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アニメ化したら受ける物語

『甘粕大尉 』角田房子(中公文庫)

関東大震災下に起きた大杉栄虐殺事件。その犯人として歴史に名を残す帝国陸軍憲兵大尉・甘粕正彦。その影響力は関東軍にもおよぶと恐れられた満洲での後半生は、敗戦後の自決によって終止符が打たれた。いまだ謎の多い大杉事件の真相とは? 人間甘粕の心情とは? ぼう大な資料と証言をもとに、近代史の最暗部を生きた男の実像へとせまる。
目次
1 大杉栄殺害事件―大正十二年九月十六日(一九二三年)
2 軍法会議―大正十二年十~十二月(一九二三年)
3 獄中―大正十二年十二月~十五年十月(一九二三~二六年)
5 フランス時代―昭和二年八月~四年一月(一九二七~二九年)
6 満洲へ渡る―昭和四年七月(一九二九年)
7 満洲建国―昭和七年三月(一九三二年)
8 満映理事長となる―昭和十四年十一月(一九三九年)
9 敗戦―昭和二十年八月(一九四五年)

大杉栄一家惨殺事件と満州国の立役者としての甘粕のイメージは別のように描く伝記文学。著者のあとがきで現代では甘粕のような人は否定されると書くが、そこに浪漫を見出している。

例えば法治国歌のなかで行われた軍部主導の裁判の中で「国士」として大衆が請願請求を集めたことに、それ以後の軍国主義化の流れを感じてしまう。大杉事件と満州国建設の浪漫は別の話ではないのだ。その間にフランスでの引きこもり時代の甘粕がいた。

甘粕を文学的に英雄と描く浪漫ならばそれでいいかもしれない。例えば『覇王別姫』項羽虞美の物語は大衆文学として伝わる物語ではあるのだけれども、それは実際の項羽とは別の姿だ。それを英雄視して現実語りをしてしまうのは問題がある。

司馬史観でもそうなのだが、日本人はそういう英雄物語が好きなようでそれを歴史と見間違える。あくまでもそれは文学的虚構世界を楽しむためである。まあ日本の戦争アニメとかそれが戦争の姿を語っているとは思わないだろうと思うのだが、それが一緒になってしまうのが今の時代の危うさだろう。

あの時代のように「国士」と崇められ、一方大杉は「主義者」という国家転覆を図る悪人とされる。その二分法は権力者が求めたものである。その中で日本の家父長制は強化され、法治国家としての平等なんて無化されていくのだ。それが軍国化に繋がっていく先に満州国の浪漫があった。それはそこにいた人々の過酷な現実だ。そういうことを想像することもできない。

例えば甘粕が恩赦で短期で釈放されてフランスに行く。そこでも資金やら成り行きは法治国家としてあるまじきことではないのか?甘粕がフランスで孤立して引きこもるのも当然の成り行きだろう(一節にはギャンブルばかりしていたとか)。その中で妻は閉じこもって文句も言えずに絶えていたのだ。大杉の妻の伊藤野枝となんて違っていることか?

甘粕が妻を表に出さずいたのは家父長制の悪しき姿であると思う。そこに自由すぎる大杉一家を惨殺せざる得ない甘粕の本性が見えてくるような気がする。アメリカ国籍の甥も二重国籍という甘粕には許されない存在のである。

この事件がアメリカの圧力によって明らかにされたという過程は、今に繋がることかもしれない。隠蔽国家であり法治国家とは言えない姿がそこにあったのだ。

多分、角田房子の描き方はノンフィクション的なのだ(そこは実証的な事実が描かれているとは思う)が、あとがきの私情とかに共感してしまうのは今の日本では危ういことだと思う。英雄ではなく殺人者なのだ。


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