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ヒロシマの詩「生ましめんかな」

『セレクション戦争と文学 1 ヒロシマ・ナガサキ 』(集英社文庫)

広島と長崎に原爆が落ちた日、世界は一変した――。

言語を絶する被爆地の惨状を書きとどめた、原民喜の名作「夏の花」。広島と長崎での被爆体験をそれぞれ綴った、大田洋子「屍の街」と林京子「祭りの場」。

その他、井上ひさし「少年口伝隊一九四五」、大江健三郎「アトミック・エイジの守護神」、田口ランディ「似島めぐり」など、現代作家の視点も交え、原水爆の惨禍を描き出した作品を収録。

戦争文学のアンソロジー。以前だと大江健三郎が編集した『なんともしれない未来に』があったのだが、時代と共に新しく出されるのだろう。それは意義あることだと思う。

原爆文学と言うと原民喜の名は誰でも上がると思うのだが、彼一人だけではないのだ。また小説以外にも詩や短歌や俳句、川柳まである。そして原爆体験者でない最近の人(田口ランディ)?のエッセイなど。

栗原貞子「生ましめんかな」

生ましめんかな  栗原貞子
──原子爆弾秘語──

こわれたビルデングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛み忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの時t国の底で新しい生命は生まれた。
かくしてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨てつとも

(『セレクション戦争と文学 1 ヒロシマ・ナガサキ 』より、栗原貞子「生ましめんかな」)

大田洋子「屍の街」

原民喜の『夏の花』は観念的な鎮魂歌のヒロシマ原爆文学だった(もともと亡き愛妻の墓参りから始まるのだ)が、大田洋子は身体的なルポルタージュの原爆文学。

けっこうプライド高い人だと思うのだが、原爆で火傷を負いながら広島市街を彷徨い作家魂で記録していく。こういうのは女性の方が生々しい。その生々しさに最初の出版は削除版。5年後にようやく日の目を見たという作品。原爆の様子は阿鼻叫喚ということはなく、記憶が飛ぶような呆然自失という、暫くは何をしていいのかわからず指示を待っていたと。受動的な思考に慣らされた日本人観の危うさを述べている

原爆から3日ぐらいしか経ってないのに、誰もが乞食同然の姿で髪は血で固まり衣服はボロボロの罹災者。火傷で皮が垂れていたという記述も(最初の熱で火傷をし、爆風で皮が剥がれたという記述が後の林京子『祭りの場』にあった)。広島市内から市街へ彷徨い歩くが、地方の人に罹災民と差別されて憤慨する。罹災者なのだと。それも戦争の犠牲者なのに自主的に物乞いをしなければ死んでいく状況(彼女は医者の娘だったので昔世話をした住民から援助してもらう)。そういう悲惨さはかつて中国で見たがそのときは汚い民族だと思っていたと素直に告白する。立場が一瞬に変わって、それは原爆よりもショックだったと書いている。

それ以前は直情的な軍国主義者的な面も伺われる。それを笑って彼女を批判した友人も行方不明になっている。獰猛といわれた彼女の飼い犬が怯えてうろうろするだけだった。

昨日までなんともなかった人が突然、病斑が出来て死んでいく恐怖。そこに様々な家族の死別があり、罹災者への冷たい視線(こちらの精神的ショックの方が大きい)もあったのだ。自分はまともな格好なのにボロ布を纏とい瘡蓋だらけの人が近づいてきたら、それはなかなか手を差し伸べられないと思うが。そういう難民の酷さは通常の戦争難民よりも酷かったと書かれている。赤十字の視察の人もかつてこれほどの惨状は見たことがないと言ったという。米軍は空から街の写真を撮る。そして治療の為というより、研究のために彼らを観察する。そのことに著者は憤慨するしかないのだが、いつの間にか天皇よりも「アメリカ万歳」の世界になっている。

林京子『祭りの場』

ヒロシマの被爆文学に対してナガサキの被爆文学は少ない(実際には書かれていたのだ。注目度が最初の原爆と二回目ということで違ったのかもしれない。あと「ナガサキ」はセットで語られがちだった)と1970年に言われて、林京子が1975年に発表した文学的な作品。

すでに原民喜や太田洋子のような作品があり、何を書いても二番煎じになりかねない原爆文学を、林京子の個人の体験を元に原爆文学として昇華したような作品。

林京子は女子挺身勤労者として、ある再生工場に派遣された。その工場は物の再生工場だったのが、本工場で怪我をした人を受け入れる人の再生工場でもあった。このテーマだけでも面白いと思うが、本書は原爆文学だった。

