)監督:ジョン・カサヴェテス 出演:ベン・ギャザラ、ピーター・フォーク、ジョン・カサヴェテス
旅行帰りのレイト映画だから、半分ぐらいは寝ていたか?最近、寝ていても詰まらないというわけではなく、たまたまその部分は退屈だった(詰まらなかったということか?)のだけどあるシーンは凄いと思うのが映画なんだと思うようになった。映画は現実と夢の境界にあるもので、監督は現実を概念として描こうとするものである。それがイメージで例えばタルコフスキーの鏡のイメージとか首都高のイメージとか。あるインパクトを残しつつも夢現となって現れるのである。
まあそれが楽しい良い夢とは限らず悪夢の場合も多いのだが『ハズバンド』はまさにそんな映画だろうか?三人の男が酒場でナンパしてホテルに連れてきてことを始めようとする様子を描いている映画で、恋愛の胸キュンとか恋人と死別するなんていう感動ストーリーはなく、ただ狼のような男が描かれるのである。それは男たちのゲームのような家庭外の楽しみなのだが、いささか男の欲望だけを描いているというか、こういうところに怖いジーナ・ローランズは存在しないのである。
最初に三者三様のナンパの様子が描かれているのだが、単なる酔っぱらいか、今ではこういうオヤジは店からつまみ出されるようなあの時代特有(50年前だとバブル時代か?)の男たち。カサヴェテス常連の役者二人とカサヴェテスの即興劇のようなナンパのシーン。そしてホテルに入ってもその延長で口説きまくるのがピーター・フォークの囁き戦術で、顔とか見なければとても心地よいトーンなのである。フランス語、イタリア語を駆使するのだがそれが本当の言葉なのかもよくわからない雰囲気芸でタモリの外国語のような感じというか、タモリはもしかして、このピータ・フォークの技を模倣したのではないかと思わせるほど見事なのである。ここから「刑事コロンボ」の「うちのかみさんがね」という話術のプロトタイプだったのかと思うぐらいにピーター・フォークの話術は素晴らしい。話術というより声のトーンかな。
そして問題のカサヴェテスの狂気の男の演技というかどこまでが演技なのか、本質的にそういう人じゃないのかと思わせるような迫真の演技。まあジーナ・ローランズを相手にしていれば狂気性も帯びてくるか?ここでの男たちはホラーだろうか?それが当たり前に隠されていた時代があったのだと思う。それが家庭外での男たちの変化であり、その後に子供を躾けたりするのだから、なんとも人間とは怖ろしいものである。そういうものが今の時代はどんどん世の中に晒されているので、もう珍しくもないのだろうが、ただカサヴェテスの演技は今見ても怖ろしい限りだ。ある部分それが男の本質かもしれないと思わせるところなどが。
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