西脇順三郎の俳諧性
『詩人たちの世紀―西脇順三郎とエズラ・パウンド』新倉 俊一
アメリカのモダニズム詩人のエズラ・パウンドはイタリアに亡命するとムッソリーニを支持したことにより逮捕、収監されてしまう。それでも彼を支持する詩人(ビートニックの詩人たち)は多く、そうした者たちの交流。
それはパウンドが示した即興性と批評精神かもしれなかった。ムッソリーニを支持したのもその裏にはアメリカ批判があり、反ユダヤ主義もアメリカ資本主義の本質を見抜いていたからかもしれない。しかしパウンドの挫折はそうした理念が敗れ去ったことだった。その方法論から学ぶべきものとしてビートニックの詩人たちはパウンドの新しさを見たのだった。
西脇順三郎もイギリス留学時代にモダニズムの洗礼を受け俳句や能に理解を示すパウンドとも交流するようになる。パウンドが西脇順三郎をノーベル賞に推薦したとか(日本側が手を廻した感じだが)。西脇順三郎の詩の中にあるパロディや諧謔精神が俳句や能にあったとか、そして晩年は漢詩にも興味を示すようになる。パウンドもそうした外部の詩への興味で繋がっていく。
西脇順三郎の重要さはモダニズムからシュールレアリスムと経て、そして俳句や能や漢詩からも影響を受けていく。それは西脇順三郎の詩にあるパロディや諧謔精神だということだった。パウンドもそういう面があったのだが、批評としてアメリカ批判(反ユダヤ)と政治に関わってしまったことが悲劇になっていく。またパウンドの権威主義的側面もパーソンズの詩人( ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ)の反発を喰らうのであった。それは彼の日常詩が小さな世界だけのように感じてもっと外部と接触しろということだったのかも。ただそういう言動は余計なお節介だと反発してしまうものである。
西脇順三郎はそうした権威性はなく、むしろパロディや諧謔の人だから、そうした権威性をおちょくっていたのだった。その位置に芭蕉もいる。
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