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シン・短歌レッス33

一昨日散歩で撮った椿だが椿もいろいろ種類があるのだ。椿はあまりいい思い出もなかった。植木屋でバイトしていた頃、椿に毛虫が付きやすくあまり好きではなかったかな。「電気虫」とか言っていたような。一回刺されたことがある。「イラガ」の幼虫だった。

椿はやっぱ雪の日に赤い花が咲いていると綺麗だ。今日の一句。

赤椿雪解け水を血に変えて

椿は難しい。類想句になりそうで。

中条ふみ子短歌


中井英夫『黒衣の短歌史』


今日も中井英夫『黒衣の短歌史』から。1953年(昭和28年)の3月に斎藤茂吉が9月に釋迢空が亡くなって、翌年に中井英夫は中条ふみ子と寺山修司をデビューさせる。その時に歌壇からは随分と批判文があったそうだ。特に中城ふみ子は「ヒステリックな身振りで誇張している」と。そして歌壇は昔も今も新しい人を必要としてないのだと悟ったという。同じ編集長だった『角川 短歌』の角川短歌賞の入賞者はいずれも審査員の結社の人で愛弟子を強く押すことでその賞は流れてしまったと。そんな中で中城ふみ子の批判は類を見ないものだった。しかし、その本が川端康成の推薦文と共に出版されると大いに議論を呼び、それまで中井英夫は彼女が癌だということも知らなかったのだが、映画も公開されて話題になった。でも今ではほとんど話題にする人もいないのだが。

模範三首

今日も穂村弘X山田航『世界中が夕焼け』から穂村弘の短歌十首(の予定が三首しか出来なかった)。

カブトムシのゼリーを食べた辻一郎くんがにこにこ近づいてくる
ハーブティにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえものはじまり
風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり

「辻一郎」は穂村弘の本名だった。本名のほうがカッコよくないか?穂村弘だと柔らかい感じだが。穂村弘の好きなアイテムである「カブトムシ」。そういう特別好きなものを持つのが必要なんだろうな。その思いは誰にも負けないというような。カブトムシ・ゼリーを食べちゃうほど好きなのだ。山田航の解説は「辻一郎」を突き放したところにこの短歌の不気味さがあるという。それは「にこにこ近づいてくる」にあるのか?そういえば「辻一郎君」が句またがりになっているのだった。「君がにこにこ」というクローズアップされる世界のような。過去の自分とのパラレルワールドの世界と本人の弁。
「どらえもん」短歌だけど旧世代だから「ドラえもん」て書けない世代。「ハーブ」のリフレインは「ハーフ」という感じなのか?半分だけのドラえもん。ドラはイプセンの小説で右衛門は戯作的だった。ドラ右衛門の助となるのだろう。言葉遊びの世界。それは「嘘つきのはじまりだ」。
作者は「ハーブティ」「ハーブ」「春」の「はじまり」は「は、は、は」の音韻だという。「ハーブティにハーブ煮えつつ」は「春の夜」の序詞という。鋭い。
「全治二秒の手傷」は面白い表現だと思ったが短歌の良さは初句の破調にあるという。「かぜのこうさてん すれちがうとき しんぞうに ぜんちにびょうの てきずをおえり」
最初の八音の破調はあまり気づかなったな。それが二秒の破調なのか?「風」がなければ五七五七七の定形なんだ!塚本邦雄の手法だという。

おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿  塚本邦雄

短歌の定形は、定形を崩すときも、その本来の型がある、という。これはありがたい言葉だ。句跨りも定形ではないリズムの必然がある。

恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死
こいびとの こいびとのこい ひとのこい びとのこいびと のこいびとの死

「恋人の」がずれて、分解されて「死」に到達する31文字。

俳句レッスン

核の冬天知る地知る海ぞ知る  高屋窓秋
春の山のうしろから煙が出だした 尾崎放哉
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る  能登村登四郎
雲雀落ち天に金粉残りけり  平井照敏
春の鳶寄り分かれては高みつつ  飯田龍太
黒人と踊る手先や散るさくら  鈴木しづ子
ずぶぬれて犬ころ  住宅顕信
葉ざくらの中の無数の空さわぐ  篠原梵
短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてつちまおか)  竹下しづの女
摩天楼より新緑がパセリほど  鷹羽狩行

大江健三郎が亡くなって、核というと真っ先に想い出す作家だった。彼の後に誰がいるだろうか?「知る」のリフレインで音韻を作っている。まず音韻をつくりたいならリフレインから。
尾崎放哉と種田山頭火の区別がつかない。小豆島でなくなったのが尾崎放哉でその時に書かれてあった自由律俳句。「煙」というのが自分の火葬する煙を見たのか?他の煙だったのか?謎だそうだ。春の山というのんびりした情景なのに不思議だ。焚き火だと思うような。
春はさみしいのか?槍投げの句はいい。全てのことが槍投げに譬えられるかもしれない。そんなことはないのだが。これを発見したときは嬉しかっただろうな。
金粉がわからない。囀りを「金粉」としたのだそうだ。確かに秀逸だった。ぼんくらにはわからなかった。
鳥シリーズだな。鳶ぐらいなら詠めそう。でもこの句のどこがいいのかわからない。「高みつつ」が「鷹みつつ」とかけてあるのかな?鳶は二羽でそれが分かれて、というのだった。作者が故郷に帰って旧友と出会って分かれたという俳句。飯田龍太は飯田蛇笏の四男だった。
鈴木しづ子が名句で取り上げられたの始めてみた。手先を「散るさくら」と詠んでいるのか?花見で踊っているのかと思った。
「ずぶぬれて犬ころ」は映画観た。あまり感動はしなかったが。自由律俳句もいいな。
篠原梵は初めて聞く俳人。人間探求派。よくわからに句だが。胸騒ぎとは違うのか?わかった。風で新緑が揺れて空が騒いでいる情景なんだ。ウキウキした感じ。
これは印象的。「須可捨焉乎(すてつちまおか)」が口語で漢字は当て字なのだ。「か」と疑問形になっているので本心は捨てられないのである。でもこの俳句は発表当時は幼児虐待とか反対意見が出たそうだ。そういうモラリストは嫌になるな。文学を全然わかってない。
摩天楼のは害もないエスプリ短歌というのだが。高層階からの景色だ。上から目線という奴だな。

映画短歌

今日はアカデミー賞でもあったので、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』だな。さすがにこれは題名が長すぎる。タイトルは?

えっ、ぶっ飛び えっ、文学の
翁死す
電脳空間多層世界へ

「えぶえぶ」の音韻を真似て、大江健三郎死すの衝撃を。

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