見出し画像

疾走する戦争に対する否の一句

『疾走する俳句―白泉句集を読む』中村 裕

将来を嘱望されながら、戦後中央俳壇には戻らなかった俳人・渡邊白泉(わたなべはくせん)。再評価されつつある白泉の全俳句作品千三百句の中から百句を選び、それぞれに解説と付した選集。昭和初年、硬直した俳句の世界を脱して、俳句表現の新地平をめざした若者たちがいた。彼らのエネルギーは新興俳句運動に結集していく。そのトップランナーとして、この運動を強力に牽引したのが渡邊白泉(わたなべはくせん)。その批判精神と詩的感受性をもって、実作のみならず評論でも、めざましい活躍をみせる。しかし昭和15年、軍事体制化を急ぐ国家による弾圧で、暴力的にこの運動は終息させられるのである。戦後、白泉は俳壇と距離を置いたこともあって、彼に師事した三橋敏雄によって『渡邊白泉全句集』が編まれるまでは、ほとんど忘れられた存在となっていた。本書では白泉の句業を見わたすことで、彼がどのように時代と対峙し、どのように俳句表現の可能性を広げようとしたかをさぐる。

最近俳句の歴史本を読むことが多く「新興俳句」の白泉は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」の戦争俳句で知られるが作者はあまり知られていない。それは「新興俳句」が弾圧された経緯があり、その後の俳句界は虚子の天下となった(戦意高揚句など作り「日本文学報国会」の会長にもなった)。虚子はただ俳句を守りたかっただけかもしれないが、白泉らの「新興俳句」の浮かばれないのは何故だろう?

白泉の「新興俳句」は文学的にも価値が高いと思う。有季定型の「季語」に変わるにはそれ以上の強い言葉を必要とするということで「戦争」を詠み続けたのだ。その時代に対する批評眼の鋭さ。そして戦後も俳壇に復帰することなくひっそりと亡くなっていくが句集を残した。

鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ
銃後といふ不思議な町を丘で見た
繃帯を巻かれて巨大な兵となる
提燈を遠くもちゆてもて帰る
戦争が廊下の奥に立つてゐた
玉音を理解せし者前に出よ
瑞照りの蛇と居たりし誰も否
地平より原爆に照らされたき日
湧く風よ山羊のメケメケ蚊のドドンパ
万愚節明けて三鬼の死を報ず
春深き酔よ遊動円木よ

忍び寄る戦争の足音に耳を傾けるには白泉を読むがいい。


この記事が参加している募集

#読書感想文

192,370件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?