衣服を剥ぎ取られて(爆風で)真っ裸で亡くなっている女学生やら水を求めて死んでいく幼女らの悲惨な光景。

その中で林京子も被爆しながら逃げていくのだが、男子学生と出会い励まされながら逃げていく様子が悲恋物語のように書かれている。回想なのでファンタジー的な要素を織り込んでいる感じ。お嬢さんの落差というか、同じ原爆にあいながら無惨になくなっていく人への視線が文学的な菩薩観音視線のような気がする(水俣の石牟礼道子のような)。それは30年後に書かれたものだからかもしれない。原爆症の恐怖にありながら(他者からの奇異な視線に晒され)90歳近くまで生きた彼女の言葉は重い。

美輪明宏『戦』

美輪明宏のナガサキ被爆体験のエピソードもあるが全体的には戦争体験談。語り口が美輪明宏調でそれが魅力でもあり幻惑的でもある。少年時代のことだから多少盛っているところがあるかもしれない。原爆が大音響のオーケストラのように鳴り響くとか。劇的な要素を含んでいる戦争体験談。

母親を亡くして当時10歳でありながら弟を守らねばという幼心が出ている。被爆し亡くなっていく人に死に水を与え続けたことが印象的に描かれている。どっちかというとロマン主義的な描かれ方をしているかもしれない。


後藤みな子『炭塵のふる街』

芥川賞候補作止まりだったが、なかなか読ませる作品。炭塵というのは、筑豊のボタ山のことで、福岡に避難してきた父と娘。兄は長崎で被爆死していた。そして母は狂女となってしまう。父が軍医として、家族を見捨て国家のためにというのを娘が非難する父と娘の小説。

これも原爆よりも戦争そのものをテーマとした小説でその中に原爆エピソードが深く関わってくる。病気の母の介護があるにも関わらず父は娼家通いしているのだ。そして、長崎に戻って生活を立て直すという。天皇の行幸があり、皇国信者の狂った母が追いかけていく描写とかけっこう緊張感がある。

金在南『暗闇の夕顔』

在日韓国人作家が描いた被爆エピソード。韓国の徴用工で連れて行かれた夫と会うために長崎に渡って、夫は死亡、娘が被爆して韓国に戻って介護を続ける韓国夫人。原爆症による奇異な視線と差別で、人間不信になっている夫人と新人記者との交流。原爆症の被害の酷さと介護の大変さ。それは、光を見れない娘とケロイド火傷で人が伝染病者のように扱うから娘を部屋に閉じ込めておくしかない。不気味な声だけがアパートに響くのだ。

差別はどこの国でも同様に見られるようだ。そして記者が親しくなると老女と思っていた夫人が綺麗に着飾って食事に招待する。その落差かな。夫人は娘の原爆症がなかったら違う人生を送っていたのかもしれない。

田口ランディ『似島めぐり』

田口ランディもいつの間にか消えてしまったな。才能はある人だと思うのは、この短編からも読ませる上手さを感じた。これは祖母が広島で被爆し、孤児院育ちだった歴史を探っていく小説。瀬戸内海に浮かぶ似島が被爆者の治療をしたり、多くの被爆した死者を埋めていたり、孤児の施設があったりする場所で、現実世界から隔離された(隠された?)傷跡を残す島だった。その島の祖母の施設を尋ねていく。

施設の子供たちが歌う歌がボケてしまった祖母が歌っていた歌だと気がつくのだ。祖母と施設の者の写真を見て、家族以上の関係だった、そのつながりの深さを知る。60年代作家が書いた原爆エピソード。

大江健三郎『アトミック・エイジの守護神』

大江健三郎の描く原爆小説は倒錯的で変態的だ。もしかして大江健三郎はゲイではないかと思えてきた。「アトミック・エイジ」は「アトムの子供たち」(流行歌にあったよな)みたいな感じか。原爆症の子供たちを保護しながら、その手当と死亡金とで暮らす男と若手作家の対話。

最初は詐欺師的な面を感じ取るのだが取材していくうちにその男に共感していく。新興宗教的なヨガの師範をインドから招いてヨガ教室をやっている。そのインド人はそれも修行の一環だから無償でやっているのに男はヨガ教室の商売をしているのだ。しかし原爆症の子供たちはヨガに熱中することで日々の悩みを忘れていく。

そして酔っ払った保護者が癌だと子供たちは感じている。その死亡保険を彼らが受け取ることにしたのだ。社会の規範よりも個人として生きることの欲望か。それはなんとなく性的なエロッティックな香りを匂わすのだ。ボディビルのような鍛えられた身体とか。



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